東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

木下千春氏による六角定頼像

書籍名

ミネルヴァ日本評伝選 六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す

著者名

村井 祐樹

判型など

368ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2019年5月10日

ISBN コード

9784623086399

出版社

ミネルヴァ書房

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

六角定頼

英語版ページ指定

英語ページを見る

戦国大名六角氏についてどのようなイメージをお持ちだろうか。多くの方は、織田信長の上洛戦にあたり、近江で抵抗したもののあえなく敗れて滅亡した大名。少し戦国史に興味のある方ならば、戦国法『六角氏式目』において、家臣によりその権力を規制されていた大名。さらに詳しい方であれば、室町将軍足利義尚・義材による征伐を受け、甲賀の山奥に逃げ込んだ大名。こんなところであろうか。いずれも「弱体」の一言がふさわしい大名家である。ましてや戦国時代の当主「六角定頼」など、その名を聞いたことがある方が珍しいであろう。よしんばあるとしても、「信長より早く楽市楽座を行った」こと程度であろう。しかしそんな六角定頼が「天下人」であったことを描き出そうというのが、本書の主題である。「そんな馬鹿な」と思った方は是非読んでいただきたい。
 
主役はもちろん六角定頼であるが、六角氏自体についてほとんど知られていないという事情を考慮し、前史として定頼の父高頼・兄氏綱、後史として子義賢・孫義弼についてもそれぞれ一章を割いて、定頼の生涯を浮かび上がらせるという形をとった。したがって事実上の戦国期六角氏列伝ということになる。
 
さて、近年の戦国史研究において「天下」および「天下人」の意味が変化しているのはご存じだろうか?戦国時代の「天下」が京都を中心とした畿内近国の数カ国のことを示していたに過ぎないことが明らかにされ、「天下人」についても、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のような全国を統一した人物ではなく、「京師鎮護」すなわち京都(=将軍)を守護して、政治を領導した者のことを指していたことが判明している。すなわち、京都を中心としたエリアを抑え、かつ幕府においての最高権力者であれば「天下人」とみなして差し支えないということになりつつある(もちろん反対意見もある)。本書を実際に読んだ上で、「天下人」について自分自身の考えを持つようになれば、他の歴史事象についてもこれまでと違った見方ができるようになるであろう。
 
なお、本書は古文書などの原史料の引用が多く、煩しく感じられることであろう。しかし、当時の人々の生の声を聞くには、信頼できる古文書・古記録によるしかない。戦国時代の史料から具体的な情報を読み取るにはどうするものなのか、という視点からも読んでもらいたい。引用史料には、ほぼすべてに現代語訳または大意を記し、極力理解に資するように努めたつもりであるので、毛嫌いせず実際に読んで、文字の上だけでも戦国時代に浸っていただきたい。その先に新たな発見があるはずである。
 
本書を読んだことによって、三人の天下人や武田信玄・上杉謙信以外にも、個性的な戦国大名が存在していたことを知ってもらえれば、著者としてこれ以上の喜びはない。

 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 村井 祐樹 / 2020)

本の目次

はしがき
第一章 父高頼と兄氏綱 ——戦国大名六角氏の始まり
第二章 定頼の登場 ——将軍を庇護し幕府を支える
第三章 定頼の全盛 ——「天下人」として畿内に君臨
第四章 定頼の事蹟 ——発給文書に見るその権勢
第五章 子義賢と孫義弼 ——後継者の苦闘、そして戦国大名六角氏の終焉主要参考文献  
附録 戒名集  
あとがき  
六角定頼年譜  
事項索引
人名索引

 

関連情報

書評:
滋賀ゆかりの武将 明智光秀と佐々木六角に迫る (滋賀報知新聞 2019年6月24日)
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0029345
 
『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』村井祐樹著 (産経新聞 THE SANKEI NEWS 2019年6月16日)
https://www.sankei.com/article/20190616-TSAJHNY7ZJL5LO7RSGBSHDACU4/

このページを読んだ人は、こんなページも見ています