
書籍名
幕末明治の社会変容と詩歌
判型など
496ページ、A5判、上製
言語
日本語
発行年月日
2020年2月
ISBN コード
978-4-585-29196-1
出版社
勉誠出版
出版社URL
学内図書館貸出状況(OPAC)
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本書は、日本の社会や文化がその歴史上最も大きな変容を遂げた19世紀において、詩歌が何のために人々に詠まれ、また読まれたのかと問うたものである。すなわち、近世後期から明治前期という動乱の時代に、なぜ人々は詩歌に触れる必要があったのか、また伝統的な文芸である和歌が近代国家においてもなぜ短歌として生き延びたのか、あるいは西洋詩に倣った新体詩なるものがわざわざ創始される必要がどこにあったのか。本書では、こうした前近代から近代にかけての詩歌をめぐる問題について論じた。
本書の問題意識と方法は、一般的な日本文学研究と次の点において異なる。まず、日本が欧米列強の主導する国際社会に組み込まれ、その価値観に沿う近代的な国家体制とそれに見合った社会・文化を自ら作り上げてゆく過程を一連の相として捉えるために、19世紀という西暦の時代区画をあえて採用し、近世後期から明治30年代までを一望の下に収めるようにした。次いで、ジャンルの存在を所与の条件として自明視する従来のジャンル史 (和歌史や詩史) や歌 (詩) 風史・歌 (詩) 壇史から距離を置き、政治的・社会的意味を孕みうる言語行為として詩歌を捉えることで、なぜ和歌が近代国家・近代社会においても存在意義を持ち得たのかという根本的な問いを浮かび上がらせた。加えて、幕末から明治にかけての渾沌とした時代の動態を浮き彫りにするために、複数の地域や社会階層を横断的・重層的に取り上げ、それぞれが相互に他を相対化しあうような方法を取った。
全体は三部で構成される。第一部「幕末明治の政治と和歌」では、幕末における公武の為政者および明治新政府にとって、和歌がいかなる意味を持っていたのかについて論じた。第二部「〈草莽〉と和歌」では、第一部で取り上げた為政者層の動きを踏まえながら、視線を下級武士や庶民に移し、幕末のいわゆる草莽層に光を当て、尊王攘夷を唱えた彼らにとって和歌とは何だったのかといったことについて考えた。次いで第三部「新体詩と「歌」」は、第一部および第二部を踏まえながら、明治15年 (1882) に創始された新体詩について論じた上で、明治前期における詩と歌との相互依存的なあり方を、たとえば与謝野晶子のような新派歌人登場の意義を新体詩との関係から考えるなどの形で示した。
本書は、文学を政治・社会・文化史の中に積極的に開いてゆこうとする点で、文学そのものあるいは旧来の文学研究を相対化する側面を有している。しかし、論証の手続き自体は資料の掘り起こしと分析という、ある意味文学研究の常套である地道な実証的作業を土台にしており、何よりも全体を通じて明らかにしようとしたのは、激動の時代であっても、あるいはむしろ激動の時代だからこそ、人々が文学という言葉の力を必要としたという歴史の逆説であった。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 青山 英正 / 2024)
本の目次
一 本書の目的
二 研究史の整理
三 本書の方法 (1) ――近世と近代の連続性
四 本書の方法 (2) ――政治的・社会的行為としての文芸
五 本書の方法 (3) ――地域・社会階層・ジャンルの横断
六 本書の構成
第一部 幕末明治の政治と和歌
第一章 孝明天皇と古今伝受――附・幕末古今伝受関係年表
はじめに
一 断絶した古今伝受
二 伝受の空白
三 万延元年の古今伝受
おわりに
第二章 近世後期の和学における和歌と教化
はじめに
一 儒者による和歌の教訓的解釈
二 宣長後の和学における教化の導入
三 実用としての和歌
おわりに
第三章 幕末の仙台における藩政と和歌――保田光則編『訓誡歌集』をめぐって
はじめに
一 光則の学問形成――漢学と和学と
二 藩の文教政策と光則の文業
三 『訓誡歌集』の概要
