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コルクのような質感の黄土色の表紙

書籍名

正法眼蔵入門

著者名

頼住 光子

判型など

240ページ、文庫判

言語

日本語

発行年月日

2014年12月25日

ISBN コード

978-4-04-408911-5

出版社

角川ソフィア文庫 (株式会社KADOKAWA)

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正法眼蔵入門

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本書は、「日本思想史上最高の哲学者」とも言われる道元の主著『正法眼蔵』の思想を解明しようとしたものである。その際にあくまでも道元自身の文章に即して読み解くことをこころがけた。『正法眼蔵』の文章は難解をもって知られているが、本書の中でも触れたように、その難解さは、読み手が無自覚に持ってしまっている認識の前提を揺さ振り、新たな世界像を提示するために必然的に要請されるものである。難解さを、こちら側の常識によって勝手に薄めてしまうことなく正面から受けとめ、あくまでも『正法眼蔵』に即して道元の理路を探りつつ道元の世界に少しでも近付くことができればという思いが本書を貫いている。
 
特に、序章は、「現成公案」巻の読解をてがかりとしながら、道元の思想の私なりの基本理解を示した。道元自らの手で『正法眼蔵』全七五巻の第一巻に据えられた「現成公案」巻は、『正法眼蔵』のいわば序にあたるもので、道元が俗人の弟子である楊光秀のために書き与えたという来歴をもつ。初心者を道元の仏道の世界に導くという明確な意図をもつとともに、道元自身による『正法眼蔵』全巻の簡潔な総括でもある。「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証 (しょう) せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」という道元のよく知られた言葉の読解を通じて、「自他一如」(自己と他者や世界との一体性) の「場」を浮かび上がらせ、道元の世界に近付く第一歩とした。
 
それに続く第1~5章においては、道元の言語観、認識論、時間論、修証 (さとりと修行)論などにフォーカスしながら、その世界観、存在論を浮き彫りにした。
 
そして、補論においては、『正法眼蔵』中で質量ともに最も充実した巻と言っても過言ではない「仏性」巻について検討した。大乗仏教思想の中でも重要かつ問題を含んだ「仏性」について述べた「仏性」巻の冒頭で道元が取り上げるのが、『大般涅槃経』の「一切衆生悉有仏性」という一節である。これは通常は「一切の衆生が仏性を有する」と理解されるが、道元はこれに対して「悉有は仏性なり」「悉有の一悉を衆生といふ」「仏性の悉有なり」という漢文としては異例の読みをほどこす。つまり、「一切は衆生であり(また衆生は一切であり)、悉有 (しつう =「一切即一」「自他一如」としての存在) である」というのである。そして、それを通じて、私たちが前提としている要素還元主義的存在論を、関係主義的な、つまり「無自性 - 空 - 縁起」としての存在理解へと変換させようとする。『正法眼蔵』を読むとは、わたしたちの認識を縛る固定化された存在理解を流動化させ、世界のリアリティへと開いていく営為であるといえるのだ。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 頼住 光子 / 2017)

本の目次

序章 道元思想の基底 -『正法眼蔵』巻頭、「現成公案」巻をよむ
第1章 真理と言葉
第2章 言葉と空
第3章 自己と世界
第4章 「さとり」と修行
第5章 時・自己・存在
補論 道元の「仏性」思想
コラム(1) 西洋哲学と道元禅 -「エアアイグニス」と「性起」の間
コラム(2) 道元の死生観
コラム(3) 道元を変えた老典座との出会い
巻末資料I 道元小伝
巻末資料II 読書案内

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