20世紀に入って西欧諸国を中心に福祉国家が成立し、すべての国民に対して社会権としての生存権を保障するようになるはるか以前から、ヨーロッパでは信仰にもとづく隣人愛のわざとして貧民救済などの慈善活動がおこなわれてきた。例えば、旧約聖書のイザヤ書58章7節の「飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと (新共同訳聖書)」という言葉は、その本質をよく表現している。こうした慈善活動を含めると、宗教 (キリスト教) と福祉国家との関係には非常に長い前史があるといえるだろう。
そのような長い歴史の中でも、18世紀中葉のイギリスに端を発する産業革命とそれに続く近代化は、国や社会のあり方、そして人びとの生活を根底から変革するものであった。産業革命発祥の地イギリスでは、18世紀半ば以降、各地の都市人口がわずか数十年間で倍増し、産業革命が本格的な展開を見せ始める19世紀以降には、何十万人もの人口が都市部に密集する「都市」の時代へと変容していった。そのような都市部では、前近代的な身分制の枠組みにおける相互扶助や教会による慈善活動などのセーフティーネットが十分に機能せず、低賃金や長時間労働などの過酷な労働条件に劣悪で不衛生な住環境もあいまって、貧しい人々をさらなる困窮状況に追いやった。そのうえいったん不況ともなれば失業者が街にあふれ、栄養不良や疫病により病人や死者も増加した。「大衆貧困」とも呼ばれたこうした状況は、当時の人びとから「社会問題」として認識されることになったが、新たな時代に対応するための経験や術、財力に乏しいキリスト教会にとってもそれは深刻な挑戦となり、その対応を否応なく迫られることになったのである。
本書では、このような歴史のおおきなうねりのなかで、「社会問題」がもたらす種々の困難に直面した人々が苦悩しつつも伝統的な世界観を刷新し、また新たな世界観を生み出していく姿に着目する。そして、本書の各章では多種多様な世界観が混在する近代都市の文化・社会空間が、国教会を国制の要とするプロテスタント国家イギリスに始まり、歴史的にカトリックとプロテスタントが緊張関係をもって混在するドイツ、また国教会をもたずキリスト教各派のヴォランタリな活動を中心とするアメリカへと広がっていく様が具体的な事例をもとに検討される。各地のキリスト者たちは、この人類史上まれに見る激動の渦の中でそれぞれが信じるところに従って行動したのであったが、その活動や思想は国や地域の枠組み、さらには時代をも超えてグローバルなネットワークを形成し、展開していった。その意味でも、信仰にもとづく社会的実践がもつ歴史的意義を問いなおすことは、世俗化とグローバル化がより一層進んだ21世紀の福祉国家が抱える様々な問題を議論し、乗り越えていくための手がかりを与えてくれるだろう。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 講師 平松 英人 / 2025)
本の目次
第1章 慈善活動でのJ. ウェスレーとW. ブースの「信仰ゆえの苦悩」 (馬渕 彰)
第2章 近代黎明期のドイツ都市におけるキリスト教社会事業 (平松英人)
第3章 19世紀中盤~20世紀初頭英米の慈善事業とキリスト教 (木原活信)
第4章 海を渡るキリスト教社会事業 (猪刈由紀)
あとがき (平松英人)
関連情報
今井小の実 (関西学院大学教授) 評「慈善を実践するキリスト者の信仰の内面を描き出す」 (『本のひろば』 2025年3月)
https://honhiro.com/reimeikino_kirisutoyousyakaijigyou/
シンポジウム:
キリスト教史学会で小原克博氏が講演 「ポストコロナ」生きる神学的問い (日本キリスト教史学会 2021年9月10日、11日)
https://christianpress.jp/50866/

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