四 男性向け教訓歌集としての『訓誡歌集』
おわりに
第四章 国体と和歌――水戸藩による『明倫歌集』の編纂について
はじめに
一 勅撰集の夢
二 体裁をめぐる問題――「勅撰之体」か「類題」か
三 歌集の内容
四 『訓誡歌集』との比較
おわりに―流通の問題と併せて
第五章 教導職の万葉選歌――国民教化と和歌
はじめに
一 『名教百首』編纂の経緯
二 万葉選歌としての特徴
三 『明倫歌集』との相違
おわりに―国民教化と和歌
第二部 〈草莽〉と和歌
第六章 連鎖する志――安政の大獄における水戸〈義民〉の詠歌
はじめに
一 幕末の水戸における〈義民〉の形成過程
二 安政六年の〈義民〉
三 〈義民〉の交友と詠歌
四 述志の歌の連鎖
五 〈義民〉のネットワーク
おわりに
第七章 尊王攘夷歌の史的位置――『新葉集』受容と幕末の類題集
はじめに
一 幕末の『新葉集』受容――「忠義」の歌集として
二 「異国船」はどう詠まれたか
三 攘夷歌としての「異国船」詠
四 攘夷歌の母体としての詠史歌と祝歌
おわりに
第八章 志士の歌を読む
はじめに
一 歌語「かばね」の系譜
二 歌語「やまとだましひ」の系譜
三 「たましひ」の行方
おわりに
第九章 幕末の志士はなぜ和歌を詠んだのか――漢詩文化の中の和歌
はじめに
一 志士の詩歌における尊王攘夷表現
二 吉田松陰における天
三 心を汲み取る神
四 〈想像の君臣唱和〉
おわりに
第十章 振気から教化へ――勤王志士詩歌集のゆくえ
はじめに
一 二つの『精神一注』――村井本から青柳本へ
二 志士詩歌集における「文人詩客」
三 国民教化との結びつき
おわりに――志士詩歌集のゆくえ
第三部 新体詩と「歌」
第十一章 『新体詩抄』における「歌」
はじめに
一 「日本ノ詩」と「明治ノ歌」
二 自然なものとしての「俗曲」
三 「連続したる思想」の表現
おわりに
第十二章 『新体詩歌』の出版を支えた人々
はじめに
一 竹内隆信について(その一)――来峡から『新体詩歌』の編纂まで
二 竹内隆信について(その二)――『新体詩歌』の出版とその後の活動
三 坂部広貫について
四 首藤次郎および広瀬要人について
おわりに
第十三章 近世韻文としての新体詩――『新体詩抄』と『新体詩歌』をめぐって
はじめに
一 七五調韻文の系譜
二 『新体詩抄』と教訓和讃
三 『新体詩歌』と近世七五調韻文
おわりに
第十四章 七五調の幕末明治――今様評価の変遷と加藤桜老編『古今今様集』
はじめに
一 俗としての七五調
二 五七調の相対化とその意義――長歌改良論争をめぐって
三 加藤桜老『古今今様集』の位置
おわりに
第十五章 与謝野晶子の星の歌――『みだれ髪』と土井晩翠
はじめに
一 晶子の初期歌篇における星
二 藤村・晩翠から鉄幹・晶子へ
三 『みだれ髪』と晩翠
おわりに
終 章
関連情報
神作研一 評 (『國語と國文學』99巻12号 2022年12月)
https://www.meijishoin.co.jp/book/b610078.html
盛田帝子 評 (『日本歴史』877号 2021年6月)
https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b10044150.html
大山和哉 評 (『和漢比較文学』66号 2021年2月)
https://wakan-jpn.com/jtitle/
山本康治 評 (『日本近代文学』103号 2020年11月)
https://doi.org/10.19018/nihonkindaibungaku.103.0_154
合評会記:
『アジア遊学』285号 2023年7月
書籍紹介:
川平敏文 (九州大学大学院人文科学研究院教授) (閑山子余録 2020年3月10日)
https://kanzanshi.seesaa.net/article/473969504.html?1583819715
飯倉洋一 (大阪大学人文学研究科名誉教授) (忘却散人ブログ 2020年3月10日)
http://bokyakusanjin.seesaa.net/article/473940622.html