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第39回海と希望の学校―震災復興の先へ―

大気海洋研究所と社会科学研究所が取り組む地域連携プロジェクト――海をベースにローカルアイデンティティを再構築し、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み――です。東日本大震災からの復興を目的に岩手県大槌町の大気海洋研究所・大槌沿岸センターを舞台に始まった活動は、多くの共感を得て各地へ波及し始めています。

見えてきた次の高み

大気海洋研究所附属
国際・地域連携研究センター長/教授
青山 潤
青山 潤
第140回東京大学公開講座「災害」のチラシ。

先日終了した第140回東京大学公開講座のテーマは「災害」でした。最終日に行われた「危機を乗り越える」のパートでは、「海と希望の学校 in 三陸」の主要メンバーである社会科学研究所の玄田有史先生が、フランスの人類学者レヴィ=ストロースの著書『野生の思考』を引用して、アドリブや即興に通じる「ブリコラージュ」と、緻密な準備や確たる技術に裏打ちされた「エンジニアリング」の重要性について話をされました。

災害などが発生したときに求められるのは、まず被害を最小限に食い止めること(救助・避難)、次にいち早く通常状態を取り戻すこと(復旧)、そしてその先により良いものを創造すること(復興)です。この一連の流れにおいて、その初期であればあるほど人材や資機材、インフラなどの不足に加え、緊急性という時間的制約によって、次のステップへ進むために最も効果的な「エンジニアリング」を現場へ持ち込むことが困難な場合があります。時々刻々と変化する状況の中で、活用できる物や人などを瞬時に見極め、許される時間内に一定程度の成果を生み出す。そこで必要となるのが「ブリコラージュ」でしょう。TPOに応じたエンジニアリングとブリコラージュの使い分けこそが、不測の事態を乗り越える鍵であることに間違いありません。

5本のキャンドルが灯されたケーキの写真。
市民の方から贈られた海と希望の学校誕生記念ケーキ

思い返してみれば、10年前の大槌町には簡易食堂の立ち上げに尽力する金属加工職人や、泥だらけになって安全柵を設置する美術史家がいました。当時、地域で求められていたものが、ミクロン単位の金属加工や芸術的な知識ではなく、みんなが集える場所や子供たちが安全に歩ける道だったからです。そうした要望に対し、彼らは「専門家ではない」ことを理由に、その場に止まることを良しとしませんでした。誰かがやらなければならないと判断し、あえて一歩を踏み出したのです。たとえ専門的な知識や経験はなくとも、様々なアイデアをベースに、物や人、組織を動かして任務を遂行しました。すると、自然と多くの人たちが集まり、あっという間に素晴らしい成果が生まれました。これこそ「ブリコラージュ」の力だったと思います。

大気海洋研究所・大槌沿岸センターを中心に展開してきた「海と希望の学校in 三陸」では、ローカルアイデンティティの再構築を目的として、初等中等教育や地域振興策など多岐にわたる地域課題に関わってきました。これらに関する知識も経験も、ほとんどないにも関わらずです。これが受け入れられた背景には、東日本大震災後の三陸沿岸では、高度な専門性に基づく「エンジニアリング」より、むしろ臨機応変な対応が可能となる「ブリコラージュ」的なアプローチが適していたからだと考えています。我々のやり方は、専門家から見れば突拍子も無い、非効率なものだったかもしれません。しかし、だからこそ切り開く楽しさがエネルギーとなって、前に進むことができたのだと思います。

震災から14年が過ぎた現在、復興がどこまで進んだのかは議論が分かれるところです。しかし、最近では我々の「ブリコラージュ」をはるかに越えた圧倒的な専門性、すなわち「エンジニアリング」が必要とされる場面に出くわす機会が急激に増えてきました。心のどこかに寂しさはありますが、これはこれで喜ぶべき事態の進展です。「海と希望の学校 in 三陸」は、そろそろこれまでと異なるローカルアイデンティティの再構築へ舵を切るところに差し掛かっているのかもしれません。

岩手県上閉伊郡大槌町の現在の家々と山々の全景。
震災から14年が経過した大槌町中心部(町方地区)
青い空と太陽が海を照らす美しい大槌湾の風景。
穏やかな大槌湾の一コマ
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UTokyo バリアフリー最前線!第37回

