東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

ライトグリーンの色の表紙、右にトマスの人物イラスト

書籍名

トマス・アクィナスにおける人格 (ペルソナ) の存在論

著者名

山本 芳久

判型など

368ページ、菊判

言語

日本語

発行年月日

2013年1月15日

ISBN コード

978-4-86-285145-1

出版社

知泉書館

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拙著『トマス・アクィナスにおける人格 (ペルソナ) の存在論』のキーワードになっている「ペルソナ (persona)」というラテン語は、もともとは、三位一体論とキリスト論という密接に結びついた二つの神学的な問題のなかで生まれてきた概念です。
 
「三位一体」とは、古代末期の教義論争のなかで成立したキリスト教の基本的な教えの一つです。一言で言うと、それは、「父なる神」と「子なる神」と「聖霊なる神」が、それぞれ自立した存在 -- これが「ペルソナ」という言葉によって指示されます -- でありながら、「本質」は一つである、ということを意味しています。このような経緯で成立したペルソナ概念は、後に、キリスト教の教義との明示的なつながりを失い、哲学、法学、心理学、社会学などの諸分野における専門的な概念として、また、卑近な日常用語として、使われるようになりました。日本語では、神学的文脈で使われるときには「位格」と訳され、人間論の文脈で使われるときには「人格」と訳されます。
 
三位一体論など、キリスト教という一宗教に特殊な教義にすぎないのであって、自分には関係ないと思う人も多いかもしれません。ですが、「人格」という、キリスト教世界ではない日本でも日常的に使われる言葉は、もともと、キリスト教神学における論争のただなかから生まれてきたものなのです。我が国においては一般的には馴染みのないキリスト教神学を背景に置きながら人間について考察しなおすことによって、人間についての理解に新たな広がりと深まりを見出すことができるのではないか、そしてまた、キリスト教神学という学問の魅力を多くの人に伝えることができるのではないか、そのような着想が、本書の執筆へと私を導いていきました。
 
「父なる神」と「子なる神」と「聖霊なる神」は、それぞれ自立した存在 --「ペルソナ」--でありながら、切り離すことのできない密接な関係性のうちに存在しているというのが「三位一体論」の基本的な教説です。ここにおいては、「自立性」と「関係性」という、緊張関係のうちにあるものとして捉えられがちな二つの在り方が両立する地平が示唆されています。このような在り方は、「関係的な自立性」または「自立的な関係性」と名づけることができます。
 
トマス自身は、あくまでも、ペルソナの「関係的な自立性」を神学的な文脈に即して語り出していますが、これを人間論にも応用することによって、トマスが明示的にはまとまった仕方で発展させることのなかったペルソナ概念の人間論的・倫理学的な側面を、トマスのテクストに即しつつも、単なる要約的紹介ではなく、より発展的・創造的に完成させることが、本書の内容になっています。
 
人間存在は自己完結的ではなく、他者や他の諸事物との関係形成のなかで、自己自身を乗り超えつつ新しい自己を形成していくことができます。そしてそのことによって自らの自立性を失うのではなく、豊かな関係形成の中で自らの自立性を新たなより優れた形で深めながら維持していくことができます。自己の自立性は、他者や他の諸事物との多様で重層的な諸々の関係性を可能にするとともに、逆にそれらによって養われもする、という力動的で両義的な在り方を有しているのです。
 
「他者に依存したり支配されたりすることなく自立した人生を送りたい」と同時に、「他者と深く関わりながら生きたい」という緊張関係にある二つの欲求を統合して豊かな人生を送りたいと考えている全ての人々に本書が一つの示唆を与えることができればと願っています。

 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 山本 芳久 / 2017)

本の目次

序論

第I部 理性的実体としての人ペルソナ格の基本的構造

第一章 人間論的概念としてのペルソナの輪郭
  序
  第1 節 ペルソナと理性:ペルソナの自己支配
  第2 節 はたらきの基体としてのペルソナ
  第3 節 所与としての完全性と課題としての完全性
  第4 節 神のペルソナと人間のペルソナ:「知性」と「理性」
  結論

第二章 人格(ペルソナ)の自己根源性:被造物としての人間の自立性
  序
  第1 節 『神学大全』における人間論の位置づけ
  第2 節 「原因性」を付与するより高次の「原因性」としての「創造」
  第3 節 第一作用者と第二次作用者との関係の分析
  第4 節 「原因性」と自己根源性の相違
  結論 意志的能力の二重構造の示唆している人間の関係的な自立性

第II部 存在充足としての認識活動

第三章 知性認識における人格(ペルソナ)の自立性と関係性
  序
  第1 節 魂の本質(essentia)と諸能力(potentiae)との区別
  第2 節 ペルソナにおける存在とはたらき
  第3 節 知性認識における自立性と関係性
  結論

第四章 神認識における人格(ペルソナ)の自立性と関係性:神の把握不可能性の含意するもの
  序
  第1 節 カール・ラーナーの解釈への批判
  第2 節 自然的理性による神認識の限界
  第3 節 神の把握可能性と把握不可能性
  第4 節 至福者の認識様態
  第5 節 神の把握不可能性の含意するもの
  結論 「把握」の場合分けの持っている意味

第五章 トマスの沈黙: 存在充実の徴としての沈黙
  序
  第1 節 人間理性の自己超越的構造
  第2 節 沈黙の次元への開き
  結論

第III部 存在充足の運動としての

第六章 根源的な受動性としての愛:人格(ペルソナ)の全体性における情念の意味
  序
  第1 節 情念と倫理的な善悪
  第2 節 passio の意味の三区分
  第3 節 情念としての愛の特質
  第4 節 三種類の「一致」とその相互関係
  結論 受動的な情念から能動的・意志的な活動への転換

第七章 人格(ペルソナ)の相互関係:友愛における一性の存在論
  序
  第1 節 アリストテレス友愛論への依存と相違
  第2 節 自己愛と他者愛:一性の存在論による基礎づけ
  第3 節 自己性と他者性の相関関係
  第4 節 存在することとはたらきを為すこと:「善の自己拡散性」という観点から
  結論 愛における自己還帰性と自己伝達性

第八章 徳(virtus)としての愛(caritas):愛における人間の自立性と関係性
  序
  第1 節 ニーグレンのアガペー理解
  第2 節 「カリタス的総合」と「幸福論的な問い」
  第3 節 トマスのカリタス理解:「徳」としての「愛(カリタス)」

第IV部 存在充足の原理としての自然法

第九章 トマス自然法論の基本構造:自然法の第一原理
  序
  第1 節 トマス自然法論の基本構造
  第2 節 基本善の曖昧性の積極的意味:善き生の大まかな輪郭の描出
  第3 節 自然法と実定法の二元論の克服
  第4 節 人間理性の規範的性格
  結論

第十章 自然法と万民法:トマスからスアレスへ
  序
  第1 節 ローマ法における「万民法」概念の位置づけ
  第2 節 スアレスの万民法概念:「諸民族のあいだの法」と「諸民族の内部の法」
  第3 節 スアレスの自然法概念
  結語
 

関連情報

書評:
書評 (『カトリック研究』82号、pp198-207 2013年)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I024818808

ワークショップ:
Aquinas’ social ontology and natural law in perspective
Insights for and from the social sciences  (The Pontifical Academy of Social Sciences, バチカン市国 2024年3月7-8日)
https://www.pass.va/en/events/2024/aquinas.html

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