「殺人など凶悪な犯罪に遭った遺族が、刑事裁判 (裁判員裁判) に参加して、被告人に質問したり、刑罰について意見したりすることをあなたはどう思いますか?」
授業で尋ねると、多くの学生から、自分は反対だという答えが返ってくる。その理由はほぼ次の3タイプに集約できるだろう。
1 裁判は公平中立であるべきだから
2 裁判は感情的であってはいけないから
3 一般市民である裁判員は遺族に同情して、被告人に厳しい刑罰を科してしまうから
どの大学・授業でも、さながら定型文のように挙げられる内容だが、これは学生に限った話ではない。被害者参加制度 ―― 重大犯罪の被害者や遺族が希望すれば、法廷で被告人質問や意見陳述ができる ―― の法案が2007年に国会で可決したとき、主要紙、司法関係者 (とくに弁護士) や刑法学者の多くはまったく同じ理由から制度に反対した。
ここで、少し立ち止まって考えてみてほしい。被害者の裁判参加に反対する声がこんなに多いということは、多くの人が、裁判は公平中立であるべきで、感情的であってはならず、被害者らに同情して刑罰を重くするのはもってのほかだと考えている、ということに他ならない。そうであれば、多くの人が、いざ自分が裁判員になったとしても、被害者らの言動には (意地でも) 影響されないようにするのではないだろうか。それならば前掲 (3) は取り越し苦労といえるのではないだろうか…。
疑問を抱いた筆者はある実験を行った。架空事件の裁判シナリオを大学生に読んでもらい、そこで描写された遺族の言動に「あなたはどれだけ影響されたか」と「あなた以外の裁判員はどれだけ影響されると思うか」を尋ねたのである。予想どおり、約8割の学生が、「自分は影響されない」が「他者は影響されるだろう」という非対称な認知を示した。これは、メディア心理学の領域では「第三者効果」として知られる認知バイアスの一種であり、社会通念上好ましくない情報に対して起こることが確認されている (たとえば、「“ナチスの大量虐殺”は捏造された歴史だ」という新聞記事に大方の大学生は第三者効果を示した)。
上の実験で明らかになったのは、第一に、歴史修正主義ともいうべきホロコースト否認と同じく (!)、法廷での被害者・遺族の発言が好ましくない情報と見なされていること、第二に、被害者参加制度への反対は、(自分以外の) 市民が被害者・遺族の言動に影響されるだろう、という認知バイアスに起因していることであった。本書の後半では、この発見から導出された次のふたつの仮説が、複数のシナリオ・映像実験によって検証される。
1) 前掲 (1) (2) の信念が弱い人は、遺族が裁判参加すると被告人の刑罰を重くする
2) 前掲 (1) (2) の信念が強い人は、遺族の裁判参加に関わらず同程度の刑罰を下す
実は、英米豪などの諸外国にも被害者参加制度に類似した制度が存在し、同様の問題意識を背景に、被害者らの裁判参加が一般人の刑罰決定に与える影響が重点的に検討されてきた。しかし、それらの結果は一貫していない。予測が支持されなかった実験は立証の失敗と見なされ、その頑健性やメカニズムが詳しく検討されることはなかった。本書では、裁判に対して個人が抱いている前掲 (1) (2) の信念の強弱によって、刑罰決定にはふたつの異なるパターンが生じることを明らかにし、過去の研究がなぜ一貫した結果を得られなかったのか説明することを最後に試みる。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 講師 白岩 祐子 / 2019)
本の目次
2章 市民をめぐる議論の陥穽
3章 裁判員としての市民の実像
4章 司法場面における第三者効果
5章 「理性的」な裁判信念と量刑判断
6章 裁判員としての市民の実像
コラム
1 PR映画からみえてくる制度の目的
2 被害者参加制度の効果検証
3 マイヤーズら (Myers & Arbuthnot, 1999) の研究の詳細
4 遺族が裁判で気をつけていること
5 第三者効果の規定因として動機に注目する理由
6 第三者効果とよく似た認知バイアス
7 プライスら (Price et al., 1998) の研究の詳細
8 司法や裁判における「感情」の役割
関連情報
2019年度日本社会心理学会賞 出版特別賞 (2019年)
http://www.socialpsychology.jp/award/award.html
著者インタビュー:
【考える広場】「裁判員」制度10年 (東京新聞 TOKYO Web 2019年5月11日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2019051102000231.html
2018年文科省科研費・研究成果公開促進費の助成による刊行