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書籍名

思想史の中の日本と中国 第I部 歴史の「基体」を尋ねて

著者名

孫 歌 (著)、 鈴木 将久 (訳)

判型など

232ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2020年11月30日

ISBN コード

978-4-13-010148-6

出版社

東京大学出版会

出版社URL

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歴史の「基体」を尋ねて

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本書は、中国の思想史研究者である孫歌氏が、日本の中国思想研究者の溝口雄三氏を論じたものです。とくに溝口氏の最初の著書である『中国前近代思想の屈折と展開』を精緻に読解しました。溝口氏は『中国前近代思想の屈折と展開』で、中国の明末清初の思想家である李卓吾を論じています。つまり本書は、一六世紀中国の李卓吾を二〇世紀日本の溝口氏が論じたものを、現在の中国で活躍する孫歌氏が読み解いたもので、さらに言えば、それを私が日本語に翻訳したという複雑な入れ子構造になっています。
 
少し整理しましょう。中国で明末清初は、政治的に王朝交代という激動があったばかりでなく、社会の構造が大きく変わった時期であり、人々の価値観や思想も変動した時代でした。李卓吾はその変動を体現する思想家です。ただ李卓吾の文章は難解なことで知られています。溝口雄三氏は難解な李卓吾の文章を、できるかぎり正確に理解することを目指しました。その上で、李卓吾の思想の論理構造を、李卓吾に即して理解しようとしました。さらに、それを中国の思想史の脈絡に位置づけることで、李卓吾に体現される明末清初の中国の大変動を明らかにしようとしました。
 
さて孫歌氏は、溝口雄三氏の著書をできるかぎり正確に理解しようとしましたが、しかし溝口氏の李卓吾理解そのものが正しいかどうかを論じることはしませんでした。そうではなく、孫歌氏の言葉を借りれば、溝口氏の「認識の枠組み」を問いました。「認識の枠組み」とは、溝口氏の李卓吾論を根底において支えている思考のあり方のことです。
 
そこから孫歌氏は、たとえば、溝口氏が「形而下の理」を重視したことに着目しました。「形而下」とはもちろん「形而上」に対する言葉です。抽象的、理念的な次元を指す「形而上」に対して、「形而下」は現実的、日常的な次元を指します。日常的な次元の条理を見いだそうとするのが「形而下の理」です。孫歌氏は「形而下の理」に注目し、溝口氏の認識の根底にある歴史への姿勢を明らかにしました。孫歌氏によれば、溝口氏は、歴史を、理念に回収することのできない、雑然として、つねに変化し続ける流れとしてとらえ、その脈動に直接向き合おうとしたと言います。
 
「形而下の理」が重要なのは、固定的な理念に回収されることを避けて、日常性の次元において、現実の変動をありのままに受けとめるという思考のあり方が、私たちにヒントを与えてくれるからです。つまり、孫歌氏は溝口氏の著書を読み解き、「形而下の理」を論じることを通じて、自分たちの「認識の枠組み」を揺り動かそうとしたのです。現代人の認識はいつの間にか固定しています。それを解き放ち、新しい認識を模索することが、本書の先にある課題だと言えるでしょう。
 
本書で主として探索されているのは、中国の歴史をどのようにとらえるかという問題です。しかし中国の歴史を考えることは、中国という一国の特殊な問題ではありません。それは私たちの「認識の枠組み」を刷新し、新たな普遍を求めることにもつながるのです。

 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 鈴木 将久 / 2021)

本の目次

クリオの顔――日本の読者へ
 
上編 中国の歴史の脈動に真を求める
 一 飢餓感と切迫感――生命感覚が躍動していた明末
 二 「已むを容れざる」――妥協を許さない観念感覚
 三 童心説――溝口雄三の思考方法
 四 立論しないこと――求められる思想史の修練
 五 「形而下の理」――オルタナティブな普遍の原理を求めて
 六 方法としての中国――経験の奥にある構造的な想像力
 
下編 中国の歴史の「ベクトル」
 一 「自然」と「作為」の結合
 二 人生に内在する形而下の理
 三 中国の公と私
 四 分有される法則――中国の歴史の基体
 五 郷里空間と郷治運動
 
訳者あとがき

関連情報

原書 (中国語):
孫歌 (著)『思想史中的日本与中国』 (上海交通大学出版社 2017年1月)
2019年東アジア出版著作賞受賞
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028659045-00
 
書評:
中島隆博 (東京大学東洋文化研究所教授) 評 (『中国研究月報』第886号 2021年12月)
https://www.institute-of-chinese-affairs.com/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%9C%88%E5%A0%B1

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