多様化する子どもに向き合う教師たち 継承語教育・補習授業校におけるライフストーリー研究
補習授業校という学校を聞いたことがあるでしょうか。補習授業校というのは、海外に設置された在外教育施設の1つであり、普段は現地の学校やインターナショナルスクールに通う日本人の子どもたちが、週に1回日本語で授業を受ける学校です。戦後の高度経済成長期から世界各地に設置され始め、主に海外駐在員の子どもたちが日本に帰国した際に学校生活や学業にスムーズに適応するための教育が行われてきました。
しかし、近年は海外に永住 / 長期滞在する日本人が増え、必ずしも日本に帰国する予定が明確ではない子どもたちが多く通うようになっています。そのため、日本帰国を前提とした従来の教育目的や内容・方法を再考し、多言語・多文化の中で生きる子どもたちの多様な言語能力やアイデンティティに即した教育への転換が迫られています。ですが、そのような教育を行うためのカリキュラムや教材、教授法はいまだ十分に開発・整備されているとは言いがたいのが現状です。また、週1回しか授業がない補習授業校では、経験豊富な教師を確保することが難しく、研修の機会も乏しいのです。
本書の目的は、このような状況において補習授業校の教師がどのようにして子どもたちに対する教育についての考えを構築・変容させていくのか、そしてそれを教育実践においてどのように表現することができているのか、あるいは表現できずにいるのかを明らかにすることです。3名の教師たちのライフストーリーを通して、その過程を描き出しています。
ライフストーリーという手法をとったのには、大きく2つの理由があります。1つ目は、教えるということには教師の人生が染み込んでいるため、教師を1人の人間として全人的に理解する視点が不可欠だったからです。本書の3名の教師のライフストーリーでは、補習授業校の方針や同僚・保護者・子どもたちとのやりとり、自身の過去の様々な経験などが互いに影響し合いながら、目の前の子どもたちに対して自分はどのような教育を行うのかという考えやイメージが形成され、それを教育実践として表現している (ときに表現できずにいる) 様子が記述されています。2つ目の理由は、本書で示される教師たちのライフストーリーが、読者のストーリーが変化していくうえでのリソースとなることを企図したからです。補習授業校における教育が変わっていくためには、まずは人々のストーリーが変化することが必要です。それが、やがて「補習授業校や補習授業校が置かれている社会という現実の再構築」(本書 p.52) につながると考えています。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 講師 瀬尾 悠希子 / 2020)
本の目次
第1章 継承語学校と変化に直面する補習授業校
1.1 マルチリンガル、マルチカルチュラルな子どもたちと継承語学校
1.2 変化に直面する補習授業校
第2章 教師を理解するためのアプローチ
2.1 教師研究の流れ
2.2 言語教師のアイデンティティに関する研究
2.3 教師のアイデンティティとナラティヴ--ConnellyとClandininの研究
2.4 本研究の立場
第3章 方法論の検討
3.1 ストーリーによる人間理解
3.2 ライフヒストリー (LH) と2つのライフストーリー (LS)
3.3 社会構成主義的なライフストーリー研究を行う理由
3.4 社会構成主義的なライフストーリー研究における調査者
第4章 調査の概要
4.1 リサーチ・クエスチョン
4.2 調査協力者の確定と協力依頼
4.3 インタビュー
4.4 データ分析
4.5 引用箇所、固有名詞の表記
第5章 多様性の中でのアイデンティティの確立を支援する--Aさん
5.1 Aさんとの出会いとインタビュー
5.2 Aさんが働く補習校
5.3 Aさんのストーリー
5.4 Aさんのストーリーの考察
第6章 子どもたちの発想や思考を深める--大村さん
6.1 大村さんとの出会いとインタビュー
6.2 大村さんが働く補習校
6.3 大村さんのストーリー
6.4 大村さんのストーリーの考察
第7章 子ども自身がしたいことを--田中さん
7.1 田中さんとの出会いとインタビュー
7.2 田中さんが働く補習校
7.3 田中さんのストーリー
7.4 田中さんのストーリーの考察
第8章 3人のストーリーの考察
8.1 補習校で教えはじめたときの支えとするストーリー
8.2 目の前の子どもたちの実情に対応する支えとするストーリーの原点
8.3 目の前の子どもたちの実情に対応する支えとするストーリーを具体化したこと
8.4 目の前の子どもたちの実情に対応する支えとするストーリーの表現
8.5 目の前の子どもたちの実情に対応する支えとするストーリーを生きることの意味
8.6 リサーチ・クエスチョンへの答え
8.7 本研究から得られる示唆と課題
終章 私のストーリーの変化