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令和5年度研究倫理セミナーを開催

掲載日:2024年1月29日

令和5年度研究倫理セミナー
責任ある研究とイノベーションを考える ー取組に向けてー

 東京大学では、「高い研究倫理を東京大学の精神風土に」という目標のもと、平成26年3月に「研究倫理アクションプラン」を策定しました。このアクションプランの中で、「研究倫理ウィーク」を定め、この期間中に本学の構成員に対して研究倫理への理解を深める様々な企画を実施してきました。今年度は、令和5年9月26日(火)に、『責任ある研究とイノベーションを考える―取組に向けて―』と題して、研究倫理セミナーをオンラインで開催し、講演およびパネルディスカッションを行いました。本セミナーについて、その模様の一部をご紹介いたします。

 

開会挨拶 (研究倫理推進室 藤垣    裕子    室長)

開会挨拶

 皆様、本日はお忙しいところ、今年度の研究倫理セミナーにご参加いただき、まことにありがとうございます。私は研究倫理担当の理事、副学長、研究倫理推進室の室長をしております藤垣裕子と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、研究倫理や研究不正といいますと、私たちは何かをしてはいけない、べからず集を思い起こします。一昨年はもっと前向きのことを考えようと、志向倫理に焦点を当てたセミナーを実施いたしました。また昨年度からは、責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovation:RRI)に焦点を当てたセミナーを企画し、今年度もその延長上のセミナーを企画いたしました。
 研究の成果は研究者の予想を超えて社会に大きな影響を及ぼすことがあり、さまざまなステークホルダーとの対話が求められています。藤井総長のUTokyo Compassの目標の1-5には「責任ある研究」という項目があり、また東京大学の第4期中期目標・中期計画の8-4には「責任ある研究・イノベーションの推進」が掲げられています。
 この二つに共通して、「RRIと、研究の倫理的・法的・社会的側面(ELSI)を組み込んだ研究倫理セミナーを年40回開催」という数値目標が掲げられているため、「RRI及びELSIを組み込んだ」という部分をどのように各部局の中に埋め込むかを考えなくてはいけません。
 昨年度9月のセミナーでは、RRIとELSIを組み込んだ研究倫理セミナーを各部局の中でどう実施するかのヒントが得られるような内容を議論いたしました。このセミナーの内容を受けまして、各部局の研究倫理担当者を対象とした説明会を11月に開催し、RRI及びELSIの観点を組み込んだ研究倫理セミナー等の実施の検討をお願いいたしました。
 さらに、各部局におけるRRI及びELSIの観点の組み込み方についての発表会を今年の2月から3月に開催し、それぞれの取り組みを全学的に共有いたしました。
 今年度のセミナーは、そのような活動をさらに先に進めるために企画されました。まず大阪大学のELSI研究センター長の岸本充生先生にご講演をいただきます。続いて、昨年度の発表会でのグッドプラクティスの例として、生産技術研究所と、新領域創成科学研究科の例をご紹介いたします。続いて脳科学と人文社会科学の事例をご紹介します。
 本学における研究倫理セミナーの企画や、RRIやELSIの組み込みにおいて苦労するのは、総合大学ゆえの研究領域の広さと多様性です。ご自分の領域にRRIやELSIを組み込むには何ができるのか、本日の具体的事例を聞きながら、皆さんがそれぞれの専門分野への応用可能性を考えていただき、今後の部局のセミナーに生かしていただきますとありがたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

基調講演 「ELSI 対応なくしてイノベーションなし─ELSI センターの取り組み」(大阪大学 岸本 充生 教授)

 私からは、大阪大学の社会技術共創研究センター(通称、ELSIセンター)のセンター長として3年半活動する中で、得られたものを発表します。
 私はもともと社会科学系、経済学の人間ですが、産業技術総合研究所で初の社会科学系の研究者として15年、その後に東京大学の公共政策大学院に3年在籍し、現在は大阪大学にいます。例えば、原子力規制委員会の放射線審議会の中で、いわゆる放射線防護の専門家以外の唯一の人というようなポジションで仕事をすることが多いです。
 今日のテーマである「ELSI」という言葉は、元々は生命医科学の領域で使われていました。最近はこの領域でもデータの利用やAIの導入が進み、ウェアラブルデバイスの普及によって、以前は病院でしか取れなかったデータを日常的に取ることが可能になってきています。これにより、医学研究と非医学研究の境界が曖昧になり、情報学、工学、理学の研究者たちが、かつては医学の専門家だけが行っていたような研究を行うことが増えてきてきました。これらの変化を受けて、ELSIという概念や考え方にもアップデートが必要だと考えています。
 また、従来から存在する「研究倫理審査」とRRIが、研究の分野では全く別に扱われてきた歴史があるため、これらを統合してアップデートしたいと考えています。 
 

