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書籍名

経験のエレメント 体の知覚空間と物象の知覚・質と空間規定

著者名

松永 澄夫

判型など

488ページ、A5判、並製

言語

日本語

発行年月日

2015年10月30日

ISBN コード

978-4-7989-1319-3

出版社

東信堂

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経験のエレメント

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私たちは普通、林檎の赤さと体の痛みも何となく「感覚」の概念で捉える。しかし両者には共通点もあるが別ものだ。両者を同じ性格のものとする感覚の生理学には明白な理由がある。刺激とその受容器の存在を対 (つい) にして考えることが探究に役立つという理由である。また、情報の概念を濫用する今日の脳科学も感覚を、感覚受容器で受け取った刺激のデータの形式を変えることで脳や神経中枢が作りだしたものとして考えている。そこで生理学も脳科学も感覚を何か広がりをもたないものであるかのように考えるが、これは自らの立論の前提とは矛盾している。そしてその前提を救い出し実情に合わせるために感覚は物体や体に投射されるという言葉だけの解決を与える。しかるにその共通の構図は17世紀のデカルトに始まる観念論の影響下にある。そこでこの観念論の成り立ちの解明が必要である。
 
デカルトは、数学などの知的認識の際に働く思惟の概念を、心理的な概念である意識の概念を利用して拡張し、次いで意識の概念を思惟の概念に従属させた。その結果、意識の概念は心理的なものゆえに意識する自己の存在を含意するのは当然である一方で自己ならざる存在するものに届いているのに、この届きがないものとして処理するに至った。これが観念論の構図であり、以降、哲学は自己と自己ではない存在との結びつきを確保しようとして四苦八苦してきた。そこには古来の哲学における認識論の偏重ということも働いている。
 
ところで私たちは、自分の体と体の外の存在との区別と同時に両者が同じ性質の存在であることを認めて暮らしている。両者の区別は色のような林檎のような外的物象に帰属することが一般的な知覚的質と、痛みのような体の事柄である感覚との違いにおいて明らかである。そして両者とも或る広がりの中でどの場所のものが問題であるかを教えてくれる。林檎は手が届きそうなテーブルの上に、痛みは肩に、という具合だ。他方、両者の共通点は、たとえば私たちが氷に触れるとき、何か冷たいものに指で触れたとしてその何かを発見するということと、触れた指が冷たく感じられるということ、別の指で触れると今度はその指が冷たいというような場合に顕わになる。知覚と感覚との分化は、体の側の能動的な有り方でもある人の行動とはどのようなものかということによって主導されている。以上の事情をさまざまな経験の有りようを追究する仕方で明らかにしたのが本書である。
 
では、なぜ「経験のエレメント」か。私たちは実は体として環境を生きるだけでなく、意味の世界をも生きている。生存のために必要だという価値をもつ食べ物も、それを食べることの意味がどのようなものであるかから生まれる価値のもとで対処するほどである。しかるに、意味世界が開かれる前の前提としての経験、それが体の感覚と物象の知覚であり、両者が共通に位置する広がりと人の行動の経験である。そこで、これらを「経験のエレメント」と呼び、本書の主要考察対象とした。

 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 名誉教授 松永 澄夫 / 2020)

本の目次

経験のエレメント――体の感覚と物象の知覚・それらの空間性――
はしがきに代えて
 
第1章 色の特定
 
第1節  色の帰属
  (1) 「色はものの性質でも光の性質でもなく心の産物である」という考え
  (2) 色が見えるために必要なもの
  (3) 物と色――物への通路としての色・色を見たり作り出したりする最も簡単な方法――
  (4) 物とその性質――関係的なものであるゆえに潜在的な場合も多い――
  (5) 光と色
  (6) 知覚対象と知覚的質――行動の原理に従う分節――
  (7) 音と音の出所――関係的なものである性質の帰属先は行動の原理に従う――
 
第2節 色は見る人において生じるという考え
  (1) 見る人によって見える色は違うという考え
  (2) 特定の色にこだわるとき
  (3) 見る人の違いに注意を払うとき
 
第3節 「花子の赤」「太郎の赤」「薔薇の赤」
  (1) 色を特定する仕方
  (2) 「花子の赤」と「太郎の赤」とを比べるとは?
  (3) 見る色と想像する色――ものの色・心の中の色――
 
