東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙

書籍名

感情と意味世界

著者名

松永 澄夫

判型など

288ページ、A5判、並製

言語

日本語

発行年月日

2016年7月15日

ISBN コード

978-4-7989-1370-4

出版社

東信堂

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感情と意味世界

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本書の眼目は、感情が人の経験においてどのような位置にあるのかを明らかにすることにある。その位置は、本書の表題「感情と意味世界」が告げているように、感情が意味世界と関わっていることに着目することによって明らかになる。というのも、人は動物の一種であるから、或る構造とそれに見合ったさまざまな機能をもつ体として物体環境の中で物的諸事象と交渉しつつ生きるのだが、それだけでなく意味世界をも生きるものであり、すると、感情の意味世界との関わりが示せるなら、意味世界の成立に関わる人間に特有の事柄と感情との関係も理解でき、人間の経験における感情の位置も明らかになることが期待できるわけだからである。
 
感情を非合理的なものとして理性と対立させ、受動的なものとして意思と対立させるという見方は多い。しかるに、その理性や意思というものは人が自律的で自由であることを可能にすると考えられているが、一体どのようにして成立しているのか明らかにしない限り言葉だけの上滑りの理解に留まる。洞察すべきは、感情、そして理性や意思と呼ばれるもの両方の根底には、共通に意味世界というものがあることである。意味世界は諸々の意味事象から成る世界として想像が開くもので、時間の推移とともにある物象やそれらの知覚という現実と違って、その都度の想像の働きによって内容を得る (ただし、その働きには反復がみられる)。
 
ところで、さまざまな意味事象はすべて或る価値を有している。そして一方で、その価値の感受の反響として感情が生まれる。他方で、気儘ではなく或る秩序を思い描こうとする種類の想像の働きが理性や思考というものの実質をなす。また、さまざまな意味事象の中のどれに重きをおくか、そこに或る制約の中での自由というものがある。
 
私たちの感情のほとんどは意味を経由して生まれるというということに気づかなければならない。悲しみでも憤りでも理由があって生まれ、理由は意味次元の事柄である。
 
理由があって感情が生まれるというと、進化論的感情論も、たとえば恐怖の感情が起きるのは逃げることが生存にとって有益だからだという理由を挙げる。しかし、この理由は恐怖を覚える人自身が気づく理由、意味を理解することで発見する理由ではない。また、人にとっての感情の重要性は何かに役立つゆえものではない。感情そのことが、人を人間らしく存在させているものなのである。というのも、感情は人一人ひとりのそのときどきの「私であること」の中心をなすものであるから。
 
なお、「私であること」との関連で一言。その根底には生き延びようと活動している体の現実があるが、しかし人は各自「自己像」をもつ。この自己像も、各自が紡ぐ意味世界の中で位置取りしつつ象 (かたど) るもので、自己像とともに人は時の推移を貫いて生きるものとして自己を主張する。そしてどのような自己像をもつか人は選べ、ここにも人の自由と希望がある。
 
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 名誉教授 松永 澄夫 / 2020)

本の目次

まえがき
第1章 「精神」という概念について (1) ――「精神医学と価値の問題」を契機として――
 
第1節 本章の主題と筆者の立ち位置
  (1) 本章の主題
  (2) 筆者の立ち位置

第2節 体の不調と医学
  (1) 体の不調と手当て・病気の概念
  (2) 体の病気と健康――本人の体験と生理学的根拠に基づく判断――
  (3) 「不調」「病気」「障害」「異常」の諸概念

第3節 精神の病という判断と価値の問題
  (1) 「精神科」という診療科名
  (2) 病の認識と負の価値の体験とは同じか・両者の分離の可能性
  (3) 「精神の病」を誰が認めるのか
  (4) 精神科医と患者 (1)
  (5) 精神科医と患者 (2)
  (6) 治療は何を目指すのか

第4節 いわゆる「精神世界」をどう考えるか
  (1) 物的世界・社会的環境・意味世界
  (2) 想像が生じさせる意味事象・意味世界の成立
  (3) 思考・価値の感受・感情・意志
  (4) 意味世界との関わり方を考える
  (5) 一人ひとりの意味世界とその動き――居合わせる人がどのように関与するのか・出会いの経験――
  (6) 新しさの到来
 
第2章 「精神」という概念について (2) ――「精神が自由である」という事態の実質は何か――
 
第1節 本章の主題
  (1) 精神科医が見いだす「自由の問題」
  (2) 自由ではない状態とは――自己が自己であるという課題――

第2節 人は意味と関わる
  (1) 摂食障害――感情が問題なのか・自己とは?―― 
  (2) 異常な望み?――何をどのように望むのか――
  (3) 現在の瞬間を越えたものとしての選択と意味
  (4) 意味事象と意味世界の成立
  (5) 食べることの意味と食べることにおける自由

第3節 感情と想像
  (1) 感情としてのその都度の自己・意味を経由して生まれる感情
  (2) 意味事象と想像の働き
  (3) 想像と意味世界の秩序

第4節 自己像
  (1) 自己の象 (かたど) り
  (2) 自己像と感情
  結語 精神が自由であるということ
 
第3章 自己像――意味世界を生きる――
 
  (1) 名乗る
  (2) 時の推移とともにある現実と意味次元
  (3) 意味世界を生きる
  (4) 変わりながら同じであるもの――「自己同一性」の二つの概念――
  (5) 過去の (評価による) 効力と人相互の関わり
  (6) 自己了解と他の人による理解
  (7) 「個人情報」
  (8) 自己
 