  ELSIセンターについて

 まず、新規の科学技術を社会実装するに当たっては、さまざまなところで過去につまずきがあったと考えられます。特に近年、パーソナルデータの利活用やAIの社会実装では、しばしばいわゆる「炎上」の事例が起こっています。
 プライバシーや個人情報保護の問題、悪用される可能性、個人や社会に利益をもたらすのかとか、差別や不公平を生み出さないのかと、さまざまなハードルがあって、どこかでつまずくと事件や事故、「炎上」が起こります。つまり、よい技術をつくったからといって、そのまま社会実装されるわけではないことが明確になってきています。
 また、「何かあったらどうするんだ」症候群と私が命名した現象もあります。これは、新しいことを始めるときに、「このプロジェクトは最近炎上した案件に似ていないか」、「省庁や同業他社はどうか」、「他国や国際機関のガイドラインづくりの情報を集めてくれ」などの議論が行われ、最終的には省庁や国際機関などから明確な答えが出るまでプロジェクトを一時停止しようという結論に至る現象を指します。これと似たような会議がこれまで何度も日本全国で行われてきたのではないかと思います。当然、これでは新しいことが何もできなくなるし、イノベーションにつながらないわけですね。

 この話と、先の「炎上」が起こる話は、一見真逆に思えますが、実は技術と社会の間のギャップを埋めるノウハウが欠如しているという共通点があると考えます。ちょっと拡大解釈ぎみですが、こういった様々なギャップをまとめてELSIと呼び、それらを埋めるノウハウのことを社会技術と呼んでいます。
 この社会技術というのは、狭い意味での科学技術に対する言葉だと考えていて、それを共創する研究センターということで、社会技術共創研究センターができました。2020年4月のコロナ禍とともに始まったセンターで、およそ20人の研究者がいます。法学、哲学、倫理学、社会学、その他芸術学など、自然科学的な学問分野も一部ありますが、大部分は人文系の研究者です。また、センター内外の理系の研究者や企業とも様々な活動をしています。私は「実践研究部門」の部門長も兼任していて、企業や学内外との共同研究を多く実施しています。

 

  ELSIについて

 実は私、センター長になる前にELSIという言葉をほとんど使ったことがなかったんです。なぜかというと、ELSIは、1990年にアメリカでスタートした、ゲノム解析プロジェクトのELSI研究プログラムで誕生したもので、非常に生命科学寄りの言葉だったんですね。ただ、ヒトゲノムが解読された社会にどんなELSIが生じるか事前に予測して、あらかじめ対応する目的で始まったので、今考えてみると先駆的だったと思います。
 もう一つ先駆的だったのが、外部向け研究予算の少なくとも5%をELSI研究に向けると法律で決まったことです。これによって予算規模がもともと小さい人文系の研究者へ莫大な研究費が流れて、ELSI研究が栄えたわけですね。ヨーロッパでも同様にELSA、その後RRIという概念へ発展しました。
 そういう経緯があったので、ELSIは生命科学寄りかつ、場合によっては古い言葉とされるわけです。逆に、生命科学ではない研究者たちからは、SDGsの類いの略語がまだ出てきたのかというリアクションを受けることがあります。
 日本でもELSI研究という分野は欧米と同様にあったんですけど、残念ながら研究そのものに大きな予算がつくことはなくて、アドバイザリーボードメンバーのような立場に立つことが多かったんですね。なので、あらゆる新規技術に対象を広げるという意味で、我々はELSIという言葉を新しい文脈でリバイバルしていると言えると思います。
 ただ、あらゆる分野の新規技術にELSIを適用するといっても、新規技術の社会実装自体は新しいことではなくこれまで人類は火の発明以来何度も経験してきていることなのです。それにも関わらず、今問題になっている理由として2つ挙げられると思っています。
 一つは、安全に対する考え方が180度転換されたことです。20世紀の初頭、自動車が社会実装されたころは、何か問題が起きたときに対応するスタンスでした。要するに社会実装されたときには、シートベルトもチャイルドシートもなかったわけですね。原子力発電所もそういうスタンスのもとで次々に設置されたわけです。20世紀の後半、遺伝子組み換え作物が社会実装されようとしたときに消費者の反対運動があって、ヨーロッパや日本ではうまくできなかったのが1つの転機を示しています。
 その後、私は、産総研にいたときにナノマテリアルの研究開発にも関わっていたんですけど、特にカーボンナノチューブやフラーレンって炭素であって、元素は化学物質審査規制法の対象外だし、何の規制もないわけです。ところが、欧州などで安全性が指摘された結果、取引先から安全性に関する追加の資料を求められたという事例がありました。その後、21世紀に入ってから、原発の絵がもう一つあるんですけど、再稼働がうまく進んでいない。 あるいは、自動運転車が、社会全体に導入された事故を大幅に減らすと言われてもなかなか社会実装されないのも、わからないものはひとまず安全とみなす時代から、わからないものはデフォルトで危険とみなされる時代に変わったからですね。安全であることを事前に確認して、そのことを分かりやすく説明できないと社会が受け入れてくれないのが、いまの時代だろうと思わけです。そのように価値観が180度変化した中で、Society 5.0やスマートシティを社会実装しないといけないわけですね。ELSI対応していることが競争力につながる社会でもあると言い換えることもできます。ヒトゲノム解読のプロジェクトは、このような観点で先駆的だったと位置づけられると思っています。

