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令和2年度研究倫理セミナー 開催報告

掲載日:2020年12月2日

令和2年度研究倫理セミナー 開催報告

室長挨拶写真
室長挨拶
有信 睦弘 研究倫理推進室長

東京大学では、「高い研究倫理を東京大学の精神風土に」という目標のもと、平成26年3月に「研究倫理アクションプラン」を策定いたしました。このアクションプランの中で、「研究倫理ウィーク」を定め、この期間中に本学の構成員に対して研究倫理意識の醸成を図る様々な企画を実施してきました。

今年度は、令和2年9月28日(月)に、「研究不正が起きる背景とは?~社会的・心理的観点を踏まえ、不正事例から学ぶ~」と題して研究倫理セミナーを開催し、 基調講演およびパネルディスカッションを行いました。例年は対面でのセミナーを開催しておりましたが、今年は新型コロナウイルスの影響で初のオンライン開催となり、 284名の方々にご参加いただきました。本セミナーについて、その模様の一部をご紹介いたしますので、日頃の研究・教育活動に役立てていただければ幸いです。

1.基調講演(理化学研究所 桜田 一洋 氏)

 「研究者とは何か」という本質的な問いから、どうしたら研究不正を防止できるかということを考えていきたいと考えました。本日は、大きく3つの構成でお話させていただきます。まずは、研究不正の事例を挙げさせていただきます。そこに引き続いて、なぜ研究不正が起こるのかを、心理的・社会的・構造的な要因からお話をさせていただきます。こういった議論を踏まえて、「研究者とは何か」という最初に掲げさせていただいた本質的な問いから、どうやって不正を防いでいったら良いのか、という議論を進めさせていただきたいと思います。

研究不正の事例から学ぶ

基調講演写真

 2年前の8月にサイエンス誌に掲載された「TIDE OF LIES(嘘の大波)」という論考に非常にショックを受けられた方々がいらっしゃるのではないかと思います。ここでは、200報以上論文を出されている日本人研究者の医学論文のねつ造に関する論考が掲載されています。論調は非常に厳しく、ねつ造は、他の科学者の時間を盗み、研究方法の選択や治療の選択に影響を与える卑劣な行為である、と強く叱責をしています。

 医学分野に関してもう一つ大きな例を紹介させていただくと、野口英世のケースがございます。彼はロックフェラー研究所で勤務を始め、「進行性まひ」が梅毒スピロヘータという細菌を原因として起こるということを初めて発見したという成果を残しています。一方で、黄熱病やポリオや狂犬病の病原体を同定したと報告しているのですが、のちに、これらは全てウイルス性疾患であり、細菌によって起こるものではないということがわかりました。彼が南米で黄熱病の病原体を発見したとして間違って報告したものは、ワイル病という似た病気の病原菌でしたが、研究不正を疑わせるとして大きな批判を受けることになりました。彼の業績を調査したイザベル・プレセットの「野口英世」などの著書の中で、彼のボスであるロックフェラー研究所の所長が、彼にきちんと教育もせず、査読もせずに論文をどんどん通して、ロックフェラーの宣伝に使ったのではないかということが強く批判されています。野口英世のケースは、決して彼一人だけではなく、ロックフェラーという研究所が持っている特性が表れたのではないかと思われます。

 3番目のケースです。ロバート・ミリカンは、世界一美しい研究をしたという本があるように、電気素量の計測で1923年にノーベル賞を取っています。ミリカンが副電子の存在を否定した論文の中で、「60日間に渡り連続して行われた実験のすべての油滴についての結果である」という記述があるのですが、彼の死後、ノートが解析されて、140あった解析の中から58の都合のいいデータだけが選択されて、論文に掲載されていたと、著書「背信の科学者たち」で報告されています。結論としてはミリカンの考えは正しかったのですが、非常に難しい問題を含んでいると思います。また、測定精度が上がったのは、当時大学院生だった研究者の提案により、従来の水滴に代わり油滴を使用したことによるものでしたが、ミリカンは提案者の大学院生をこの成果に関する論文の共著者から削除しました。そのことは、この大学院生が亡くなった後に、遺書の形でPhysics Todayで発表されました。

