東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙の真ん中に緑のイラスト

書籍名

人物叢書 徳川秀忠

著者名

山本 博文

判型など

304ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2020年2月21日

ISBN コード

9784642052962

出版社

吉川弘文館

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学内図書館貸出状況(OPAC)

徳川秀忠

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令和2年 (2020) 3月に急逝した山本博文史料編纂所教授の、生前最後に上梓された書籍である。山本教授は研究にとどまらず、その成果の社会的発信にも意を払い、一般書の執筆やテレビ番組などへの出演にも積極的であったので、生前の活躍を知っている学生諸君も多いのではないかと思う。
 
山本教授の専門は、豊臣政権期から江戸時代にかけての政治史・外交史であるが、教授は早くから、制度や政治動向の年代記的考察にとどまらず、政治的重要人物の個性や、支配階級内部の人間関係などをも分析の対象とする必要性を主張し、「人間の体温までわかる政治史」を標榜していた。本書が収められている「人物叢書」とは、昭和33年 (1958) に刊行された『明智光秀』を皮切りに、令和2年1月刊行の『徳川家康』で300冊目に到達した、歴史と定評がある伝記のシリーズである。その1冊 (303冊目) として、「人間の体温までわかる政治史」をめざす教授により執筆された本書は、徳川家康と徳川家光との間に挟まれて存在感の薄い、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の生涯と人物を知るためには最良の伝記、あるいは評伝であると言えよう。
 
本書は、まず第1章から第5章で、誕生から父徳川家康が没するまでの秀忠の姿を描く。この時期の秀忠は将軍の地位にいたが、偉大な父家康の影響下、独自性のある政策はみられなかったと教授は評価する。続く後半の第6章から第9章は、家康の没後、独り立ちした秀忠が、将軍・大御所として政治をとる姿が描かれている。親政期の秀忠は、貿易を許可する一方でキリシタン禁止の徹底をはかる外交政策をとったり、娘の和子の入内を実現させ朝廷と融和をはかるなど、家康の政策を継承し展開させている。教授はそうした秀忠の着実な政治姿勢を重視し、彼を260年余に及ぶ江戸幕府の基礎を築き上げた人物であり、理想的な二代目であったと評価している。
 
しかし、その反面、福島正則や最上義俊などの外様大大名や、家康の遺臣で自身の年寄でもある本多正純などを果断に改易した秀忠の判断については、あまり評価していない。教授は、これらの改易は政策というよりも、自分の面子を潰されたという感情的な問題が大きく影響していると指摘する。また、大坂の陣の場面場面で秀忠が力むのも、関ヶ原の合戦に遅参したことで負った心の傷が影響していたとし、名誉挽回の気持ちにはやり大局観を見失った彼の言動を、総大将の器ではないと切って捨てる。「人物叢書」は本文の要点が頭注で所々に示されているが、「怒る秀忠」「焦る秀忠」「秀忠の冷酷さ」などの頭注からは、教授が秀忠の性格をどうとらえていたのかが見えてくる。このように未熟で引け目を抱えた秀忠に余裕と風格が出てきて権威が高まるのは、世代交代が進んで彼より年下の大名が多くなる大御所時代であったと教授は見る。本書では、こうした秀忠の個性や人間関係にまで視線を注いだ政治史分析が各所に見られ、「人間の体温までわかる政治史」をめざした教授の面目躍如である。
 
伝記という固い分野の書籍でありながら、一般書を数多く世に出してきた教授の執筆であるため、大変読みやすい叙述となっている。秀忠という政治的重要人物に関心がある向きにはもちろん、これから歴史学の専攻を考えている学生が、政治史へのアプローチの方法にふれるのにも、お薦めの一冊である。

 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 松澤 克行 / 2020)

本の目次

はしがき
第一 徳川家の跡取り
第二 関ヶ原合戦と秀忠
第三 駿府政権と将軍秀忠
第四 大坂の陣
第五 元和一国一城令と公武の法度
第六 将軍秀忠の政治
第七 松平忠直をめぐる危機的状況
第八 秀忠の大御所政治
第九 秀忠の晩年
第十 秀忠の家族
おわりに
略系図
略年譜
参考文献

 

関連情報

書評:
小池進 評「人物叢書 徳川秀忠」 (『日本歴史』871号、2020年12月)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/nc353.html

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