 それからもう一つ、近年は守りたいものの範囲がすごく拡大しています。昔は人命と財産ぐらいだったと思うんですけど、人以外のもの、それからQuality of Life、あるいは知財などの無形資産、人としての尊厳・自律性・人権・自由・民主主義。こういった事項がAIの文脈ではすごく重要視されています。EUのAI Actでは守りたいものがどんどん増えていて、最近では法の支配や民主主義も入ろうとしています。守りたいものの究極はSDGsの17個のゴールになると思います。
 ELSI概念のリバイバルのもう一つの特徴がEthical・Legal・Socialに分けて議論するということです(11ページ)。社会(S)は、変化しやすく不安定なもの、世論やSNSのようなものを想定していただくとよいと思います。それに対して倫理(E)は社会において人々が依拠すべき規範であって、短期的には安定的で、中長期的には変わり得るし、理想的には法の基盤になります。例えば、死刑制度や同性婚を認めるかは、最終的にはL(法)に明記されるとしても、その背景には何らかの倫理的な規範があって、さらにその背景には社会の受容性や我々の好き嫌いがあります。
 そうしたときに、新しい技術が社会に実装されると法・倫理・社会それぞれに大きなギャップが生じます。皆さんもぜひ身近なもので考えていただきたいんですけど、すごく古典的なケースが19世紀末のカメラですね。これは近年のドローンと一緒で、技術革新が進み、かつ安価になっていって、一般の人々が容易に入手できるようになりました。そうすると有名人のプライベートな場面の写真を撮って、新聞や雑誌に売る人が出てきたわけです。それがきっかけで「プライバシー」という概念が生まれて、それが倫理規範になり、裁判所で使われたり法規制の文面に使われたりしていく流れになります。こうした一つの新規科学技術が社会実装されたことによって生じた法・倫理・社会のギャップを埋めるために新しい概念が生み出され、それが倫理規範となり法規制になるという経緯をたどるわけですね。
 ノンアルコールビールや在宅勤務、オンライン授業も、新規科学技術の社会実装といえます。これらが実装されてどんなギャップができたか、それがどういう形で埋まった、あるいは埋まっていないなど、考えていただければと思います。
 その中で企業の方々と議論していると、典型的な重要なパターンが見出されてきます。一つは、法的にはOKだけど、倫理的・社会的にだめというパターン。企業だとよくある話で、社内の法務がOKと言ったけど「炎上」してしまったようなケースですね。もう一つは、法的にはだめでも、社会が求めてるかもしれないパターン。民泊とか自動運転とか電動キックボードとか、新規科学技術の場合はほとんどこれですよね。そうした場合は、やめるのが正解じゃなくて、エビデンスやファクトを持って何らかのロビイングをして法規制を変えてもらう形が必要だと考えています。我々はこうした新しい形のロビイングをResponsible Lobbyingと呼んでいます。
 そうなると、実は過去、企業活動は法務(L)や広報(S)の観点をベースに意思決定していたものが、法律は技術の後追いにならざるを得ないし、社会も不安定で頼りにならないということで、依拠すべきものとして相対的に倫理(E)の重要性が浮上してきているのです。例えばAI倫理指針を企業でつくることがその表れです。その倫理(E)をどう組織に根付かせるかが課題で、我々の場合は、共同研究相手の企業において社内に倫理意識を浸透させようとELSI研修をやっています。
 

  パーソナルデータの利活用

 最後に、パーソナルデータの利活用についてお話しします。これは、できることと、やるべきことは違うというすごいシンプルな点が一番重要な点かと思います。
 大量のデータセットがあると、学習プロセス、推論プロセスを通じて、予測・認識・分類ができます。ところがこういう従来型の、生成AIではないものは、データの取得の場面、アルゴリズムそのもの、サービスの展開場面にELSIが生じやすいことが分かっています。
 例えば顔認識技術の場合、インターネットから顔画像を勝手に収集していたこと、当初は学習データが白人男性に偏っていたために女性や有色人種の誤認識率が高かったこと、欧米では最初に警察が利用したために職務質問がマイノリティに対して多くなったり、誤認逮捕に至ったりしたことが指摘されました。
 結論は、技術的にできることと、やってよいこと、やるべきことが違うという、当たり前のことに立ち返る必要があると考えます。しかしその線引きを行うためには、何がよくて何がだめかという判断が必要になってきます。以前は法律に則って弁護士が判断していたことでも、技術革新のスピードが加速すると法律やルールが追いつかないので、企業や大学がみずから判断する必要があり、ますますEthics(倫理)の役割が増してきます。我々ELSIセンターが求められるのにはこのような背景があると考えています。

