『和辻哲郎の人文学』は、日本近代の代表的な哲学者・倫理学者であり、東京大学文学部倫理学研究室の現在まで続く体制を確立した和辻哲郎 (1889~1960) の、人文学に関する多彩な業績を紹介するとともに、その現代的意義を探求した書である。
和辻哲郎は、青年期には、西洋近代文学に触発されて文学者を目指したが、道元や日本古代文化との出会いによって日本文化研究の道に入った。西田幾多郎に招かれて京都大学文学部倫理学講座に着任してからは、アリストテレス以来の西洋倫理学を批判的に研究するとともに、日本仏教を研究するためには、インドの原始仏教という源泉に遡る必要があるという観点から国内外の最新の成果を盛り込んで研究を進め、『原始仏教の実践哲学』を上梓した。その後、東京大学文学部倫理学講座の主任教授を長く勤め、西洋近代の個人の内面の規範意識を問う倫理学に対抗して、「間柄」に基盤を置くユニークな倫理学を提唱した。
和辻の「間柄」の倫理学は、現在その構築が求められているグローバル倫理学の構想に大きな刺激を与えるとともに、その著『風土』は、人間と自然の新たな関係の構築を求める環境倫理の観点から注目されている。
本書では、哲学、倫理学から仏教学、美術史、文学まで多岐に渡る和辻の業績について、それぞれの分野を専門にする研究者10人が、4部構成で1章ずつ執筆し、和辻の業績の全貌と今日における和辻研究の課題を見渡そうとしている。
第1部「和辻の人物論」では、第1章「〈通路〉の自覚」(佐藤淳一) で、近代日本文学研究の立場から、和辻の青年時代の戯曲を中心とした文学活動を再検討し、その活動の挫折の中に新たな課題が浮上し、それが後の和辻の研究活動を導いたことを解明する。第2章「宗教と学問と」(木村純二) では、一般に宗教を扱いつつも、それを文化的な次元に限定して扱い、宗教性が薄いとされる和辻の青年期の著作や手紙類を見直し、その宗教性を問い直す。
第2部「和辻倫理学の理論構成」では、第3章「和辻「風土」論再考」(藤村安芸子) において、和辻の風土論と間柄の倫理学の形成に際して両者が相互に影響を及ぼしあったということが、それらが依拠する自他融合の様態の分析を通じて示される。第4章「未知の者と友人として出逢う」(板橋勇仁) では、ヘーゲルに倣って国家を最高の共同体とするが故に見過ごされがちな、和辻の文化共同体における人間存在の根本理法、すなわち、「主体の多化と合一の運動」の実現の在り方が解明される。第5章「和辻「人格」論の可能性」(宮村悠介) では、和辻倫理学の人格概念がカントをはじめとする西洋の人格概念をどのように摂取したのを検討しつつ、和辻の人格概念の新たな可能性を探る。第6章「和辻哲郎の「人間関係」の行為論」(飯嶋裕治) では、功利主義的倫理学、規範倫理学、メタ倫理学等の現代の倫理学諸理論との対比から和辻倫理学の理論構造と意義を問い直す。
第3部「和辻哲郎と東洋思想」では、第7章「乏しき時代の『論語』」(板東洋介) において、和辻の『孔子』の背景を幅広い文脈から明らかにするとともに、和辻の論語理解が、封建的家族道徳、主従道徳ではなくて、師弟の高邁な理想に基づく人格的紐帯に着目したものであったことを指摘する。第8章「和辻哲郎と仏教」(拙論) では、和辻自身の宗教に対する姿勢の根底には、妻の実家の菩提寺である遊行寺における法悦体験があったことを、和辻の青年期の諸資料の分析を通じて明らかにする。
第4部「和辻の日本文化史研究」では、第9章「近世芸能と和辻思想史」(吉田真樹) において、歌舞伎や浄瑠璃の筋立てに対する和辻の解釈を検討し、それがあくまでの表現に対するものに留まっていることを指摘し、思想史の方法論としての「本質論的遡及的方法」の可能性を探る。第10章「和辻哲郎の美術史研究をめぐって」(原浩史) では、和辻の美術史研究が、学説として現在十分な説得力を持たないことを指摘しつつも、思想史や宗教史を美術史にどう取り込むのかという重要な問題を提起していると指摘する。