 理系の分野だけではなく、文系のねつ造も報道されています。これは、去年起こった国内の事例で、実際には存在しない人物がある論文を書いたことにして、自分の著書を完成させたという問題で、盗用や別のねつ造について不正として判断されました。この方に対しては人物像が分かれるところがあり、「この人は本質において牧師なのだ」という評価があった、ということを挙げたいと思います。

 最後の例は、STAP細胞の件です。これは、私たちの体の中に一種の万能の細胞があるという研究領域です。実は、この研究領域の研究は、1999年の8月から半年間に5つの別々のグループがそれぞれの概念を発表しています。おそらくこの研究者本人は、それらの過去の実績を矛盾無く説明できる新しい仮説を作ろうとして、STAP細胞という概念を考えたのだと思いますが、仮説の生成はある種の想像力が必要で、そういう能力と、きちんと事実を検証していく仮説検証能力という本質的に異なるものを、研究者は両方持っているのが望ましいのですが、片方しかないケースがあります。こういう場合は、やはりチームとなって問題を解いていく必要があると思います。

 このように考えると、一つ一つの不正というのは非常に奥が深く、彼らがこういう理由でこういったことを行ったのだという断罪を、私たち第三者が勝手に行うことはできません。ですから、これまでの議論とこのあとの議論は、いったん少し分けて考えていきたいと思います。

なぜ研究不正が起こるのか?

 それでは、なぜ不正が起こるのかを、心理的・社会的・構造的要因から議論させていただきます。繰り返しとなりますが、ここで論じていることは、先行して論じている不正事例が、こういうことを原因として起こったのだということを申し上げたいわけではありません。

 まず、精神科医のスコット・ペックが、「平気でうそをつく人たち」という本を発表していますが、ここで彼は、嘘をつく人には過度のナルシシズムがあるのではないかと論じています。自己愛という考え方はジークムント・フロイトによって発見され、エーリッヒ・フロムによって深められたといわれていますが、フロムは、嘘を生む自己愛というのを、悪性の自己愛、ナルシシズムと呼び、「悪性の自己愛とは、己を完全無欠と捉える特徴がある。自分の作り上げた完全な自己像に合うように、現実の世界を説明するときに嘘が生まれる。この嘘は邪悪である」と書いています。これはある意味、ねつ造の構造と似ています。自分の見立ては正しいと考えて、それをあたかも事実のように書いてしまう。そこに共通するものがあるのではないかと思います。

 もう一つは、そんなに深い悪意ではないですが、ものの考え方には慣性があり、こうだと思いこむと、なかなかそれは修正できないということです。何か自分の新たな仮説を作り上げ、それを通して生物・自然・宇宙などを説明しようとして、事実に反してしまったときに、自分の仮説を自己批判して修正に持っていくのが本来の科学の流れだと思うのですが、これができないと事実を変えてしまうということが起こると思います。まだ確立していない分野に挑戦する、こういう局面というのは非常に間違いが起こり易いです。それだけに、すごく強い自己批判精神というものを掲げていかなければならないと考えられます。

 また、日本の文化の問題という、より普遍的な話をさせていただくと、日本人というのは、権威や定説などへの批判は野暮で下品だと捉えがちだということが指摘されています。これは経産省の産業構造審議会2020未来開拓部会の資料から取ったものです。つまり、みんなが了解していることから外れたものは、「つまらない」ので日本人は何となく受け入れがたく、そういう意味では、新しい枠組みを作るというのは非常に大変な作業であり、だからこそ慎重にきちんとやっていく必要があると私は感じています。

 もう一つ違う面をご紹介したいのですが、科学の中で期待された発見の大半は再現性が無いことについて、2010年以降たくさんの論文が出ています。再現性がある論文より、無い論文の方がより支持されて、多く引用されているという調査結果もあります。ランセットという医学雑誌は、「What is the purpose of medical researcher?」というように、16兆円もの研究費がバイオメディカルに使われているけれども、その85%が無駄、と非常に厳しい論考を出しています。

 これは先ほどの「嘘をつく」とは違うレベルの問題で、科学というものが持つ特徴の中に、フリードリッヒ・シラーは、自然に自分の枠組みを押しつけているだけで、自然から自分に向かってくるものをきちんと捉えていない、と述べています。そのことを小林秀雄は「大切なことは、真理に頼って現実を限定することではない。在るがままの現実体験の純化である」と言っています。そういう意味では、科学というある種人間の認知限界というものがそこにあり、そういう枠組みがなければ、きわめて複雑な人間や自然というのは捉えられない、だから常に謙虚な姿勢というのが必要なのだろうと思います。

研究者とは何か?

