東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙に海水浴場の写真

書籍名

フクシマ以後の思想を求めて 日韓の原発・基地・歴史を歩く

著者名

徐 京植、 高橋 哲哉、 韓 洪九 (著)

判型など

328ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2014年2月

ISBN コード

9784582702996

出版社

平凡社

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

フクシマ以後の思想を求めて

英語版ページ指定

英語ページを見る

筆者は福島県で生まれ育ったこともあり、2011年3月11日に起きた東京電力福島第1原子力発電所の事故には人一倍大きな衝撃を受けた。チェルノブイリ原発事故を同時代的に知っていたにもかかわらず、日本で、それも自身の故郷で大事故が起こるとは正直想像もしていなかった。それを省みて、「原発」とは何かについて、科学者・技術者の専門的観点とは別に、思想的に深める試みをしなければと思った。本書は、そんな私が、在日朝鮮人の作家・徐京植(ソ・キョンシク)氏、韓国人の歴史家・韓洪九(ハン・ホング)氏とともに、福島の被災地から始めて日本と韓国のいくつかの場所を旅しながら、原発問題だけでなく北東アジアの現代史上の諸問題について、5回にわたって議論を続けた記録である。
 
福島原発事故は、単に「福島」の事故であるわけではない。「東日本」や「日本」の事故であるだけでもない。世界史的事件であるのみならず、その被害、影響、歴史的背景等を厳密に認識するためには、少なくとも東アジア地域の広がりの中で考察する必要があることを、私は本書に収めた対話から教えられた。
 
福島の被災地に立った後は、韓国・陝川 (ハプチョン) を訪ねた。「韓国のヒロシマ」と呼ばれ、広島・長崎の朝鮮人被爆者で韓国に戻った人びとが多く暮らしてきた町である。ソウル、東京を経て韓国・済州 (チェジュ) 島へ渡った。1948年に始まる四・三事件 (戒厳令下で韓国の軍・警察等が島民約5万人を虐殺したとされる) の現場であり、韓国海軍の軍港建設に揺れる江汀 (カンジョン) 村も訪れた。そして、沖縄。原発のない沖縄だが、戦後、日本復帰前の米国施政権下では、最大時1300発もの核爆弾が貯蔵されていたという。
 
広島・長崎から朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て、今日「朝鮮半島の非核化」が大問題となるまで、核兵器問題と無関係の「核の平和利用」などないことが、さまざまな考察を通して理解されてくる。
 
核兵器の甚大な被害を受けた日本がどうして「原発大国」になったのか。広島・長崎で約7万人もの被爆者を出した韓国で、米国の原爆投下を支持する人が約6割にも上るのはなぜなのか。福島の事故は日本にとって「第二の敗戦」と言われながら、日本政府がすみやかに原発推進政策に復帰しようとするのはなぜか。日本の民主主義と韓国の民主主義はどう違うのか。その違いは両国民の「核」に対する態度にどのように影響するだろうか、等々。

「嫌韓」やヘイトスピーチ等、日韓間のネガティヴな話題には事欠かない昨今だが、福島原発事故をめぐって日韓の人文系研究者が深く交流、議論した記録として、参考にしていただければ幸いである。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 高橋 哲哉 / 2018)

本の目次

序 再生か更生か―3・11以後が問うているもの
第1章  福島―2011年11月6日 福島市にて
第2章  陝川とソウル―2012年3月25日 陝川・ソウルにて
第3章  東京―2012年5月20日 東京大学 (駒場) にて
第4章  済州島とソウル―2012年9月15日・16日 済州島・ソウルにて
第5章  沖縄―2012年12月23日 那覇市にて
あとがき
 

このページを読んだ人は、こんなページも見ています