 現在、センターで実施している人文系の産学連携が6社になりました。人文系の産学連携はこれまでそんなになかったと思うし、企業と共同研究すること自体を考えていない方もいたと思うんですが、ニーズはありそうだなと考えています。センターではNECさんから1人特任の研究員を受け入れてますし、メルカリさんには我々のほうから人文系の研究者をクロスアポイントメントで派遣していると。そういう人的な交流も最近始まっています。
 こんなことが大事かなというふうに共通するテーマとして暫定的に挙がってきたのが、社会技術というのは、概念、ツール、プロセスなどから成るんじゃないかなと。そこに人材育成、組織整備、第三者の観点が加わると、さらに補強されます。
 具体的には指針を策定したり、リスクアセスメントのやり方を確立したり、倫理審査。これは企業で倫理審査プロセスを導入することがすごくはやってるというか、迫られてますね。あるいは従来の法務に加えて、ELSI研修や倫理審査の組織をつくったり、外部の有識者会議とか第三者認証に取り組んだりといった試みがなされています。

 

 最後に

 二点、大事な視点を挙げたいと思います。一つは、ライフサイクルの視点です。研究倫理審査って大学では当たり前にやられてきてますし、最近、人文系にも入ってきています。ところが、これは研究プロセスが対象で、研究被験者の保護というのを目的にするので、社会実装後のことはほとんど考えてないんですね。
 逆に、企業は法務とか品質保証部みたいなところが社会実装の前には精査するんですが、バイオ系とか医学系以外は研究倫理審査は今まであんまりなかったんですね。なので、実装直前に突然ダメ出しを食らって、それまでの研究開発が無駄になるということもあり得たわけです。
 さらに長期的影響までモニタリングすることも難しいので、技術やサービスのライフサイクルを見たときに大きなギャップがあると考えています。これを埋めるのがRRIの役割と思っています。メルカリさんとの共同研究では、「研究倫理審査」を「研究開発倫理審査」に名前を変えて、スコープを広げています。
 もう一点はリスクベーストアプローチ(Risk based approach)が大事になってくるだろうと思っていて、AIやパーソナルデータの利活用でもリスクアセスメントプロセスを導入してリスクを管理しようとしています。例えば、リスク洗い出しワークショップを、研究倫理審査プロセスと並行してやっていくことを構想しています。

 最後にまとめです。まさにELSI対応というのはプラスアルファのいいことをしてるみたいな話じゃなくて、これはビジネスそのものだと考えています。ELSI対応をちゃんとしないと、そもそも企業の技術やサービスの社会実装があり得ない、すなわちイノベーションが不可能になると考えています。
 もう一つ、「受けたくなる研究倫理審査」というスローガンを最近思いつきました。大学では、面倒くさいなと思いながら倫理審査をやる場合が多いと思うんですけど、受けたくなる研究倫理審査を目指すために、どうすればいいか考えているところです。
 その際には、社会実装された場合のいろんな潜在的影響、ELSIを含む影響を想像するようなワークショップを、多様なメンバーとやることによって、逆にイノベーションのシーズが見つかったりとか、うっかり社会実装して炎上することを避けられたりとか、いろんなメリットがあると考えて、妄想している段階です。以上です。ありがとうございました。

              


 

分野別の話題提供

生産技術研究所 新野 俊樹 教授

分野別の話題提供 松田先生

 生産技術研究所は非常に広い分野の範囲を持っておりまして、研究所に特化したELSIはあまりないかと思っております。当研究所でELSIの研究をされている松山先生に昨年ELSIがどういうものか説明いただいたときに、初めてELSIの何たるかが何となくわかって、今やるべきことは、ELSIが何なのかを皆さんに意識していただくことが最初に重要になると感じました。そのための講習資料を松山先生につくっていただいて、研究所の職員研修のときにお話をしています。今日はその資料をご紹介します。
 
まず定義をきちっと言おうかなというところです。というのが「背景」で、ELSIは「科学技術が社会に与えるインパクトの多様化・規模拡大」、それから「社会課題の複雑化」によって、何のための科学技術かという議論が必要になってきました。そして科学技術政策が変化して、社会での活用を前提とした研究がふえてくると同時に、総合知の重視も進んできて、政策立案者や研究コミュニティでELSI、RRIの考え方と重要性が認識されるようになったという流れです。
 
ELSIは、新規の科学技術が社会実装される際に生じ得る倫理的・法的・社会的課題。技術的課題以外のあらゆる課題を把握し、検討し、対処する必要があるということ。                          RRIは、目指すべき社会像や価値観から逆算して、我々の社会が直面している壮大な課題に挑戦するための手段として科学技術・イノベーションを据え、科学技術の研究開発のあり方そのものを、そうした社会像や価値観に合致した、より好ましいものへと変革させていく必要があるという考え方。                                  といっても、これを皆さんにすぐ理解してもらうには難しいので、どうしようかなと思ってたんですけども、私自身以下の様な経験をしましたので,いまはこの経験が参考になればと思っています。

