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茶色の書籍カバー

書籍名

大日本近世史料 廣橋兼胤公武御用日記 十三

判型など

368ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2018年4月23日

ISBN コード

978-4-13-093053-6

出版社

東京大学出版会

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「大日本近世史料」とは、近世史研究を行う上で基礎となる史料を翻刻・校訂したシリーズです。その中の一つである『広橋兼胤公武御用日記』は、広橋兼胤 (正徳5年~天明元年、1715~1781) という江戸時代中期の公家が書き残した、「公武御用日記」という記録を編纂したものです。「公武御用日記」とは、朝廷 (公家) と幕府 (武家) との間の交渉を担当した、武家伝奏の職務日記のことを言います。兼胤は、寛延3年 (1750) から安永5年 (1776) までの長期にわたって武家伝奏を勤め、就任から退任2か月後までの27年間、「公武御用日記」を書き続けています。
 
江戸時代の武家伝奏は、公家の中から2名が選ばれ、幕末までに就任者は57名を数えます。彼等は幕府から役料を支給され、朝廷の要望を幕府に申し入れるとともに、京都所司代と連絡をとって幕府の意向を朝廷に伝え、摂政・関白とともに朝廷を内部から統制する役割を担いました。そのため、武家伝奏の職務日記である「公武御用日記」は、江戸時代の朝廷と幕府との関係 (朝幕関係) や朝廷・公家社会の有り様を研究する際の、基本史料となってくるのです。兼胤が武家伝奏に在任した江戸時代中期は、天皇・朝廷が幕府の統制下に組み込まれてゆく江戸時代初期や、天皇・朝廷が政治の表舞台に躍り出る幕末期と異なり、朝幕関係が安定していた時期であると考えられてきました。しかし、『広橋兼胤公武御用日記』が刊行されると、江戸時代前期に幕府によって構築された朝廷内の秩序が弛緩・動揺し、幕末の政治的状況の前提が準備された時期であることがわかってきました。『広橋兼胤公武御用日記』は、江戸時代初期や幕末期だけでなく、江戸時代中期の朝幕関係にも研究の関心が向けられ新たな研究が展開する、きっかけを提供した史料集なのです。高校教科書にも取り上げられている宝暦事件の詳細な経緯が記録されているのも、実はこの『広橋兼胤公武御用日記』なのです (既刊第七冊~第十冊に関係記事が掲載)。
 
また、兼胤の武家伝奏在任中には、現在最後の女帝である、後桜町天皇が皇位を継承しています (宝暦12年7月)。後桜町天皇は、弟の桃園天皇が22歳で急死し、甥に当たる皇嗣 (後の後桃園天皇) がまだ5歳であったことから、中継ぎとして皇位を継承することになります。『広橋兼胤公武御用日記』の前冊には、その際の朝廷首脳の判断や幕府との交渉が詳細に見えますが、本冊ではそれに続き、即位式や改元、大嘗祭に向けての準備に関する朝幕間の交渉記事が、豊富に収録されています。今から10年ちょっと前には、皇族の減少から女帝の可能性が議論されましたし、来年 (平成31年、2019年) には天皇の代替わり、改元が行われ、続いて即位式や大嘗祭も挙行されます。『広橋兼胤公武御用日記』の本冊・前冊に収録されている代替わりに関する記事は、現代の天皇・皇室のあり方について考える上での格好の素材ともなるのです。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 松澤 克行 / 2018)

本の目次

公武御用日記十七 宝暦13年8月~12月
公武御用日記十八 宝暦14年正月~4月
宝暦十四年東行之日記 宝暦14年正月~5月
公武御用日記十八 宝暦14年5月~明和元年11月
 

関連情報

書籍紹介:
刊行物紹介: 大日本近世史料 廣橋兼胤公武御用日記十三 (『東京大学史料編纂所報』第53号p.47-50)
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/53/pub_kinsei-hirohashi-13.html
 

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