基調講演写真2

 それでは最後に「研究者とは何か」という議論に移りたいと思います。

 まず、皆さんはどういう価値観で研究しているでしょうか。価値というのは、よく道具的価値と内在的価値に分けることがあります。道具的価値というのは、見たいものを見る、つまり自分の欲望を実現するために生きるということです。一方、内在的価値というのは、生きる喜びや生きている瞬間そのものを愛するというのに価値を生み出すものです。科学が好きだから科学をし、研究をする。もしかしたら研究不正を行う人間は、研究が好きではないのかもしれません。

 また、道具的・内在的と関係しているのですが、知能と知性という考え方もあります。知能というのは、予測可能な範囲に適用される頭脳の働きで、見たいものを見るということで、ここから研究不正が生まれることがあります。それに対して知性というのは、脳の創造的な思索的な側面であり、吟味して、疑って、理論化して、批判して、想像して、見えないものを見ようとするということです。研究者とは「見えないものを求める存在」であるといえると思います。

 では、見えないものに迫るというのは、どうしたらできるのか。デュボスの「遺伝子発見伝」によると、DNAが遺伝の物質的実体であることを最初に発見したオズワルド・エイブリーは、新しい発見がなされたときには、「注意深くその事実を確認し、その理由を推察すること」、「発見が事実であることが確認されても、自分自身が常に批判的な態度を取ること」、そして自分の発見を「人々に正しく伝えられるように努力すること。決して誇張したり誤って受けられたりするような話をしてはならないこと」と語っていたそうです。

 また、私がドイツのベルリンで製薬企業の執行役を仰せつかったときに、ドイツの取締役にマネージメントとは何かということを学びました。彼が言うには、マネージメントの神髄というのは、社内や社外にある嘘を見つけることにあると。ただ、専門家によってなされた巧妙な嘘というのは、専門知識だけで見抜くのは難しく、まず自分自身が「真実に迫る気迫を鍛える」ことが必要だと非常に厳しく言われました。

 そしてもう一つあります。どれだけ慎重に研究しても、間違いはありますが、問題点を指摘されたら、感謝と共に修正をする。そういった相互批判を受け入れる姿勢がないと、研究はできません。

 では、PI(研究室主宰者)が正義を実現するにはどうすればよいでしょうか。これは、公平者の視点を持つことがものすごく大事です。自然科学は自己顕示欲を満たす手段ではないと考えたときに、真実を愛する研究者を育てることができる。創造的な対人関係から創造的な研究室を運営し、創造的な自然科学を作っていく必要があると思います。

 では、創造的な研究室の運営とは何かということですが、若い研究者の発想の中に、自分が見ていなかった何かが隠れている可能性があったり、互いに自己批判・自己変革をするという、そういう風土の中で新しいものが生まれてくるのではないかと思います。

 また、特に優秀な人が陥りがちなのが、自分の視点・認識・態度は全て正解だから、皆に理解してもらえると思い込むこと。自分とは違う見方があるということは、なかなかわかりにくいです。自分より若い研究者に対して、自分とは違う見方があるということを見つけていくのは難しいと思います。そういった相手の心を見るということは、もしかしたら、どこかで自然科学の本質と繋がっているのではないかと思います。

 最後の課題なのですが、研究者として行くべき方向とは何か。それは、ものまねではない、独自のスタイルを生み出すことで、これは大変なことです。間違えが起こるテーマをしなくてはならない中で、どうやって研究不正を防いでいくのか、これが多分研究者の行くべき道なのではないかと思います。