 私は、付加製造、いわゆる3Dプリンターを1995年から研究しています。2000年代前半はこの技術を研究してる研究者は日本に3人ぐらいしかいないという、非常に絶滅危惧種的な状態だったんですけども、2012年から2013年にかけて3Dプリンターブームが起こりました。そして、2014年の5月に、神奈川県で3Dプリンターで拳銃をつくって捕まった人が出たんですね。NHKからニュース番組出演の話が来て、みんなが勝手に銃をつくるようになったらどうするんだという質問がきたと思うのですが、「それはつくる人の問題で技術の問題じゃないですよ」とお答えしたのですけれども、困ったなと思いました。そういったことを考えると、当時からELSI、RRIの考え方をちゃんと持っていれば困らずにお話ができたかなと、今少し悔やんでるところです。
 このように、皆さんにELSIの考え方が重要であることを理解していただこうということと、世の中でどうなってるかということを資料で説明しています。Horizon2020では、RRIで検討すべき取り組みとして、ジェンダー、科学リテラシーと科学教育、パブリックエンゲージメント、オープンアクセス、倫理、ガバナンスの6つの軸をあげています。また、男女共同参画計画を持つ研究実施機関の割合や、ジェンダーにかかわる研究内容を推進する研究助成機関の割合など、指標がきっちり決まっています。
 技術の研究をしていると、倫理を先に考えて踏みとどまるというのは少々面倒くさいところがあるので、既に始まっているプログラムや課題の例を紹介して、皆さんに考えるインセンティブを与えられたらいいなと思っています。例えば、トヨタ財団では、「先端技術と共創する新たな人間社会」ということで、AI、IoT、ビッグデータ、ロボット、ブロックチェーンなど先端的な科学技術をめぐる社会的諸課題に対応する研究プロジェクトへの助成があります。生研の先生はいろんなところにお金とりに行くのが大好きなので、ELSIを研究するということは技術者にとってもいいことがあるはずだし、こういうふうにお金にもなるんだよと説明しています。
 それで興味を持っていただけるようであれば、資金調達メカニズムから科学技術がもたらす課題の把握・検討・対処、RRIでは研究開発・利用のあり方全般の転換を迫るなどの説明がついているので、ぜひ読んでくださいという研修を行っております。ありがとうございました。

 

新領域創成科学研究科 福永 真弓 准教授

    


 私からは、新領域で進めている取り組みをご紹介させていただきます。
 もともと私たちの研究科は、学融合や領域横断的な研究をする方や、科学と技術の間にいらっしゃる方、サステナビリティなど学際領域研究をされている方、現実問題への具体的な解や社会実装を目指す研究に携わる方が多く所属しています。
 ELSI・RRIへの取り組みは研究科としても非常に重要ですけれども、とりわけRRIについては、例えばSTSで長らく取り組んでこられた大阪大学の標葉隆馬さんがおっしゃっているように、科学とイノベーションの集合的管理による未来へのケア、応答、省察、包摂性をどうやってその中で実現するかといった課題が出されています。すなわち、社会にとって本質的な、「生きることとは何ですか」、「社会はどうやってつくられるのがよいのでしょうか」、「そこでよい制度とはどのようなものでしょうか」など、バックグラウンドにある非常に大きな問いと自分たちの研究が具体的にどのように関わりうるのか、かみ砕いていかなければいけないわけですね。
 実際に、研究倫理について考えるといっても、サステナビリティをはじめとして、実効的な法令の中で明確に決まっている規範というよりは、法制度上の強制力は伴わないけれども実効性を持っていて、規範として社会や市場に強く働きかける概念も多くあります。また、倫理や規範と呼ばれるものの複数性やそれらの間の競合性もあって、どのように「未来」をみいだしイノベーションを目指すのか、混乱しがちなところがあります。
 しかも今まで、ヒヤリハット集や制度的手続が非常に多かったので、研究不正の防止はできても、「誠実で責任ある研究を」と言われた瞬間に、誰に対して誠実であればいいのか、あるいは責任とそこで問われてるのは何かという、茫漠とした問いにどう答えればいいのか戸惑いが出てきてしまうわけです。
 おまけに時代判断としては、私たちはポスト・ノーマルサイエンスと言われる時代にいますので、いわば問いそのものを社会とつくっていくような科学の時代にいます。柏キャンパスは、エンジニアリング分野の研究室も多く、いわゆる何かの真実を追求するという研究の傍らで、試行錯誤を繰り返すために思い切って箱をつくってやってみる、すなわち、条件を仮定してその中で実験を行ってみることも研究手法の柱となります。こうした、「とにかく箱をつくってやってみよう」という研究営為が、どういう方向に研究分野自体を導き、社会にどのような影響を持つのか、一番迷っているのは研究者自身だということも、柏の葉キャンパスの多様な先生たちと平生お話しする中で何となくわかっていたことでした。
そのため、当時の研究科長から、研究倫理ウィークでプログラムを立ててくださいと言うお話をいただいたとき、ELSIとRRIを中心に据えるとして、問題は、先ほど申し上げた本質的な議論に、どうやって研究者が楽しみながらたどり着くかだ、と考えたわけです。
そこで新領域創成科学研究科としては、RRIに含まれているいくつかの要素を重視することにしました。例えばOpen-up questionsを一緒に議論する場を常に設けたり、新しい制度化を考えたりすることです。加えて、科学者集団を構成し、問題にかかわる当事者として、私たち研究者側のエシカルなフレーミングをどうつくるか、その実践も含めて考える機会を設ける機会に出来ればと思いました。
 そして多様な専門家集団がいるキャンパスを生かすためにも、学際的な対話の場ってなぜひりひりするんだろうとか、これは聞いてもいい問いなのかとか、あるいはこういうものをつくってみても大丈夫なのか、やっぱり社会的にまずいのか、というようなことを遠慮なく話せる場や雰囲気をつくりたいと考えました。そのため、それぞれの専門家に、自分にとって今一番研究する中でおもしろいと思っていること、重要だと思っていることを話していただきながら、対話の場を通じて少し深みのある問いにまで到達するということ、つまり未来そのものを想像するプロセスを一緒にやってみることが肝要であろうと考えました。
 なおかつ、予見性や反射性(reflexivity)など従来のRRIの四つのポイントに加えて、クリエイティビティをどういうふうにつくっていくか、そのために何を想像するのか、といったことを新領域版RRIの基本事項としたいと考え、そのように設計しました。


