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書籍名

<翻訳>のさなかにある社会正義

著者名

齋藤 直子、ポール・スタンディッシュ、 今井 康雄 (編)

判型など

256ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2018年7月31日

ISBN コード

978-4-13-051329-6

出版社

東京大学出版会

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<翻訳>のさなかにある社会正義

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読者は、本書における「翻訳」と「社会正義」という意表をつくことばの組み合わせに戸惑われるかもしれない。しかしながら、本書の主眼はまさにこの「翻訳」という語で人びとが通常想起する言語観、文化との関わり、ひいては人間主体の前提そのものを覆すことにあり、同時に、「社会正義」の言説を生み出す政治性や政治教育の既定路線を「翻訳」という枠組みを通じて揺さぶることにある。その主たる課題は、リベラルな自律性概念を軸に賛否両論の論議が交わされる政治哲学と教育哲学の言説そのものを、「人間主体・文化的アイデンティティ・翻訳」という代替的な視点を通じて再考し、再構築することである。

本書で論じられる「翻訳」とは、一つの言語体系と別の言語体系の間の言語の置き換えを超える、人間変容 (transformation) と不可分な広義の翻訳 (translation) を意味する。このことは、一つの言語体系といわれるもののうちですでに翻訳は始まっていること、「翻訳」とは言語に内在的な性質であり、「翻訳」とは言語存在としての人間生活の「換喩」(metonym) として、人間生活そのものを象徴することを含意する。そして、本書に集録された諸論考が描き出すように、非対称性と底なしの「深淵」の経験をその根本的特徴とする翻訳は、人間主体 (およびその前提とされる「自律性」概念)、人間と文化のアイデンティティといわれるもののへ幻想を砕き、たえず過渡的で動き続ける思考様式としての「哲学のサブジェクト転換」を促すものである。

本書で提示される代替的な思考の道筋は、デリダのポスト構造主義の思想、エマソン、ソロー、カベルのアメリカ哲学、および酒井の日本思想史研究の知見を軸にして、それにベンヤミンの言語思想・法思想、フランスの社会学者ブルーノ・ラトゥールの思想、メルロ=ポンティの現象学的視座などが相互に絡み合う対話的な仕方で展開される。これらの多声を通じて、主体-客体 (subject-object) 関係の性質は、リベラリズムとコミュニタリアニズムのアイデンティティ・ポリティックスの枠組みの中で定義されるものより、一層複雑で、より幅広い意義をもつものであることが明らかにされる。人間の条件についてのこの代替的思考様式の間の交差を通じて、本書は、翻訳のさなかにあるものとしての (1) 言語 (そして文化的アイデンティティ)、(2) 人間主体、(3) 社会正義の間の三者関係に焦点を当てる。それゆえ、主体 (subject) と客体 (object) の双方に対するこれまでとは異なる見方が要求される。これに加えて、言語は、単なるコミュニケーション以上のものを巻き込む何物かとして、我々の存在の源泉に一層近いものとして理解されるようになり、その重要性は一層際立ったものとなる。社会正義は、新たな形而上学的観点、すなわち、人間経験を捉える仕方としての翻訳という観点から再考されることになる。

 

(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 名誉教授 今井 康雄 / 京都大学大学院教育学研究科 教授 齋藤直子 / 2019)

本の目次

序 章 承認の政治学を超えて (ポール・スタンディッシュ、齋藤直子、今井康雄)

第一部  社会正義と主体
第1章  社会正義とオクシデント (ポール・スタンディッシュ 著、齋藤直子 訳)
第2章  社会正義と國體ーポール・スタンディッシュに応える (酒井直樹)
​第3章  社会正義とその否定の諸形態 (ルネ・V・アルシラ 著、高柳充利、齋藤直子 訳)
​第4章  「正義」の限界ーデリダの「暴力批判」読解とベンヤミンの教育抗争 (今井康雄)
​第5章  社会正義を求めてー単一言語主義と批評の封じ込め (ナオミ・ホジソン 著、三澤紘一郎 訳)
​第6章  人間存在の社会性と教育哲学の可能性 (三澤紘一郎)

第二部 <翻訳> のさなかにある社会正義
​第7章  ひとつの言語、ひとつの世界 (ポール・スタンディッシュ 著、齋藤直子 訳)
​第8章  「教育という尺度」をもとめてー迂回的接近の試み (今井康雄)
​第9章   超越性としての正義 (朱 燁)
​第10章  グローバル・リスク社会における正義 —戦争と放射線被曝をめぐる生— 政治 (嘉指信雄)
​第11章   翻訳学と脱構築のはざまで考える「社会正義」 (ギブソン松井佳子)
​第12章   正義の会話ーアンコモンスクールの政治教育 (齋藤直子)

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