2.パネルディスカッション

 パネルディスカッションは、研究倫理推進室の有信室長、岡部室員(医学系研究科 教授)、平地室員(数理科学研究科 教授)、佐藤室員(経済学研究科 准教授)、ご講演いただいた桜田先生の5名にパネリストとしてご参加いただきました。最初に、室員3名から基調講演の感想やご自身の研究分野における研究倫理の認識について話題提供いただき、その後、パネリスト間で意見交換を行いました。

話題提供

岡部室員(医学系研究科 教授)
 研究不正を含め、研究に関連する要素として、「個人・個人を取巻く環境・社会・科学の段階」の4点が挙げられます。
 「個人」とは、当人がどのような教育を受けて、どういう形で科学に接しているか。「個人を取巻く環境」とは、例えば野口英世先生で言うと、当時所属していたロックフェラー研究所の置かれた環境でどのような影響を受けたか。次に「社会」からどう期待されているかという面について、いまの社会だと新型コロナウィルスの研究に対する社会の期待があります。最後に、「科学の段階」については、講演でもパラダイムのシフトという説明がありましたが、「パラダイムシフトの前段階のときに既存の枠組みの中で説明しようとして生まれる不正」と「新しい研究ルートが生まれてくるときに、周りが未成熟で論文自体をどう評価してよいか分からないために生まれてしまう不正」の2つ可能性があります。
 これら4点のファクターに分けて研究者の周りの環境を考え、その中から何故、研究不正が生まれるか、考えていくのがよいかと思います。

佐藤室員(経済学研究科 准教授)
 私は経済学の統計学を専攻しているので、文系領域における研究不正として話題提供します。
 文科省が公開している不正事案の件数を文系理系ごとの件数を調べてみたところ、文系が全体の4割を占め、うち重大な事案は講演でも示された1件でした。
 その他の研究不正では盗用がありますが、文系と理系では内容が異なるかと思います。文系領域、経済学であっても仮説・提案・検証というプロセスを経ますが、人間が対象であるものに関しては、実験・検証をしたところで再現性がないので、仮に捏造があっても判明しない可能性や、調査そのものに意味があるので捏造すると意味が無くなる可能性も考えられます。
 文系では性善説が主流で研究が行われており、「不正をしても割に合わない領域」という印象がありますが、根深い問題はあると思うので、注意していかないといけないと思いました。

平地室員(数理科学研究科 教授)
 数学は論文に書かれている内容が全てなので、数学者は一番不正から遠いところにいると思っていましたが、講演を聞いて、そうでもないと思いつくことがいくつかありました。
 まず、数学は全く新しい理論が出てくると査読が非常にむずかしく、時間が掛かります。これは数学が抱えるどうしようもない問題かと思います。
 もうひとつ最近、論文数が増えて査読者を探すこと自体が難しくなっています。根本には、査読が大変で引き受け手がない問題もあります。査読者倫理も考えなくてはならない状況です。
 

ディスカッション

パネルディスカッション写真

研究の再現性、線形・非線形モデルとパラダイムのシフト

岡部室員:「研究不正」と、生命科学研究における「再現性の問題」。このふたつは違うことですがリンクしている面があると思われます。生命科学だけの問題か、科学全般の問題なのでしょうか。

桜田先生:自然科学全体において、これまで人類は複雑な世界を線形近似することで理解しようとしてきましたが、実際に自然は非線形の開放形で、特定の条件でしか、線形近似が成り立ちません。論文の再現性の問題は、普遍的なものを発見したほうがインパクトは大きいため個別の特定条件で成り立つものを一般化したい、という心の動きが原因でして、これを克服するには自然科学が現在抱えているパラダイムの欠点を把握しながら、新しい発見をしていく視点が必要です。
岡部先生のご発言で重要なところは、パラダイムが変わる時期というのは、従来のパラダイムでは説明できないものが増えることによる間違いと、一方で新しいパラダイムが未成熟なための間違いがあり、いまは科学が変わり目に来ている時期ではないでしょうか。

研究対象のクオリティの担保

有信室長:例えば、生命科学では個別の要素間の関係性・法則性を見いだすプロセスの中で、クオリティが担保されていない材料から結果を得ても再現性は期待できません。この点は区別する必要があるのではないでしょうか。