障害がある職員のお仕事拝見⑫弥生・環境整備チームの巻
ことだまくん

「ブルドーザー」方式で落葉収集

2020年4月に発足した弥生・環境整備チーム。弥生キャンパスの屋外の清掃を担当する、障害のある職員4人とコーディネーター3人のチームです。主な作業は、落ち葉や枯れ枝、ゴミなどを回収、分別処理など。1週間かけて弥生キャンパスを回り、環境美化に務めています。

暑い日が続く夏の作業で気を付けているのが、熱中症対策です。塩分や水分の補給をし、日陰を利用しながら作業するといった工夫をしています。今年から空調服が配布されたので、暑さが緩和されるのではと期待しているそうです。そして、暑い夏が終わるとやってくるのが落ち葉の季節。銀杏との戦いです。

「銀杏の季節は大変です。実も回収しますが、ゴミ袋いっぱいに入れてしまうとすごく重くなるので、3分の1までと決めています」と話すのは2021年に入職した田中晃嗣さん。

大量に落ちる葉は、「ブルドーザー方式」と呼んでいるやり方で集めていくとか。「テミ(大きいちりとり)を使って、落ち葉をブルドーザーのように壁に向かって押し、集めて回収します」と話すのはチームが発足した年に入職した鈴木陽之介さん。

やっかいなのが雨が降った後の清掃です。「落ち葉や銀杏が濡れた地面にくっついてしまうので、ホウキをスコップのように使って押し出すように集めています」と説明するのは今年で4年目の林颯亮さん。

大雨の日や、熱中症警戒アラートが出る日は室内で勉強会を行っていますが、4人とも外での作業の方が好きだそうです。桜が満開になる時期はとてもきれいなので、整ったキャンパスと桜を楽しんでほしいと話すのは2020年に入職した冨岡真さん。「私たちのチームが清掃して弥生キャンパスを綺麗にしているということを知ってもらえると嬉しいです」

チームの目標は弥生キャンパスの環境美化活動の「プロフェッショナル」になること。今年も安全に気を配りながら、チームで協力して環境整備につとめていきます。

青い制服を着た弥生・環境整備チームが清掃を行う様子。
効率よく落ち葉などを掃き、収集していく4人のスタッフ。
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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第57回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

東大って、いつから「東大」?

「東大」の受領印の写真。

日本の組織では、外部から文書を受け取ると、受け取った部署と日付を記録するため、その片隅に受領印を捺します。ここに挙げた写真は典型的な受領印です。さて、このハンコ、いつの時代のものだと思いますか?

実はこれは昭和4(1929)年1月30日のものです(『諸向往復昭和四年』(S0004/67)より)。つい最近押したかのようなクリアな印影であることにも驚きますが、それ以上に「東大」という略称が戦前から使われていたことは驚きでした。え、東京「帝国」大学時代にも略称は「東大」だったんだ?!

日本に制度上公式の大学が東京大学だけだった時代は、「大学」とだけ言えば用が足りました。明治30(1897)年に京都にも帝国大学ができて、はじめて二つの大学を区別する必要が生じます。略称としてはたとえば「東帝大」あたりを思いつきますが、定着したのは「帝」をぬいた「東大」だったということでしょうか。いや、これはハンコのスペース節約のための特別な表記かもしれません。少し他の資料を探ってみましょう。

文学部哲学科教授の井上哲次郎の日記には、大正4(1915)年10月18日に「夜、京大文科大学教授等の為に…」との記載があります(〔巽軒日記〕大正四年〔(西暦一九一五)下半期〕(F0005/01/0023))。また、京都帝国大学総長を務めた羽田亨の日記には、昭和18(1943)年9月27日に「午后東大を訪ひ…」という記載があり、他にも「阪大」「名大」も出てきます(京都大学大学文書館『羽田亨日記』)。日記には著者としての自然な言葉遣いが出ると考えられますので、これらの表記は日常的に使われ定着していたものと考えてよいでしょう。旧帝国大学の今も使われる略称は、それぞれの大学が設置された早い段階に生み出され、広く使われていたのですね。

さて「東大」です。引き続き、できるだけ古い用例を探ってみたいと思います。

(准教授・森本祥子)

