第1190回淡青評論

七徳堂鬼瓦

女性活躍の「一丁目一番地」を問い直す

昨今、あらゆる組織において「女性活躍」が最優先事項、いわゆる一丁目一番地の施策として掲げられている。大学・研究の世界も例外ではない。私自身、理系大学教員であり研究者という立場上、女性比率の向上といった役目を頂く機会が多々ある。ハラスメント対応など、同性の視点がなければ不適切な場があるのも事実であり、その役割の重要性は大いにあると思う。しかし、この「活躍」という旗印の下で、現場の研究者が抱える負担が、本来あるべき姿から少しずつ乖離し始めているのではないかという懸念がある。

最大の問題は、絶対数の少ない女性研究者が、学内の運営業務や政府系委員会の役割に奔走し、本業であるはずの研究時間を削られている現状である。女性活躍を推進するための仕事が、皮肉にも女性の研究実績を阻害するという構造的な矛盾が生じている。これでは、次代を担う若手が先輩の背中を見たとき、そこに映るのは憧れの「研究のロールモデル」ではなく、役割に忙殺される「雑用のロールモデル」となってしまう。そのようなキャリアパスを、合理的判断を持つ後継者が望むとは考えにくいのである。

かといって、支援のあり方も一筋縄ではいかない。例えば、競争的資金などで女性を安易に優遇すれば、同業の研究者たちの間でも「実力ではない」という不公平感を醸成し、当の女性たちも、そのような視線に晒される立場を敬遠するだろう。結果として、実力主義に基づいた健全な後継者育成を阻むことになりかねない。今求められているのは、単なる数合わせの優遇ではなく、研究者としての本分を支えるための、より大胆なリソース配分ではないか。具体的には、女性限定の巨額な競争的資金の創設や、学内の雑務を免除して研究だけに専念できる特別枠の設置といった、環境への直接的な介入である。忖度ではなく、圧倒的な成果を出すための「投資」として時間や資金を保障することこそが、本質的な支援とならないだろうか。

先人たちの尽力により様々な基盤や環境が整備された段階を経て、今、私たちはその実効性を問われる局面に立っている。単に会議体の席を女性で埋めるだけの形式主義は、かえって研究の現場に歪みを生じさせている。重要なのは、数値目標の背後にある「研究者がその専門性を最大限に発揮できる環境の構築」という本質に立ち返るべきではないだろうか。研究活動の質的向上を目的とした構造改革こそが、名実ともに最優先されるべき「一丁目一番地」と感じるところである。

山口利恵
(情報理工学系研究科)

Challengers for Changes