人文学分野においても研究の細分化が著しい現在において、和辻の多岐に渡る業績は人文学本来の魅力を示している。所収論文の中で目立った一つの傾向として、元来、日常的間柄世界に閉ざされるとされていた和辻の視線が、実はそれを超えたものを常に捉えていたのではないかという指摘である。人文学の魅力がどこに根差すのかを考える上で示唆的である。
*付記:和辻における超越の問題に関しては、拙論「和辻哲郎の思想形成と宗教――初期の作品を手がかりとして」(『倫理学紀要』第26輯 東京大学文学部倫理学研究室 2019年3月29日 pp.129-172) を参照されたい。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 頼住 光子 / 2022)
本の目次
I 和辻の人物論
第一章 〈通路〉の自覚 (佐藤淳一)
――初期の和辻の文芸活動について――
一 はじめに
二 近代演劇への志向
三 誇張された台詞のリアリティ
四 和辻が挫折において見出したもの
五 「ショオ劇見物記」からの可能性
第二章 宗教と学問と (木村純二)
――和辻の宗教性をめぐって――
一 問題の所在
二 イエスへの憧れ
三 文化史研究への転身
四 宗教と学問と
II 和辻倫理学の理論構成
第三章 和辻「風土」論再考 (藤村安芸子)
――大正時代の問いのゆくえ――
一 はじめに
二 自然との戦い
三 「霊肉一致」の倫理学
四 しめやかな激情
五 おわりに
第四章 未知の者と友人として出逢う (板橋勇仁)
――『倫理学』の文化共同体論再考――
一 はじめに
二 人間存在の根本構造
――主体の多化と合一の運動――
三 「信頼」における人間存在
四 共同体の間の倫理学
五 文化共同体の意義と特性
六 未知の者と友人として出逢う
七 おわりに
――互いに個が個となることのダイナミズム――
第五章 和辻「人格」論の可能性 (宮村悠介)
――あらためて「人間から人格へ」――
一 はじめに
二 『倫理学』における「人間から人格へ」
三 「空において有る」人格へ
四 別の人格論の伝統へ
五 おわりに
第六章 和辻哲郎の「人間関係」の行為論 (飯嶋裕治)
――現代哲学・倫理学理論との対比から――
一 和辻の倫理学理論の基本的特徴
――「行為の規範性」問題の諸側面から――
二 主体的空間性に基づく行為の構造
――有意味性の基準としての人間関係――
三 主体的時間性に基づく行為の構造
――あらかじめ・すでにという方向づけ――
四 行為の全体論的構造と、その行為論上の理論的意義
五 おわりに
III 和辻哲郎と東洋思想
第七章 乏しき時代の『論語』 (板東洋介)
――和辻哲郎『孔子』をめぐって――
一 問題の所在
二 和辻と儒教
三 『論語』と孔子との近代
四 和辻『孔子』の方法と戦略
五 孔子のゆくえ、「信」のゆくえ
六 おわりに
第八章 和辻哲郎と仏教 (頼住光子)
――初期の作品・資料を手がかりとして――
一 はじめに
二 青年期の宗教意識と仏教
三 日本古代仏教研究の「機縁」となった体験をめぐって
四 ディオニュソス的法悦と根源的生命の体験
IV 和辻の日本文化史研究
第九章 近世芸能と和辻思想史 (吉田真樹)
――『阿弥陀の胸割』と『曾根崎心中』を中心に――
一 『歌舞伎と操り浄瑠璃』の可能性
二 『阿弥陀の胸割』における仏・菩薩
三 「捨身飼虎」という原像
四 本質論としての遡及的方法
五 『曾根崎心中』における仏・菩薩
第十章 和辻哲郎の美術史研究をめぐって (原 浩史)
一 はじめに
――和辻と美術史研究―
二 町田甲一の和辻批判
三 美術史的な観照
――法華寺本阿弥陀三尊及び童子像――
四 感受性と客観性
――美術鑑賞の微妙な範囲――
五 芸術史の方法と仏の理念
六 おわりに
あとがき (木村純二)
関連情報
斎藤真希 評 (『比較思想研究』第49号 pp. 147-148 2022年3月31日)
https://www.jacp.org/category/journal-j/
犬塚悠 評 (図書新聞 3513号 2021年09月18日)
https://www.fujisan.co.jp/product/1281687685/b/2160664/