桜田先生:ご指摘のとおりです。生命科学の実験結果はコンディションの影響を非常に強く受けます。条件が明確に論文に記述されていないために第三者が追試できない問題や、対象が複雑なために悪意なしに十分な記述がされていない問題もあります。そもそも生命医科学は、50~60年前の基本的な分子生物学の概念を出した時代とは違って、生物の問いが非常に細かい各論に入ってきているだけに、再現性のないことが起こりやすいと思います。

平地室員:線形はニュートンの時代から開発されて、確固たる理論がありますが、非線形になると、数学は殆ど解を与えてくれませんし、実は解が存在しないかもしれません。いまの段階では、数式があるからこれは正しいと考えてはいけないと警告したいです。非線形は数値解析をするときに誤差評価をしますが、これは地味な作業です。誤差評価をしても新しいものは出てきませんが、これまでのものが正しいと証明できるので、大変重要な分野なので、近い将来、進歩していくと思います。

桜田先生:いまの問題は、これから科学において、すごく大事なところで、平地先生のご指摘のとおり、非線形では、変数が沢山ある動的システムへのツールが存在していません。一方で、情報理論といった概念で対象を理解する考え方が出てきています。分野を超えて、異なる分野が混ざっていくことで、新しい科学が生まれてくると思います。それぞれの分野の研究者が課題を抱え、違う分野を覗き、一緒に取り組むことは、次の科学を解いていく非常に大きな課題になります。

有信室長:佐藤先生の専攻されている統計学においては、統計結果から相互関係は分かっても、因果関係が分からないことがあるのではないでしょうか。

佐藤室員:統計学は確率を基本にした、一種の応用数学です。一番重要なことは、統計学を使う前提となるべき仮定が成り立っているかどうかですが、この確認は難しく、前提を満たしているか確認できない仮定も非常に多いです。そのため、何が正しいかもよく分からない状態に陥る問題もあります。
また、気になる点として、ある効果を測定するための調査が期待通りにならなかったとき、調査自体を没にすることがあると思いますが、これは研究不正になるのでしょうか。

有信室長:難しいですね。駄目な研究は駄目だと明確に記録してもらうと非常に助かりますが、記録がないために、同じ研究が繰り返されることがあります。いまのお話だと、ビックデータのクオリティの問題は非常に深刻です。生命科学における材料のクオリティ担保の問題とも関わってきます。一方、情報科学では、何を主導原理とするかで話が異なってきます。情報系ということで、司会の関谷先生からご意見をお願いします。

関谷室員(情報学環 准教授):私もアンケート調査データを用いた統計研究をしていますが、出てきたデータの揺らぎやクオリティをどう評価すべきか、常に頭を悩ませています。
また、人によって、調査統計技法の正確性や、厳密性、不正の度合いに対する価値観が異なるので、正しい社会科学の知見をいかに導き出すのか、文系としての課題と考えています。

視聴者を交えたディスカッション

質問1「プログラムのバグと研究不正は、どうすればよいか。」

有信室長:プログラムのバグと不正の関係は、逆を言うとプログラムの間違いと不正の関係になると思います。再現性がないケースに対する考え方と関連してきますが、ご意見をお願いします。

平地室員:プログラム全体を公開し、全てのデータを与えている場合は、不正ではないと理解しています。数学では、論文発表後にミスは大小見つかりますが、後々直していきます。公開することで、第三者の目で確認していくことはいいことだと思います。

桜田先生:いまの問題は、AI全体に影響する議論の論点です。あるデータセットをAIに機械学習させて推論が出たときに、データにバイアスがあると求める結論に合ったAIの推論を結果として出してしまうことがあります。あくまでもAI・機械学習は手段であり、目的ではないので、例えば生命現象を計算可能な形で表現するとは何か、本質的な問いからAIを使わないと検証しようがありません。今後、AIを無批判に使って結果を出してしまう、従来とは異なる研究不正が増えてくるのではないでしょうか。

