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バーガンディー色の表紙

書籍名

タイ外交史を読み直す 「竹の外交論」からの脱却

判型など

296ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2025年3月11日

ISBN コード

978-4-13-036293-1

出版社

東京大学出版会

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タイ外交史を読み直す

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本論文の目的は「竹の外交論」(英:Bamboo Diplomacy, タイ:Pai-Lu-Lom) という従来のタイの外交言説において主流であり続けてきた考え方を批判的に検討し、新たな歴史観を示すことである。従来、タイの外交手腕は巧みな「竹の外交論」という言説で説明されてきた。この言説は、聡明な歴代の指導者がその時代に合わせて主体性を放棄し、中、英、仏、米、日などの大国の風向きに巧みにしなった結果、タイが東南アジアで近代を通じて唯一独立を維持できたという論理である。今まで暗黙の常識とされてきたこの「竹の外交論」は、指導者の明敏性、タイの特殊性、外交伝統の継続性に焦点を当てることにより、タイ例外主義を助長し、ナショナリズムの醸成に利用されてきた危険性を孕んでいる。
 
本論文は「竹の外交論」を論敵として設定し、従来の研究では使用されてこなかったタイ日英中4か国語の外交文書、論文集、メディア論調を資料として、国際情勢が激しく変化する1960年代から2020年までの複雑な国際情勢と国内政治におけるタイの指導者、メディア、知識人、一般市民の対外認識と外交政策との重層的な関係性を多角的・立体的に再現する。タイの対外政策を決定する最も重要な要素は何かを問い直しながら、これまで見過ごされてきた様々な主体の抱える葛藤、対応の工夫、行動選択の論理を外交史に書き込み、新たな歴史観を示すのが本研究の目的である。
 
本書の出版には、学術面、現代社会的な側面、そして日本の読者にとっての意義がある。
 
まず学術的には、本書は革新的な着目点を置くこととタイ日英中の4ヶ国語の資料を利用することで、多くても二ヶ国の資料に偏っていた従来の東南アジアの歴史学に立体的な外交史の叙述方式を示し、国際関係論の理論的深化にも貢献する。特に、これまで見過ごされてきた主体の抱える葛藤、対応の工夫、行動選択の論理を外交史にも書き込み、冷戦時代以降のタイの歴史と外交に新たな視座を提供する。同時に、本書では対外認識に注目することで、外交史研究では後景化されがちだった「認識」の前景化を試みた。政策決定における認識の役割を、歴史的史料に基づいて可視化することで、思想と認識に注目してきた社会構成主義のさらなる深化に貢献する。
 
次に、タイで激化する社会対立を歴史学の視点から和解に導く可能性を示したのは、本書の社会的な意義である。政治的な指導者だけでなく、竹の外交論で除外され、「悪魔化」された様々な主体の外交構想やナショナリズムに照明を当てた本書は、互いに対立しているように見える派閥のナショナリズムの論理の異同を明確にして、対立集団の相互理解と交流の礎にもなると考える。
 
最後に、日本の読者にとって、タイ出身の研究者による新しいタイ外交史の提示は、一つの重要な国際交流の契機となる。外交という営みは政府が独占しているものでなく、学生やメディアなど多様なアクターがかかわっている。本書はタイと日本の相互理解を促進する一助を担いつつ、日本の学界と言論界におけるダイバーシティの推進にも貢献しうる著作であると考えている。
 

(紹介文執筆者: 情報学環 / 東洋文化研究所 講師 パッタジット・タンシンマンコン / 2025)

本の目次

序 章 「竹の外交論」とは何か――通説の批判と本書の狙い
第1節 「竹の外交論」の神話
第2節 竹の外交論の由来
第3節 竹の外交論の問題点/本書の狙い
第4節 問いと分析枠組み
第5節 本書の構成
 
第1章 竹の外交論再考――タイ近現代の対外関係史の再検討
第1節 中国に対する「叩頭」と「敬遠」(~1937年)
第2節 英仏の「脅威」と国王の幻想(1855~1926年)
第3節 台頭する日本への接近と同盟結成(1887~1945年)
第4節 大国の狭間に立った戦後のタイ(1945~1957年)
第5節 サリット時代の米国一辺倒(1958~1963年)
 
第2章 「悪魔」の創造、妥協、接近――タノーム政権期における世論の操作と変化
第1節 悪魔の創造期間(1963~1968年)
第2節 悪魔との妥協と抵抗の期間(1968~1971年)
第3節 悪魔の人間化と接近(1971~1973年)
 
第3章 揺れ動く「悪魔」の意味――2つの10月事件期における大国認識(1973~1976年)
第1節 左派の役割の増大
第2節 左派による「変異した」ナショナリズム
第3節 政界における左派の包摂
第4節 右派の逆襲
 
第4章 「ジェノサイドの愛国者」――カンボジア紛争をめぐる認識の相克(1978~1989年)
第1節 クリエンサック政権の「カンボジア情勢論」(1977~1980年)
第2節 危機感に伴うプレーム政権の「国際紛争論」(1980~1988年)
第3節 チャートチャーイ政権の台頭と「インドシナ市場論」 (1988年~1991年)
 
第5章 「愛国」と「売国」の狭間で――グローバル化と米・中の政治的意味の逆転
第1節 岐路に立つ中国認識(1989~1996年)
第2節 1997年のアジア金融危機とその衝撃
第3節 政治的シンボルとなった米中(2001~2020年)
 
終 章 竹の外交論を脱して
第1節  竹の外交論――「神話」から「歴史」へ
第2節 「タイ=小国」――認識か真実か
第3節 小国意識――隠れた危険性
第4節 「愛国者」と「憎国者」
第5節 本書の意義と今後の課題
 

関連情報

自著解説:
著者からの紹介 (東洋文化研究所ホームページ)
https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/pub2502_pattajit.html
 
著者インタビュー:
パッタジット・タンシンマンコン(ジェー)—「東南アジアから多角的に歴史を見る」 (音声・英語、 字幕・英語|日本語|タイ語) (東京大学 | YouTube 2024年1月22日)
https://www.youtube.com/watch?v=4cCO8YzbR0E
 
受賞:
第23回アジア太平洋研究賞佳作 (アジア太平洋フォーラム・淡路会議 2024年8月1日)
https://www.hemri21.jp/awaji-conf/project/commendation/23rd/awards/winner02.html
 
書評:
本よみうり堂: 岡本隆司 (歴史学者・早稲田大教授) 評 (読売新聞オンライン 2025年5月23日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20250519-OYT8T50067/
 

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