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第231回

本部人事企画課
人事情報マネジメントチーム
永岩修也

制度とシステムの「橋渡し」

永岩修也
職場は本部棟6F。物性犬とペンギンが癒し

「人事システムの管理」がオシゴトです。…と言うとハテナ?の反応をよく受けます。

打刻や休暇申請、評価、年末調整の申請…と言えば、教職員の方は馴染みがあるかもしれません。また裏側では、大学のどこに誰がいるか管理して、人事異動や給与計算を行うための事務システムも組織に不可欠です。そうした「人」を扱うシステムがうまく動くよう、日々メンテナンスをする仕事をしています。

具体的には、システムトラブルの対応や設定の修正、新しい制度に合わせた設定の組立(激ムズ!)など、制度・システムの両方と格闘しています。東大には沢山の人がいて、人事の制度も驚くほど複雑ですが、それを工夫してシステムに落とし込む「橋渡し」のような役目かな、とも思っています。

所属2年目の今は、画面UIの改善や新機能を活用したDXにも挑戦中です。システムを通して大学をちょっとでも働きやすい場所にできたら、と思いながら明日もがんばります!

四つのキャラクタードーナツが詰められた箱の写真。
最近のスイーツ報告。目指せ百名店制覇
得意ワザ:
何もないところでもこけます。特に本部棟
自分の性格:
アフタヌーンティーに一人で行けます
次回執筆者のご指名:
小川謙也さん
次回執筆者との関係:
初めてランチした後輩。仲良し!
次回執筆者の紹介:
愛され上手な若手のホープ!
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう第47回

文書館
助教
元 ナミ

文書館のデジタルアーカイブ

東京大学文書館では、本学にとって歴史的に重要な法人文書(特定歴史公文書等)や、前身組織を含む関係団体・個人から寄贈・寄託された歴史的・文化的資料(歴史資料等)の整理を進めるとともに、資料目録や一部資料の画像を「東京大学文書館デジタル・アーカイブ」で公開しています。

公開資料の多くは、2017年に開始された「東京大学デジタルアーカイブズ構築事業」により、毎年計画的にデジタル化が進められてきたものです。現在は、『文部省往復』『官庁往復』などの「特定歴史公文書等」に加え、「歴史資料等」の一部についてもデジタル化と公開を進めています。

その中には、東京帝国大学工学部建築学科の教授兼営繕課長として本学の総合図書館や大講堂(安田講堂)の設計に加え、関東大震災後の本郷キャンパス復興計画の中心を担い、のちに総長となった内田祥三(うちだよしかず)が残した『内田祥三関係資料』があります。本資料には、総長在任中の業務に関する控えやメモ類なども含まれています。

大学の会議で配布された資料に手書きのメモが書かれている文書の写真。
『内田祥三関係資料』のうち、『評議会 昭和十三年 其二』(F0004/A/03/02)より一部抜粋

たとえば、大学の会議では、内容を整理した正式な議事録が後から清書されて保管されます。一方、内田が個人で残していた控えには、会議で配布された資料に加えて、その場で細かく書き込まれたメモや意見、やり取りの記録なども含まれています。こうした資料からは、教育や研究に関する意思決定の過程や、当時の大学運営に関わった人々の思考をうかがい知ることができます。

これらの資料は、東京大学の歴史を多角的・立体的に読み解くうえで貴重な研究資源です。ぜひ文書館デジタルアーカイブをご覧いただき、研究や教育にお役立てください。

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インタープリターズ・バイブル第216回

総合文化研究科 教授
科学技術コミュニケーション部門
松田恭幸

研究はどこまで「透明」にできるのか?

科学コミュニケーションの一つの方法として、研究者が研究している様子をそのまま見せようという試みがある。研究者が、必ずしも正しいとは限らない新しいアイデアを共同研究者と議論・展開していく様子を実見することで、科学の本質ともいえる新しい知を生み出すプロセスを理解してもらおうというものである。また近年には、公的な研究資金を用いた論文成果とそのエビデンスとなるデータを公開することで、研究の透明性を確保するとともに、新たな知の創出を促進する「学術情報のオープン化」が謳われてもいる。この考え方を発展させて、論文になっていない研究データについても研究者間で共有することでデータ駆動型の研究を進めようという提案もある。

一方で研究活動においては、意見交換が互いに対等な立場で行われ、同じ分野の研究者を含めて他人から発言が非難されることはないという「心理的安全性」が重要である。公開されない意見交換を行うチャンネル(非公開の研究打ち合わせ、当事者間の電子メールのやりとりなど)があることは、こうした環境を作るために役立っている面もある。では、研究者の研究活動において、何が公開されるべきであり、何が非公開とされるべきなのだろう?