 骨組みが決まったところで、具体的な取り組みとしてまず考えたのは、学際的にいろいろな先生たちが楽しく話しながら、問題を共有する対話の場を学生とも共有することです。そこで「想像×科学×倫理」ワークショップを設けたところ、異分野間の対話の成功経験になりました。また、このワークショップを通じて、答えがない問題に向き合うことの重要性をたくさんの先生方から共有していただけたという背景もあり、対話でお招きした先生方が積極的にワークショップの提案までなさってくださるようになったのはとてもうれしいことでした。2年目には学生主催によるワークショップも始めました。今は、学生たちによる研究科全体の対話の場づくりも組み込んでいて、さらに来年度は授業の一部もつくっていく予定です。
 ワークショップは、研究倫理をルーティン化した手続から解放するということ、土台を研究科全体につくるということ、倫理的思考って実は研究者に新しい気づきや視野の広さをもたらすようなクリエイティブな営みなんだということを実感してもらうということに非常に有効でした。何となく、あなたが持っている責任は私も共有できるかもしれないという手探りのできる場を、いつも同じキャンパスにいる仲間だからこそ話せる、という形でつくるということですね。
 ワークショップのテーマは、多様性から進化の話から、本当にさまざまなものを取り上げていて、毎回通ってくださる先生もいます。コロナ禍で開始しましたが、対話する先生方に対面で集まっていただくことを大事にしながら、グラフィックレコーディングという、その場の議論をイラストに起こすことを取り入れています。もちろん、グラフィッカーにも議論に参加していただいて、いろんな応答をその場で書き直せるようにつくっていきました。似顔絵も先生方にかなり好評で、議論の後、思わぬ自分の姿が絵図として見られることも登壇者にとって発見の一つだったと思います。
 対話の内容はあえて収束させず、論点を広げることに主眼をおいています。例えば、生命の進化を話題にしながら、進化の過程における多様性とは何か、そもそも多様性を保たなければいけない理由は何かをさかのぼってみたり、人間社会の多様性とそこで語られる多様性は重なるのかどうか考えてみたり、そこから発展して、世界の中で多様性を維持する仕組みとして何を保っておかなければいけないのかとか、あるいは多様性と言いながら多様性じゃないものを保ってしまってるのではないかとか、いろんな科学技術が向かっていく方向ともたらしているものについて、四方八方に思考を並べるということがやはり可能になっています。
 こういった取り組みの中で、今年度は、去年研究倫理セミナーで講演された小林傳司先生と、研究科長の徳永朋祥先生との間で、放射性廃棄物の事例について対話していただくことから始めます。ちょっとチャレンジングではありますが、一見難しくて手放しがちな話題についても、開いてみることは非常に大事かと思っています。
 そして基本的には、研究者であってもほかの分野にはアマチュアなので、大阪大学の平川秀幸さんが「成熟したアマチュア」とおっしゃってる言葉をおかりして、「想像する」「対話する」というプロセスを通じて、お互いがそれぞれのアマチュアになっていこう、というスタンスで取り組みのベースをつくっています。
 これは学生にも非常に好評で、2021年度は、学生さんがみずからグレーゾーンでもやもやしてるところをトピックに起こして、それを先生方が議論に参加しながら学生主催で仕切ってもらって、学生が先生たちにも質問を容赦なく投げかけつつ議論をするという場をつくりました。
 今年はさらに輪を広げるために、京都大学でやっている「100人論文」という試みを応用して、「東大柏の葉100人論文」を行う予定です。
 今後の課題は、授業科目への組み込みの始め方と、定期的なセミナー開催のための制度・人材に関することがあります。今はURAの皆さんに手伝っていただいていますけれども、実は研究倫理とかELSI、RRIを動かすに当たって、URAは非常に大事で、URAのプログラム運営をどういうふうにするか、そのプロフェッショナリズムを評価し、地位や就業に関するサポート、学内での積極的な組織づくりを行いながら、大学全体でどういうふうに組織を考えていくかはすごく重要なことだと思います。
また、新領域はOCJ(オンキャンパスジョブ制度)もありますので、こういった制度もうまく活用しながら、学生による自主的な運営のサポート体制ができればいいなと思っています。
 こういった意味で、継続するためには専門性のある教員の確保や、URAの全学的な養成や制度設計も必要だと考えていますが、取り急ぎ新領域ではしばらくこの形で皆さんといろいろ話し合いながらセミナーを続けていきたいと思っております。

