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書籍名

Forms of the Body in Contemporary Japanese Society, Literature, and Culture

著者名

Irina Holca, Carmen Sǎpunaru Tămaș (編)

判型など

316ページ、ハードカバー

言語

英語

発行年月日

2020年5月

ISBN コード

978-1-7936-2387-4

出版社

Lexington Books

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本書は日本、イギリス、オーストラリア、アメリカ、イタリア、ルーマニアそしてブルガリアから集まった日本研究者たちが、それぞれの専門、立場そして経験を活かして、現代日本社会の文学的・文化的テキストに刻まれた「身体」について、ステレオタイプ的なオリエンタリズムを超えて、新たなる視座を展開する研究書である。著者たちは、日本の文学・文化研究を題材に、先行研究を忠実に踏まえながら、現代日本において、身体はどのように再認識され、理解され、実行され、経験されるのか、他者との関係の中で、どのような価値を持つのか、また、記憶、変容、遊び、病気、儀式の場としてどのような機能を果たしているのか、といった問いに応えようとしている。
 
既存の概念やカテゴリーが疑問視され、再定義されているように、身体も継続的に再発明されている。美的理想や特定の仕事に必要なイメージに合わせて変更されたり、自己の特定のイメージを投影するために作られたり、常に流動的なアイデンティティを演じるために身体が作られたりもしている。人間が忠誠を誓う最も重要な想像上の共同体は、もはや国家ではない。人種は実際の身体的な指標に基づくカテゴリーとして解体され、性別は性から切り離されて連続体とみなされ、人間と非人間の間の境界は曖昧となり、その超越は可能で時には必要である。個人と国家、肉体と精神との二項対立において、身体は現在どのような位置にあるだろうか。また、男性と女性、自然と人工、人間と動物など、長年にわたって確立されてきた二項対立はどうなってしまうのか。そのような問題意識が共有され議論が展開されていく。
 
本書では戦後日本の身体を歴史的・テーマ的にテキストを通じて追跡し、身体を意味形成のプロセスが収束する場として定位し、議論が進められていく。学際的アプローチも意識しながら文学、人類学、社会学、映画やパフォーマンス研究などの分野からの研究を単に集積しただけでなく、2つ以上の分野や方法論を交差させて身体についての議論を構築している論考も織り交ぜられている。本書が全体として、男性と女性、人工物と自然、人間と非人間、そして身体と心といった二項対立を解体し、身体を包み込むことで知られる、いくつかの「箱」を崩壊させ、新たなる視座を与えようとしている。
 
本書では15章が議論の内容に沿って、演じられた身体、脱形成された身体、順応した身体という3つの身体の「タイプ」に応じて構成されている。心身二元論、老いと病、霊の憑依、美、パフォーマンス、ジェンダーなどのトピックを取り上げた、現代日本文化と思想における「身体」を見つめ直す社会文化的、文学的な新たなる視座を読み取ってほしい。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 ホルカ・イリナ、関谷 雄一 教授 / 2021)

本の目次

第1部 演じられた身体
 
第1章 女体の中の日本の狐-キジ・ジョンソンによる『今昔物語』の再編集における、変化する女性性パフォーマンス
ルチャーナ・カルディ (Luciana Cardi)
 
第2章 私を犬と呼びなさい。-現代徳島県における犬神憑きの感覚
アンドレア・デ・アントニ (Andrea De Antoni)
 
第3章 歌舞伎-ジェンダー化された身体のパフォーマンス
ガリア・ガブロフスカ (Galia Gabrovska)
 
第4章 吉本ばなな著『キッチン』の中の身体-故郷は、母のいるところ、胃袋を通って人の心がいくところ。
イリナ・ホルカ (Irina Holca)
 
第5章 カンヴァスとしての身体-大阪のドラッグクイーンたち、歌舞伎からレディー・ガガまで。
カルメン・サプナル・タマシ (Carmen Săpunaru Tămaș)
 
