現代は「専門家」の危機と言われます。パンデミック、気候変動、戦争と従来の秩序を揺るがすような出来事が次々と到来し、そのたびに無数の「専門家」が現れますが、しばしばその見解はすれ違い、相容れません。しかも、科学の知見を平気で無視した政策を好む政権が先進国にすら誕生しています。一体何を信じればよいのか戸惑う人は多いでしょう。本書では、科学史・科学哲学・メディア論・科学技術社会論・歴史学・書籍編集など、多様な立場の論者がこの問いに向き合っています。
本書ではまず、「専門家」という普段私たちが使う言葉を、哲学的に分解するところから議論を始めます。「専門」は漢語由来の言葉であり「一つの経書のみに詳しい」の意味でした。また、「門」は「師について教えを受ける」ことを意味しました。要するに日本語の「専門家」は学問のある特定の分野に視野が固定されている人という意味合いが強いのです。対して、「専門家」の訳とされる英語のexpertには「熟練者」「達人」の意味が強く、視野の広さ・狭さは副次的な要素です。
このように言葉そのものを吟味し分解していくと、「専門家」とは果たして何なのかという問いが改めて浮き上がってきます。私の担当した章ではこの問題を歴史的に掘り下げて、為政者や裁判官が科学におけるexpertの発言を信頼するしくみがいつ、どのように生まれたのかを検討しました。そこから窺えるのは、専門性とは単に知識があれば成り立つ類のものではなく、専門家の共同体とそれを信頼する社会があって成り立つものであることです。そのためには、専門知の伝え方、語り方も重要になります。
ところで、「専門」と「教養」とは切り離せません。そのため、「教養とは何か」も本書の隠れた主題といえます。たとえば、専門家が視野狭窄に陥ってミスを犯さないためには、たがいに「隣の領域に口だし出来る」ような対話の習慣が必要になります。また、一般市民の立場からすると、情報の洪水の中でフェイクニュースや政治プロパガンダに流されないためには、むしろ曖昧さを許容して判断を留保できる「ネガティブ・リテラシー」が好ましいかもしれません。
一方、「専門」や「教養」が不平等や集団の序列化と関わった歴史があることも本書では語られます。たとえば、理工系や法・経済の「専門」教育には主に男性が想定される一方で、「教養」については男性の人格陶冶のためのものと、女性の結婚にプラスになる趣味や人文知を意味するものとに分裂していました。現代ではこうした構図は消えつつあります。しかし、その一方で「専門」や「教養」が頼りないものになったことも否めません。
本書の書かれた時点では生成AIはまだ未発達だったので、ほとんど言及のないことに物足りなく思う読者もいるかもしれません。しかし、生成AIという仕組みの分かりづらい存在が様々な知識を人々に届けるようになった今こそ、むしろ「専門知の生まれ方」やそれが信頼され、支えられる仕組みを考えることが急務となっているはずです。その意味で、本書の問いはむしろ昔より切実さを増したとすらいえるでしょう。
(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 隠岐 さや香 / 2026)
関連情報
コロナ禍を経て、専門知は何のため、誰のためにあるのか?『「専門家」とは誰か』(村上陽一郎編)より (じんぶん堂 2022年11月15日)
https://book.asahi.com/jinbun/article/14764974
書評:
野内玲 (広島大学) 評 (『大学論集』57号p.85-87 2024年3月)
https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2024295
イベント:
オンラインイベント「専門家とは誰か~専門家と専門性の実態を問う」を開催します (local knowledge 編集部 2023年2月19日)
https://www.localknowledge.jp/2023/02/90/
【専門家とは何かー村上陽一郎】11月20日(金曜)19:00開始 新教養主義宣言・トークイベント(vol.12) (WirelessWireNews編集部 2020年11月20日)
https://wirelesswire.jp/2020/11/78056/

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