有信室長:ディープラーニングも、一部違うデータが入ってしまうと全く異なった認識をしてしまう例もありますし、そういう意味では繋がりそうな話です。

岡部室員:生命科学では、プログラムにバグがあること自体よりも、バグがあるプログラムを使って出した解析結果が、バグがあることに気づかれずに、ずっとそのまま皆が信じてしまうことが1番の問題です。プログラム自体の検証や、第三者が同じプログラムを使ってどうなったか確認しあうなど、オープンサイエンスの考え方が重要です。

佐藤室員:機械学習は、何故上手くいくか分からないが、上手くいったというケースが結構多いです。上手くいかない事例は発表されないので、今後、上手くいかない研究を明らかにするべきだと考えます。

質問2「PIと学生・研究員との関係。ナルシシズムの学生を批判すると逆ギレされる、総合批判を可能な条件の担保にするのが難しい。どうすればよいか。学生に自己変革を求めていくために、どうしたらよいか」

パネルディスカッション写真2
総合司会の関谷室員

有信室長:先生方は日頃、学生相手にご苦労されているかと思いますが、ご意見伺えますでしょうか。

桜田先生:自分自身を振り返ると、年を取って色んな経験を積み重ねたときは、ものの見方は変わってきました。若いときに自信満々に自分が正しいと思ってしまうことは、人間に共通していることでしょう。その中で自己批判精神を育てていくのが教育で、正解はありませんが、PIがその気持ちを強くもつことが第一です。自分がトップにいると思っている若い人がいるとしたら、いっそ違う領域との異分野交流をすると、自分のものの見方に限界があると知ることができると考えます。

岡部室員:研究の現場で考えると、私は実験系なので、とにかく実験をさせて、頭で考えていることが手を動かすと上手くいかないと、気づいてもらうことが重要です。
若い人はシニアの先生は何でもうまくできて実験も順調だと思っていますが、実際、色々なところで挫折しています。一緒に経験することが大事かと思います。

佐藤室員:文系には強い上下関係が学生を含めてあまりないですが、他人の立場に立って、心が分かる人間になりたいですし、そういう人間を育てていきたいです。

 

質問3「研究を進めるために研究費を獲得しなければならず、インパクトファクターの高い雑誌に限られた時間で載せなければならない。そのために面白い結果を優先し、再現性がおざなりになってしまうことが、特に生命科学の分野で多いのではないか。」

有信室長:若手研究者のキャリアパスを含めて、非常に厳しい状況に置かれていて、いまの話に繋がってくると思います。数学関係はどうでしょう。

平地室員:いまは論文の数が若いときから求められます。私の時代には、競争的資金に応募するため、よい研究計画があれば採用されていました。いまは、論文が採択されないと勝負になりません。もう少し練り上げればいい論文になるのに、急がないといけないという悪い循環になっていると考えます。

桜田先生:いまの問題は、研究費の審査の重要さを物語っています。一流誌に掲載された論文の本数だけで審査するのであれば、こんな簡単なことはありません。本来はその研究者の思い・積み重ね・ものの見方を見極めなければなりませんが、査読と同じで、審査も労力がかかります。科学全体のレベルを上げていくには、評価する側も変わっていく必要があります。

岡部室員:本当に難しい問題で、皆が困っていることだと思います。私の学生時代であれば、2年間頑張れば、それなりのよい論文が書けましたが、いまは下手すると10年掛かって、やっと1本メジャーな論文をパブリッシュする状況になっています。若手のキャリアアップの面で悪い影響を出しているので、変えていかないといけません。そのために、何ができるか難しいですが、研究費の審査や教員・研究者の採用人事の考え方を変えていく必要があるのではないでしょうか。論文数も重要ですが、自分の研究に対する考え方や、継続性・発展性など、採用後10年間に何をするのかを、審査できるといいですし、審査する側も次の発展に繋がる人を採用するという信念を持つ必要があると考えます。

パネルディスカッション写真

有信室長:見る側が責任をもって見るし、見た結果に対しても責任をもつという体制ができればよくなるだろうと思います。佐藤先生は状況も違うと思いますが、ご意見ありますでしょうか。

佐藤室員:これからジャーナル自身も変わっていく可能性があって、オープン化していくと思います。昔に比べるとパブリッシュすることは、そんなに難しい条件ではなくなってきていますが、クオリティをいかに保っていくのか課題になってくると思います。