こんなことを考えたのは、アメリカでは研究者への政治的な攻撃手段とも受け取れるような情報公開請求が行われることがあり、未発表の研究データや共同研究者との電子メールのやり取り、携帯電話の通話記録などの公開を求める事例があることを知ったからである。裁判になった場合の判断は、州法の違いもあって分かれており、研究記録等の公開は研究者間の自由な意見交換を阻害し「当該大学の研究競争力を低下させる」という理由で原告の訴えを却下するケースもあれば、原告の訴えに公益性を認め、研究者が大学に雇用されて以降の電子メール全ての公開を命じたケースもあるようだ。

大学が「人類社会が直面する地球規模の課題への貢献」に向けて「大学として」取り組むことを謳うとき、「研究者は独立して研究を行っており、研究データや研究上のやりとりは研究者個人のものであって大学の文書ではない」というようなナイーブな立場をとるのは難しいようにも思われる。だが、人類社会が直面する地球規模の課題は往々にして社会的な関心が高いテーマでもあり、日本でも研究者が政治的な対立・分断に巻き込まれてしまう可能性はある。アメリカのような情報公開請求が行われた場合に、どのような根拠でどこに線を引くか、あらかじめ考えておく必要がありそうに思われる。

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ききんの「き」 寄附でつくる東大の未来第70回

ディベロップメントオフィス
シニアディレクター
播 真純

感謝と成果、未来の共有

7月9日、「東京大学基金活動報告会&感謝の集い2025」を本郷キャンパスの安田講堂にて開催しました。本会は、前年度に東大基金に寄付してくださった方々をお招きし、基金の活動を報告するとともに、総長から直接感謝の意を伝える年に一度の大切な機会です。今年のスローガンは「心より感謝を込めて、東大の未来を共に」。猛暑の中、200名以上の寄付者にご来場いただきました。はじめに、「UTokyo NEXT150」寄付者を対象とした感謝状贈呈式を実施。岡部徹副本部長が一人ひとりに感謝を込めて感謝状を手渡しました。続く基金報告会では、藤井輝夫総長からの挨拶、津田敦理事・副学長による2024年度活動報告、菅野暁理事(CFO)による「『悩める東大』の挑戦。~次なる150年を見据えた財務戦略とは?」と題したプレゼンが行われました。さらに、2つの基金プロジェクト、UTokyoインクルーシブ・キャンパス構築プロジェクトと東京大学制作展クリエイターズ基金からの報告があり、寄付の成果と謝意を直接お伝えしました。

お土産のどら焼きとお茶のペットボトルが並んでいる写真。
UTCCどら焼きも入ったお土産

また回廊では、恒例の銘板見学会のほか、「感謝の集い~UTokyo FUN Meeting~」として、様々な基金プロジェクトによるポスターセッションを実施。多くの寄付者が興味深く展示を見学され、寄付によって生み出された成果をお伝えする貴重な場となりました。基金報告会終了後は、4階ロビーにて感謝の気持ちを込めたスペシャルなお土産を手渡すとともに、役員と寄付者との対話の場を設け、交流を深めました。参加者からは、「大学全体のことを見聞きする時間が得られるのも貴重だと思いました」「お土産も頂き、いろいろな活動が知れ、こんなに楽しい会だとは思わなかった。また違う寄付もしてみようと思う良い機会だった」等の感想がありました。本会は単なる「感謝を伝える」場にとどまらず、これからも絆を深め「東大の未来を共に創る」という想いを込めた重要な機会であり、寄付者と大学の継続的な繋がりを育む大切な場。皆様のご支援に改めて感謝し、より良い大学づくりにまい進する決意を新たにした1日でした。

学生が大画面の前に立ちプレゼンを実施している様子。
東京大学制作展クリエイターズ基金では学生がプレゼンを実施
人々が集まり談話している様子。
大盛況だったプロジェクトブース