第2章 視覚の生理学と脳科学
 
第1節  生理学における「色は感覚である」という考え
  (1) 生理学における〈感覚〉の概念――刺激の受容によって生じるもの――
  (2) 色の生理学――適刺激としての光に対応する色の <感覚> ――
  (3) 光の消去――特殊神経エネルギーの法則・感覚神経系が前面に出る――
  (4) 色をもたない物に色を見る――終点から出発点への「投射」という概念――
 
第2節 視覚の生理学と脳科学とによる空間規定の扱いおよび情報概念の駆使
  (1) 生理学によって前提されている三次元の物理的世界と視覚
  (2) 空間的な分解能――横の空間規定・弁別であって産出ではない――
  (3) 或る脳科学者の解説――脳による奥行きの復元――
  (4) 前提されていること
  (5) 分かりやすさの消失
 
第3節 視覚の生理学と脳科学における情報概念の多用・濫用
  (1) 生理学と脳科学における情報概念の使用
  (2) 変化の組ないし系列に情報を読み取ることと情報処理の系列と
  (3) 情報処理の概念を生理的プロセスに適用するに当たっての問題点
  (4) 情報の読み取り手と何を読み取るのか――被験者と研究者――
  (5) 被験者の脳を被験者と等値してしまう
  (6) 脳と体と末梢
  (7) 二つの考えるべきこと
  (8) 「見るという情報形式」?
  (9) さまざまな情報形式の系列の中に視覚という情報形式を入れてよい気になる
(10)感光フィルム(銀塩写真)カメラにおける情報形式
(11)デジタルカメラ等における情報処理と生理的過程の類似?
(12)情報を得ること・情報を取り出すこと
(13)像という情報形式
(14)知覚による情報取得・情報の読み取り・情報内容の再現
(15)二つの再現
 
第4節 「復元したものを感じる」
  (1) 「再現」と「復元」
*「脳の中の小人」
  (2) 「三次元構造であるように感じる」?――「主観」と「意識」の概念・いわゆるクオリア――
 
第3章 西洋近代哲学および近代生理学確立期の生命論における意識の概念
 
第1節 <思う私> と「観念」の概念
  (1) 「思うものとしての <私>」
  (2) 思うことと見ること
  (3) 「観念から存在へ」という認識論上のテーゼ
  (4) 「観念」と「存在」

第2節 意識の概念と <思い=思惟>
  (1) 観念の現われの場としての〈意識〉の概念
  (2) <思う> という概念の拡張――知的働きとしての <思う> ことから <感覚> や情念を含む <思う> ことへ――       
  (3) <意識> の概念の「思惟」の概念への従属
  (4) 「意識と存在」という問題設定

第3節 生命と意識
  (1) 本節の概要
  (2) 体を含めた物体――内在的原理を剥奪された物質界――
  (3) 分割線の移動――生命体と外界――
  (4) 有機的生命と動物的生命
  (5) 「感覚性」という概念の変質
  (6) 脳科学における <意識> の概念
 
第4章 感覚と体の広がり
 
第1節 感覚の概念
  (1) 奥行きの起点としての体――痛さと体と心――
  (2)「感覚」という語
  (3) 痛さの感覚といわゆる五感――「感覚」という語の限定的使い方に向けて・知覚的質との区別――
  (4) 色と痛さの比較・補足

第2節 感覚と体の広がり
  (1) 感覚と体と「私」――存在概念の故郷――
  (2) 指の痛さと指の色
  (3) 体の目覚めとしての意識と「私」
  (4) 感覚――体という存在の訴えとしての意識形態・幻影肢の問題――
  (5) 感覚と体の広がり

第3節 感覚が含む価値的契機と行動の動機づけ
  (1) 体の現在の状態の自己告知としての感覚
  (2) 感覚と行動の要請
  (3) 体の要求――生理と行動・眠りと感覚および知覚――
  (4) 知覚と感覚の協働や競合
 
第4節 体と体の外 (体の近傍の空虚と地盤)
  (1) 私のミニマムな経験を求めて
  (2) 体の重さの経験
  (3) 温冷・寒暑の経験
  (4) 「此処 (ここ)」と体が含む方向性

第5節 体の動き
  (1) 体を動かすことによる感覚の出現
  (2) 体を動かすことができる――局部を動かすことで――
  (3) 動かされるから動くもの
  (4) 自ら動く――体と体の外の事柄との意識・課題の感受というステージ――
  (5) 体を動かすことにおける体の空間性と感覚の座としての体の空間性との統合