第2部 脱形成された身体
 
第6章 舞踏の中で動く身体-肉体における受動性と変容
ケイトリン・コーカー (Caitlin Coker)
 
第7章 老衰と身体-日本の現代文学におけるケアとジェンダー
泉谷 瞬
 
第8章 犬にとっての被介助者と介助犬-松浦理英子の『犬身』における倫理的可能性
武内佳代
 
第9章 刺すような痛みが私たちを取り囲む―『ヘビにピアス』における身体の抑制、形成、飼いならし
エメラルド・L・キング (Emerald L. King)
 
第10章 社会的活動と和解としての文学-1950年以降の日本におけるハンセン氏病の意味と生存者の手記
田中キャサリン
 
第11章 禿げている者と美しい者-現代日本における「はげ」へのまなざし
アドリアン・O・タマシ (Adrian O. Tămaș)
 
第3部 順応した身体
 
第12章 北米の文脈におけるアジアの身体-視覚的・文学的人種差別
アリナ・E・アントン (Alina E. Anton)
 
第13章 闇の中の身体-戦後の映画観客と「グラウンド・ゼロ」としての身体
ジェニファー・コーツ (Jennifer Coates)
 
第14章 小川洋子の『薬指の標本』における閉じ込められた身体-「自分探し」のための魅惑的な旅
笹尾佳代
 
第15章 「おんなのこ」の身体-東京の性風俗店の事例を中心に
熊田陽子
 

関連情報

書評:
(書評コメント翻訳は紹介文執筆者によるもの)
身体は、個人の主観的固有性の根拠となるだけでなく、共同体や社会を映し出す普遍性のモデルとしても機能します。個人と全体との結びつきを通じて、身体は普遍的な秩序とそのミクロコスモスを物理的に形づくると同時に、現代社会においては、両者の対立や矛盾を可視化する政治的な「場」としても機能しているのです。イリーナ・ホルカとカルメン・サプナル・タマシュが、日本の現代文学、パフォーマンス、大衆文化における様々な身体表現を探求する中で明らかにしたのは、このような身体政治の「場」である。
――坪井秀人 国際日本文化研究センター
 
この編著は、現代の日本人が考え、感じ、行動している「身体」という重要なテーマについての理解を深めるために、新鮮で非常に豊かな研究書です。編著者の2人は日本研究でよく知られているだけでなく、日本の大学で博士号を取得したルーマニア人であることに加え、参加した研究者たちが非常に多様なバックグラウンドをもっている。こうした研究者たちの「エスノグラフィ」は、社会科学的な資料だけではなく、文学、パフォーミング・アーツ、そして日常の行動にまで及ぶ議論を包摂している。
――大貫ティエルニー恵美子 (ウィスコンシン大学)
 
この綿密に編集された著書では、様々な分野や地理的背景を持つ研究者が集まり、身体に関する学術的思考を広げる力強いエッセイを提供しています。若手研究者によるこれらの説得力のあるエッセイは、身体の中心性に注意を払いながら、最近の日本のフィクションや社会的・芸術的現象に対応しており、身体への注意の理論的系譜における理解を広げるのに役立っている。これらのエッセイからは多くのことを学ぶことができます。
――ダグラス・スレイメイカー (ケンタッキー大学)
 
本書は、「身体」というテーマを魅力的で多彩な角度から取り上げた新鮮な論文集である。社会・文化人類学者や文学者が集めたこれまでなかった洞察をもとに、人間、動物、精神の境界を惑わせ、情報を提供するだけでなく、楽しませるアプローチが展開されている。日本の文化的創造性についてもっと知りたいと思っている人には、ぜひお勧めしたい本です。
――ジョイ・ヘンドリー (オックスフォード・ブルックス大学)


シンポジウム:
Book talk: "The Forms of the Body in Contemporary Japanese Society, Literature, and Culture" (2021年5月29日)
https://networks.h-net.org/node/20904/discussions/7669960/book-talk-forms-body-contemporary-japanese-society-literature-and
 

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