 

 

薬学系研究科 池谷 裕二 室員

 ERATO(脳AI融合プロジェクト)での取り組みを紹介します。このプロジェクトでは、脳にAIを埋め込んだら何ができるのか、あるいはたくさんの脳をつないだらどう変わるのかという問いを探求しています。立ち上げ当初から研究プロジェクト名自体がセンセーショナルなので、あらぬ誤解や妄想、あるいは逆にあらぬ期待を引き起こす可能性があるため、常に社会に向けて適切な情報発信が必要だと感じておりました。
 基本的な考えとしては、規則を守るだけではなく、構成員の倫理意識の向上を掲げています。
 実際に行ったことは三つあります。一つ目は専門家を招いてのセミナー。私たちは倫理学に関しては素人ですので、生命倫理や研究倫理の専門家を何度かお招きしました。学術集会でERATO主催の公開講座を開いたり、研究室まで来ていただいてディスカッションをしたり、研究室のメンバーを含めた情報交換などを行いました。
 たとえば、神経倫理の専門家の佐倉先生と対談を行ったり、特別教育講演もやっていただきました。ちなみに、この対談は学会内で会期中に公開され、全1376演題中、視聴数ランキングで13位に入りました。多くの方が注目されていることが実感できました。
 二つ目は、ERATOの母体であるJSTには、人文社会系で倫理の専門家がいらっしゃるRISTEXがあり、その中のHITEの先生方と協同プロジェクトを進めました。情報交換会を2カ月に1回くらい定期的にやり、加えて、自主的に勉強会も何度か行いました。さらに一般の方との交流と調査も行っていて、その取り組みの成果が冊子として公開されています。
 HITEのメンバーの皆さんは倫理や哲学、政治や法律のトップレベルの研究者です。かなり密な交流をしまして、交流のたびにたくさんの資料を共有していただき、自分の勉強に役立てています。
 こうした取り組みの中で、幾つか想定外な事実がわかってきたので、ここで共有します。勉強会に参加した方へアンケートをとりました。「勉強会をする前にELSIという言葉を知ってましたか」という設問に、46%が「全く知らなかった」と回答していました。「何となく聞いたことはあった」程度まで含めると、半分以上の人がELSIの存在を知らなかったという結果です。

 今日このセミナーに、200名を超える方が参加されてます。こういう方は倫理に興味のある方だと思います。当然ながらELSIは基本的な知識として常識です。でも、そういった垣根を取っ払って広く調査をすると、研究者であってもELSIを知らない人が半分以上いるのが実態です。つまり、今日参加されないような、数としてはよりメジャーな方々に、どういうふうにELSIやRRIの問題を届けるかが一つの課題だと強く感じました。
 続いて市民との交流と調査です。まず、一般のモニター2000人、それと専門家として神経科学者108人に大規模なアンケート調査をしました。それ以外に、私が直接市民と対話する機会も2回設けました。
 この意識調査でも、研究者と一般の方の意識の違いが見えてきます。例えば一般の方は、その技術によってどういうリスクがあるか、事故が起こったらどれだけ深刻なのかを気にされる傾向があります。一方、研究者が気にするポイントは、科学的に妥当なのか、あるいは社会にとって必要なのか、社会的貢献がどのくらい大きいか、です。だから同じ技術の導入であっても、研究者と一般の方がもつ印象が違うことがわかりました。
 もう一つ重要な点は、ガイドラインをつくるときにどういう項目を入れるべきかという設問で、研究者のほうが入れるべき項目の数が軒並み多いのです。要するに、ELSIやRRIの問題は、じつは、研究者のほうが気にしているのです。一般の方は漠然とした怖さは持ってるけど、具体的にどこがどう危険なのかが見えていない。つまり「研究者のほうが一般の方以上に具体的に恐れている」という言い方もできるんですけども、結局のところ、「私たち研究者が一般の方に研究の波及する影響やリスクをきちんと伝え切れていない」というところが事実だろうと感じたわけです。こうした調査データは、すべて私のERATOプロジェクトのWebサイトで公開されています。もし興味ある方はぜひご覧ください。
 最後はアウトリーチです。一般の方にどれだけ伝えられるかということで、『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか』という本を出版しました。ERATOメンバーの紺野先生と一緒に書いたんですが、ベストセラーになりまして、Amazonでもたくさんコメントをいただいてます。ポジティブなコメントもあればネガティブなコメントもあって、世間がこうした技術やその倫理的な問題点にどのように反応するかがわかり、私自身すごく勉強になっています。
 以上です。どうもありがとうございました。