第6節 触れられ感覚と異物
  (1) 動かされる――運ばれる・押される――
  (2) 触れられる――触れられ感覚の特殊性――
 
第5章 知覚の空間性
 
第1節 体の移動と空間
  (1) 世界の空間性
  (2) 体を移動させる――実在概念の根っ子――

第2節 体と価値づけられた体の外の諸事象および刺激の概念
  (1) 体の外を満たし分節を持ち込むもの
  (2) 見ることと目の感覚
  (3) 体と体の外の諸事象
  (4) 「刺激・<感覚>」「刺激の源への <感覚> の投射」「刺激・運動 (ないし反応)」
  (5) 意味ある作用としての刺激――弁別と現われ――
  (6) 目覚め――知覚世界への帰還・価値事象と行動――

第3節 刺激から始まる生理的プロセスと「刺激・感覚・行動」および「刺激・知覚・行動」
  (1) 刺激を受けての「生理的プロセス」と「感覚と行動が出現する対処」との対比
  (2) 感覚による知覚の妨害
  (3) 感覚と知覚との共通の根っこと両者の分化・競合
  (4) 知覚と行動との切れ目
  (5) 「刺激・体の局部の反応」と「刺激・個体(体全体」としての運動」
  (6) 壁と炎――ゾウリムシの無定位運動性と人間の行動――
  (7) 一時的な終点としての知覚、行動が始まるまでの「間 (ま)」――「現われ」という「私」の内容と現在――
  (8) 奥行きと行動・複数の知覚対象と横の広がり

第4節 探索的契機を含む知覚と知覚空間
  (1) 伸縮する知覚空間――方向と遠さ・知覚器官の探索運動――
  (2) 横の広がりと知覚空間の構造化――場所としての理解――
  (3) 聴覚空間
  (4) 触覚による対象の位置づけと運動空間

第5節 構造化された知覚空間と場所の理解と存在
  (1) 異種の知覚内容の位置規定による統合――知覚的質の物や事象への帰属――
  (2) 異種の知覚によって共通の存在へ
  (3) 異種の知覚内容の統合の失敗――位置の不一致――
  (4) 知覚の現実性と行動の現実性

第6節 色の外在性と奥行き――視力を取り戻した人の例による再確認――
  (1) 視力を取り戻した人の話――見える内容という情報を解読しなければならない――
  (2) 色という手掛かり
  (3) 空間規定の統合・動くもの
  (4) 成熟した知覚――色 (知覚的質) と物象 (知覚対象)・安定した空間規定――
  (5) 現われる仕方で存在するものを捉えること――現われを越えるものと想像の契機?――
  (6) 奥行きを見ること――写真や図に奥行きを見てとることとの違いを通じて――
  (7) 写真がもつ情報――像――
  (8) 写真がもつ情報――色――
 
第6章 体の知覚と体という尺度
 
第1節 体の空間性と体の知覚
  (1) 尺度としての体
  (2) 体の運動と空虚・運動を阻むもの
  (3) 体の輪郭と体の知覚・他の人による知覚
  (4) 体一般についての知識――自分の手も他の人の手も見える――
  (5) 自分の体を知覚するとは
  (6) 自分の体の知覚の特殊性――視覚のパースペクティブとの関係で――

第2節 行動対象を見る・自分の体をも見るか
  (1) 苺を摘む――苺を見、副次的に手を見ることもある――
  (2) 行動の担い手であることとパースペクティブの中心であるということ

第3節 感覚の座を知覚する
  (1) 感覚に関する因果理解
  (2) 痒いところを掻く
  (3) 皮膚を見る・薬を塗る・薬を飲む

第4節 体と類型的なものの配置が強調される知覚世界
  (1) 体の知覚における異種の知覚の調和
  (2) 何が知覚されるか、および異種の知覚内容の統合についての再考

第5節 他の人の体を知覚する
  (1) 体の状態・動き・顔を見る――現在に焦点――
  (2) 視線を見る・声を聞く
  (3) 視線を逸らす・衣服
  (4) 声を聞く・言葉への移行
 

関連情報

受賞歴:
『哲学の歴史』前者12卷、別巻1巻 (中央公論新社、2007~2008年) の編集委員として、第62回毎日出版文化賞特別賞受賞 (2008年)

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