第4章 言葉と価値――意味世界は価値世界である――
 
本章の主題
第1節 語が抱え込む評価的響き
  (1) 言葉の作用――意味と評価的力――
  (2) 評価語――形容語――
  (3) 「男」と「男性」
  (4) 敬語法
  (5) 差別語――名詞――
  (6) 意味と価値
  (7) 複合語や比喩における評価的響きの成立
 
第2節 特定の人にむかって――諸価値が賭けられる言葉の現場――
  (1) 言葉の現場
  (2) 日常生活の中で
  (3) 心を映す言葉・心を開く言葉

第3節 言葉の影響下にあること
  (1) 大切な言葉・導きの言葉
  (2) 眩惑/幻惑する言葉――観念と感情――
  (3) 権威化する語・フレーズ――「共生」「多様性」という語の例――
  (4) 分かりやすさと価値表明――その裏側――
  (5) コマーシャル的な言葉との比較
  (6) 流行 (はや) り標語
  結び 言葉を受け取る者として・言葉を発する者として
 
第5章 感情と言葉
 
第1節 言葉への感情の表出、言葉による感情の誘発・喚起・宥静 (ゆうせい)
  (1) 言葉の作用
  (2) 感情を表出し (別の感情を) 誘発する言葉
  (3) 感情の喚起を狙う言葉・感情を宥め静める言葉

第2節 感情を表現する言葉
  (1) 感情は表出する・感情を表現する
  (2) 感情の数?と名前――感情研究者たちの前提――
  (3) 心の概念と感情の概念・感情の語彙
  (4) 心の描写――さまざまな比喩――
  (5) 感情の語彙の増殖と響き合いによる諸感情の位置取り (付 感情の反省と静謐化)
  (6) 感情の描写――響き合う比喩――

第3節 言葉から感情へ
  (1) 感情の想像、理解、共感の立ち位置を調べるという課題
  (2) 物語の中の恋・現実の恋
  (3) 現実の恋における「想像=物語」という要素
  (4) 想像による感情の二つの性格
  (5) 感情の想像から現実の感情へ
  (6) 言葉による応答と感情の湧出――歓びと哀しみ――
 
第6章 感情と意味世界――感情に関して「適切さ」を言うとはどういうことか、を切り口に――
 
第1節 問題提起
  (1) 怖がらなくていい
  (2) 感情一般の発生の理由が分かるということと適切さを言うことと
  (3) 人の感情と関わる
  (4) 問題の移りゆき

第2節 人の感情が分かるかという問い
  (1) 顔の表情その他を見る
  (2) 知覚と想像

第3節 回り道の考察――知覚から想像へ――
  (1) 色の特定
  (2) 色の帰属
  (3) 確定した具体的なものとして色を見る
  (4) 痛さの特定と痛さの想像
  (5) 体の知覚と痛さの想像

第4節 感情の特定と人の有りよう
  (1) 感情の特定
  (2) 或るときの人の有り方のさまざまと感情
  (3) 感情を気にすることは人の或るときの存在の有りようの質を気にすること

第5節 理解・分類・想像
  (1) 感情の多様性の特徴――感情ではない要素が入り込んでくる?――
  (2) 同じ・似ている・違う――分類の原理――
  (3) 人が見ている黄色がどのようなものであるかを理解することと、人が懐いている感情がどのようなものであるかを理解すること
  (4) 他の人の感情の想像・自分の感情の理解・一人称の感情経験

第6節 理解としての想像を導くもの
  (1) 表情の分類と感情の種別化
  (2) 色を見て味が分かること・体 (体の一部) を見て分かることのさまざま
  (3) 表情 (体の一部としての顔) を見て分かる事柄の二種

第7節 状況という概念
  (1) 表情と反復的に結びつくもの
  (2) 状況とは意味的なものである――恐怖の感情の生起に関して「危険」の概念を持ち出すことを手掛かりに――
  (3) 意味と意味の妥当性

第8節 己の有りようを感情として理解する
  (1) 意味の感受によって生じる諸感情
  (2) 「恐怖反応」と恐怖感情
  (3) 男の子の場合――体の感覚・そして自らの有りようを感情として理解することへ――
  (4) 意味の感受――判断・感情・体の感覚――
  (5) 体の反応の種別化
  (6) 感受する意味内容の違いと感情の種別化

第9節 感情自身を意味世界の中に位置づける
  (1) 感情の理解と種別化・感情を表す言葉
  (2) 感情が生まれる理由と感情が果たす役割とを述べてみること
  (3) 感情に適切さを言うこと
  (4) さまざまな連鎖[1]――意味-感情-感情の意味事象化-感情――
  (5) さまざまな連鎖[2]――意味-感情、意味-[感情+行動]? 意味-感情-感情の意味事象化-行動、行動による感情の変容 (減衰) もしくは持続――
  (6) なぜ「適切さ・不適切さ」が中心となるのか

 

関連情報

受賞歴:
『哲学の歴史』前者12卷、別巻1巻 (中央公論新社、2007~2008年) の編集委員として、第62回毎日出版文化賞特別賞受賞 (2008年)

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