文学研究に携わる研究者・教育者には、大いなる悩みがある。それは、二十世紀末以降、文学は終わったと、さかんに言われるようになったことだ。自分の好きな研究に没頭しているときには、まったく問題とならないこととはいえ (たとえその分野の研究者が一人になったとしても、研究者は自分の研究をつづけるだろう)、現代を生きる若者たちを前にして、自分の仕事の意義をいったいどのように伝えればいいのか、途方に暮れることがあるのだ。
本書『〈現実〉論序説』は、こうした「文学終焉論」が本当に正しいのかを問い直すところから出発した。かつて文学には、自分たちの生きる時代を認識する方法という側面があった。その側面は、歴史学、社会学、人類学、精神分析学、美術史、イメージ論、フィクション論など、二十世紀に飛躍的な発展を遂げた人文科学によって奪われていった。そのため文学に残されたものは、感性に訴えかける娯楽としての位置だけだ──これが、文学終焉論の骨子である (ウィリアム・マルクス『文学との訣別』(水声社、2005年)、柄谷行人『近代文学の終わり』(インスクリプト、2005年) などを参照ほしい)。この論がどこまで正当なものなのか、編者たちは2019年以降、文学研究者と人文科学の研究者との対話を重ねてきた。文学と人文科学との境界では、何が起きているのか。この疑問を考える過程で浮かび上がってきたのは、文学と人文科学の対立ではなく、両者が共通して「現実」とどのように向き合ってきたのかという、より根源的な問題だった。
そこで、改めて問うてみた。現実とは何か。このような問いを発してみると、これが適切な疑問ではないことが、編者たちに痛感された。現実とは、外から見てそれとわかる輪郭がそなわっているものではない。ある明確な本質をもっていて、それを見定めれば、定義できる──現実はそのような、ひとつの考察の対象としてそこにあるものではない。むしろ逆に、ひとつの対象として、距離をおいて眺めることなどできないものこそ、現実と呼ばれているものではないだろうか。自分で考えれば何かがわかると思い込んでいるような主体のあり方そのものをひっくり返す力をもったものに出会ったとき、人は何ともいえない現実の力を感じる。もう少し言うなら、普段、意識しないままそのなかで生きている、日常生活の保護膜のようなものが破られ、自分がどういう世界に生きているのかまるでわからなくなる、そんな思いに人を誘うものこそが現実ではないだろうか。
収録論文は、現実というものに対して、大きく二つの態度を示している。一方に、何が起こっているのかわからないものの、とにかく注意を凝らして待つという態度がある。何かがあると感じられるのだが、それが何であるのかわからないものに、ひたすら耳を澄ませ、眼差しを凝らす。文化人類学のフィールドワークにおいても、言葉にならない体験を言語化しようとする証言の文学においても、この態度は共通している。そのような待機のどこから現実がその姿をわずかなりとも垣間見せるのかはわからないが、とにかく待っているしかないと念じる態度は、確かにさまざまな現実の姿を招き寄せるようなのだ。
他方には、最初から現実ではないとわかっているものと積極的に戯れ、そこから何かがあらわれるのを待つ態度がある。初めから現実ではないとわかっている虚実皮膜の虚や、目の前にある物質的なイメージと、これは現実ではないと知りながらいつまでも戯れる。すると、現実ではないその何ものかが、どこかで現実に反転してゆく瞬間が訪れることがある。嘘を通してしか近づくことができない真実というものが存在するのだ。
本書は便宜的に文学、人文科学、イメージ論、マンガ論の四つの章に分かれているが、そこで追求されるのは、現実と呼ばれるもののはらむダイナミズムである。どういう世界を相手にしているのかわからないまま、その未知の領域に接近し、読み解こうとする試みとして、文学にはなお探究としての力があると信じたい。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 名誉教授 塚本 昌則 / 2025)
本の目次
第I部 フィクション編
フィクションの知,文学の知(久保昭博)
1 文学にとって〈現実〉とは何か?
非人称的な特異性のために――ブランショの「文学とは何か」(郷原佳以)
調査の文学と集合住宅という装置――現代文学の結節点をめぐって(塩塚秀一郎)
証人の証人たち――「聞き書き」の詩性について(谷口亜沙子)
可塑的現実――ヴァレリーの『詩学講義』をめぐって(塚本昌則)
2 人文科学――〈現実〉への問い
アンブロシオの死――人類学における「文学的なもの」をめぐって(箭内 匡)
制度の裂目に立ち上がる言葉――メルロ゠ポンティの文学論から(廣瀬浩司)
精神分析における「現実」――フロイト、ウィニコット、ラカン(立木康介)
一人称の政治――ルソー『人間不平等起源論』と『社会契約論』の一断面(王寺賢太)
経験としてのフィクション――ジャン゠マリー・シェフェールのフィクション論と美学(久保昭博)
第II部 イメージ編
イメージ表現と現実(中田健太郎)
3 イメージと〈現実〉の交差
隠れる手,浮遊する手,現れる手(伊藤亜紗)
擬態する身体の解剖学――アンドレ・マッソン『私の宇宙のアナトミー』における起源との戯れ(松井裕美)
ミツバチの社会からミツバチとの社会へ――社会イメージの思想史(橋本一径)
引用とイメージと彷徨と――『アンナ』,ボシュエ,ゲンズブール(森元庸介)
4 マンガにとって〈現実〉とは何か?
キャラクターが私を見つめる――マンガにとって〈現実〉とは何か(鈴木雅雄)
マンガは暴力をシリアスに描けるか――マンガにおけるメタ視点をめぐる試論(森田直子)
マンガにおける文学、あるいはマンガとしての文学――どんどん行ってしまうものをめぐって(中田健太郎)
跋――真実を「物語る」ことについて(鈴木雅雄)
関連情報
「文学部のひと」vol.30 塚本昌則(退職教員) (東京大学大学院人文社会系研究科・文学部ホームページ)
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/personage/13054.html
書籍紹介:
新刊・おすすめ書籍 (『ふらんす』 2025年2月号)
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b657111.html

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