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書籍名

インド学仏教学叢書25 順正理論における法の認識 有部存在論の宗教的基盤に関する―研究

著者名

一色 大悟

判型など

141ページ

言語

日本語

発行年月日

2020年3月

ISBN コード

9784796302937

出版社

山喜房佛書林

出版社URL

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順正理論における法の認識

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仏教には一切皆苦、つまりすべては苦だ、という教えがある。確かに、私達の人生には病や死といった肉体に直結した苦しみもあれば、対人関係上の悩み、金品の欠乏、現在の生き方や社会への不満、未来に対する不安もある、といったように苦悩に事欠かない。そうしてみると、一切皆苦は人生に関する真実の一面を突いているようにも思える。

しかし、いかなる疑問もなしに、一切皆苦が受け入れられることもないだろう。例えば私達の人生には、苦悩と同時に様々な快楽、歓喜、幸福も存在する。にもかかわらず一切皆苦だというなら、それらの楽も実は苦なのか。また苦楽とは無関係に見える椅子や机といった物体も、実は苦なのか。もしそれらも苦だというのなら、それは何故か。また、どのようにして楽や物体も苦だと認識できるのか。あるいは、私が苦悩するとき、たしかに自己にとって苦が存在しているかもしれない。では他人が苦しんでいるとしてもその苦しみを私は感受しないのだから、彼の苦は私にとって存在していないのだろうか。要するに、「すべてのものは苦である」とは「すべてのものは苦を特徴とするあり方で存在する」、あるいは「すべてのものは苦として存在しているように認識されている」ということなのだから、そこには「苦として存在する」ということの意味と、苦としての存在を知る方法についての問いが内在しているのである。

さて一切皆苦とは、釈迦牟尼仏という一人の修行者が洞察し、弟子に教えたことだという。したがって、以上の問いをより一般化すると、「なぜ、仏という一個人が教えた通りの仕方で世界は存在するのか」、「どのようにして仏の教えが真実だと認識できるのか」と言い換えられるだろう。仏教では、その歴史を通じていくつもの教理思想が繰り返し構築されてきた。それらの形態は極度に多様ではあるものの、ここで見たような、仏が説いた真実のあり方とそれを認識する方法という、存在と認識に関する問いに答えようとしてきた点では一貫していると言ってよいかもしれない。

本書は、衆賢 (Saṃghabhadra、後5世紀) というカシミールの学僧が著した大部の教理書『阿毘達磨順正理論』を手がかりに、彼が仏教における存在と認識についての問いにどう答えたのかを解明しようとしたものである。従来の研究によれば、衆賢は、インド仏教思想が認識論・論理学へと傾斜していった時代におけるミッシングリンクの一つではないかと予想されてきた。しかし『順正理論』の難解さと資料上の制約のため、彼の思想の全体構造が明晰に語られたことはなかった。本書が試みたのは、時間と存在、真理論、知覚論、実在論、仏の一切智者性論証に関する議論から、衆賢の、仏教観に支えられた認識論を析出することであった。本書の試みは、知識の系譜としての仏教史における、不可欠のピースを求めることにほかならない。

 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 助教 一色 大悟 / 2020)

本の目次

序論
第1章 存在を認識する過程
1.1 はじめに
1.2 存在の二つの意味
1.2.1 三世実有説における認識論的関心
1.2.2 存在の定義に対する二解釈
1.2.3 存在の定義の文脈
1.2.4 無所縁心論争
1.2.5 存在の定義の背景
1.3 〈覚知〉と存在判断
1.3.1 『順正理論』の二諦説の思想史的文脈
1.3.2 『順正理論』の二諦説の分析
1.3.3 〈覚知〉による存在判断:性類と有
1.4 〈覚知〉の意味
1.4.1 『順正理論』の〈覚知〉の意味をめぐる問題
1.4.2 三現量説における現量覚
1.4.3 三世実有説に見られる〈覚知〉の用例との対比
1.5 本章の結論
 
第2章 法が存在する根拠
2.1 はじめに
2.2 認識に先行する諸法
2.2.1 有部論書における実有法の自性と認識可能性
2.2.2 涅槃の存在根拠
2.2.3 他の認識困難な諸法の例
2.2.4 仏説による法の存在の確定
2.3 仏説の権威の論証
2.3.1 衆賢論書における権威論証の思想史的背景
2.3.2 『顕宗論』「序品」中の一切智者論証
2.3.3 『順正理論』「弁業品」中の至教量論証
2.3.4 二論証の根拠にある問題
2.4 本章の結論
結論
略号と使用テクスト
参考文献

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