本書はStephen P. Hinshaw著 “The Mark of Shame: Stigma of Mental Illness and an Agenda for Change”の全訳である。原著者は、カルフォルニア大学バークレー校教授であり、Psychological Bulletin誌編集長を務め、発達臨床心理学およびADHD研究の世界的権威である。さらに、父親が双極性障害であったという当事者家族でもある。
読者は、精神的疾患mental diseaseと精神的疾病mental illnessの違いがわかるだろうか? これは決して言葉遊びではない。両者の差異の背景には、現在の精神医学・精神科医療を取り巻く大きな問題、スティグマの遠因になる問題が隠されている。日本語版で450ページ以上にわたる大著「恥の烙印」はその解説から始まる。
精神障害へのスティグマは当事者やその関係者の心理に大きな影響を与えるにも関わらず、日本の臨床心理学者による研究は少なかった。本書はアメリカの臨床心理学者の手による、精神障害へのスティグマに関する包括的な著作であり、精神障害論をはじめ、進化心理学によるスティグマ論や、子どもがいつから精神障害に対してスティグマを抱くようになるかという発達心理学的な研究など、心理学者でなければ示唆しえない視点や方法論が詳しく紹介されている。また、研究や実践はまだ始まったばかりとはいえ、アンチ・スティグマの心理社会的な方法や活動についても言及されている。これらは新しい国家資格である公認心理師が、重篤な精神障害の当事者支援を行う際に必須の知識でもある。
精神障害当事者が社会一般からだけでなく、他の当事者や医療者からもスティグマが与えられてしまうことに加えて、精神科医療全体に対する社会からのスティグマは根強い。たとえば、2020年春、日本のある県で精神科医のグループが新型コロナウィルスのクラスター感染を起こした。それに対して他科の医師たちが「精神科医はもともとおかしい人たちだから、この状況下でも危険な行動をとる。自分たちと一緒にしてほしくない」という発言をネット上に流したのである。多くの国で、精神障害や精神科医療に対する偏見や差別は一部の医療関係者においてこそ強いことが明らかにされているが、21世紀の日本でそれを証明してしまったエピソードだといえるだろう。
しかしながら、現在の日本では、テレビやインターネットで精神障害に関する正しい情報が、当事者からの発信という形で頻繁に伝えられるようになったことに加えて、2016 (平成28) 年には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 (障害者差別解消法)」が施行され、日本でもスティグマへの意識改革やアンチ・スティグマの法整備が進んでいることは大変喜ばしいことである。原著が出版されたのは今から15年ほど前の2007年なので、主として解説されているのは20世紀後半の動向である。では、前世紀に比べて21世紀には、精神障害へのスティグマの何が変わり、何が変わっていないのか? そして、このスティグマをどのように解消させていくべきか? 本書が21世紀を生きる人々の思索と行動のための道標になることを期待している。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 石垣 琢麿 / 2020)
本の目次
第2章 社会心理学、社会学、進化心理学からの視点
第3章 精神的疾病に対する歴史上の考え方とスティグマ
第4章 精神障害に対する現代の考え方
第5章 スティグマの証拠 (1) -科学的研究から
第6章 スティグマの証拠 (2) -日常生活から
第7章 精神的疾病のスティグマ-議論の総括
第8章 研究の方向性と重要課題
第9章 スティグマを克服するために (1) -法律・政策・地域の取り組み
第10章 スティグマを克服するために (2) -メディアと精神保健の専門家
第11章 スティグマを克服するために (3) -家族と当事者
第12章 今後の課題