総括

有信室長:桜田先生のご講演でも、クオリティを高く保つために、研究者としてどのような心構えが必要かということが述べられていました。クオリティを徹底的に毀損してしまうことが不正なので、クオリティを高く保つことを常に考えられていれば、不正には繋がらないはずです。自分たちのクオリティが、研究室のクオリティにも繋がることを常に頭に置いてほしいです。
また、シニア研究者の方々は、安易に論文数・業績結果で判断するのではなく、本来のクオリティを見極めていく心がけが必要だと思います。

3.出演者より

桜田 一洋(理化学研究所)
桜田先生写真

世界の見方を変えるような発見を目指して、科学者は仮説を立て検証を行います。しかし仮説がそのまま実証されることは稀で、何年もかけて研究を続けた末に仮説が的外れであることが明らかになることもあります。それは、研究者としての人生を終わらせてしまう場合もあるでしょう。研究不正を防ぐには、名誉ではなく発見に歓びを感じる心を育み、意欲のある研究者が再挑戦できる仕組みを構築していかなければならないと考えました。

岡部 繁男(研究倫理推進室員)
岡部先生写真

令和2年度研究倫理セミナーのパネルディスカッションに参加させていただき、多様な研究倫理に関する課題について意見交換が出来たことは大変有意義であったと思います。桜田先生による基調講演の内容を受けて、研究不正の問題からデータサイエンスに関する話題、さらに若手研究者のキャリア形成についても話が及んだのが印象的でした。今日の学術研究の状況や課題を踏まえた上で研究倫理に関する議論を積み上げ、東京大学ならではの取り組みを今後も充実させていくことの重要性を再確認しました。

佐藤 整尚(研究倫理推進室員)
佐藤先生写真

文系研究者からの観点でセミナーに参加しましたが、いろいろと勉強になりました。盗用などを含むと文系分野でも無視できない数の研究不正の事例があることが分かり、驚いた次第です。また、今回、研究不正が起こる背景などについて様々な考察がありましたが、文系分野においても当てはまる事項が多いと思いました。今後のさらなる啓蒙が文系分野でも必要であると感じました。また、今回はコロナ禍ということでオンライン開催となりましたが、参加しやすかったのではないでしょうか。ぜひ、今後もこの形態を残してほしいと思います。

平地 健吾(研究倫理推進室員)
平地先生写真

パネリストをお引き受けした当初は数学者に研究倫理が問われることはないと思い他人事のように感じていましたが、事前に勉強をするうちに理論研究の分野でも査読者が共犯者となる悪質な不正が増えてきていることを知りました。成果を出さなければいけないというプレッシャーが不正を生むという現実は、実験に関わる分野と共通です。理論研究では査読者の検証によって証明の正しさが担保されなければ大きな混乱を招きます。油断していた数学者も研究倫理セミナーに積極的に参加すべきであると実感しました。

関谷 直也(研究倫理推進室員)
関谷先生写真

今回は理系の議論が中心でしたが、査読システム、予算獲得、論文数やIFの評価等が倫理の問題と関係していることが非常に分かりやすく勉強になりました。社会科学系でも実証データを扱う研究は多くあります(質的データが多い、量的データが多いなどの違いはありますが)。文科系で研究倫理に関する問題が少ないのは、複数人での研究が少ないからなのか、予算面の規模が小さいからなのか、実証データの扱いに違いがあるのか、研究テーマによるものか、分野内の競争が少ないからか、今後考えていかなければならないと思いました。

有信 睦弘(研究倫理推進室長)
有信室長写真

今回は、講演者とパネリスト及びスタッフが現場、聴衆はオンラインというハイブリッド方式を試みました。従来に比べて質問の数も多く、感想も様々な視点から数多く寄せられ、成功だったと思います。桜田先生の講演は過去の実例から一歩踏み込んだ内容で、参加者からは好評だったと思います。また、パネルも医学、社会科学、数学と幅広い分野の先生方によって充実したものになりました。総合司会の全体の進行にも大きく助けられたと思います。寄せられた感想もほとんどが肯定的で真摯なものが多いという印象です。

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