 

 

東洋文化研究所 馬場 紀寿 室員

   R5基調講演 馬場先生

 私からは、人文系の一研究者にELSIやRRIはどのように見えるのかをお話ししたいと思います。
 「研究倫理」と一口に言っても、分野によって研究倫理の内容というのは大きく異なりますので、研究者がその全体像について共通の理解を得るのは難しいと思います。そういうときには、研究倫理の水準を分けて考えることが重要になってくると思うんですね。例えば、「最小限綱領」と「最大限綱領」に分類するとわかりやすいと思います。
 
「最小限綱領」は、いわゆる研究不正です。捏造、改ざん、盗用、出典の不明示や、二重投稿のような不適切な発表の定義を研究者のコミュニティで共有するべきです。こうした守るべきことはどの分野でもほぼ共通なので、研究者――教員も学生も――は、効率よくそのルールを学んで習慣化する必要があります。
 それに対して、ELSIやRRIで議論してるのは、「最大限綱領」に当たるもので、学界でも社会でもまだ確定していない学術研究の倫理的問題です。これは社会倫理と直接的にかかわる場合と間接的にかかわる場合があります。例えば直接的にかかわる例は、生命工学で再生医療がどこまで許されて、どこから許されないのかという問題が挙げられますね。再生医療にかかわっている研究者は、自らの研究が社会倫理にかかわることを常に自覚せざるをえないと思います。他方、間接的にかかわる例は、ドローンの開発が挙げられます。軍事目的で開発されたわけではなかったのに、後に軍事利用されるようになりました。
 ELSIでもRRIでも、対話や包括性が重要視される理由の一つは、人文学であれ自然科学であれ、その知見が社会に発信された途端に、社会的文脈でさまざまな効果を生み出すからです。その顕著な例を私が専門とする領域から紹介したうえで、最後に問題提起をしたいと思います。

 言語学的発見が社会に大きな影響を与えた例があります。18世紀の末、英領インドで裁判官をやっていたイギリス人ウィリアム・ジョーンズが、ヨーロッパ系の言語とインド系の言語は起源が同じであることを発表しました。「インド=ヨーロッパ語族」の発見です。
 例えば人称と数によって変化するbe動詞三人称単数は、英語ではisですね。ドイツ語ではist、フランス語とラテン語ではestになり、ギリシャ語ではestiとなり、古代インドの言語であるサンスクリット語ではastiとなります。このように、もともと音も構造もよく似た言語が、それぞれヨーロッパやインドに広がったという発見をしました。
 この発見は、言語学、インド学、そして宗教学が成立する非常に大きい起点になりました。ここでいう「インド=ヨーロッパ語族」とは言語の種類という意味であって、民族を意味していません。しかし、ちょうどドイツ帝国が成立した19世紀後半になると、この言語学的発見はアーリア民族のイデオロギー――最終的にはナチス・ドイツのプロパガンダ――に大きく利用されていくわけです。このように、人文系でも発見が当初意図しない方向で社会的に大きな影響を与えていくことは歴史上あったのであり、逆に言うと、これからも起こり得るわけです。
 それを踏まえて、最後に見ていただきたい映像があります。これは1965年にアメリカのドキュメンタリー番組で放送された、原爆の父オッペンハイマーがマンハッタン計画を振り返った晩年のインタビューです。最初に実験が成功した直後、科学者たちは沈黙に沈んでいたときに自分が思い出したのは、ヒンドゥー教聖典『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)の一節だったと証言しています。サンスクリット語が趣味だったオッペンハイマーは、王子アルジュナに対して神が自らの姿を見せるシーンの「我は死、世界の破壊者なり」という台詞を、原爆をつくってしまった自分に重ねて思い出したと言うのです。
 オッペンハイマーは原爆を主導した科学者ですけれども、後に水爆の開発に反対しました。彼の証言は、ELSI、RRIの問題にさまざまな示唆を与えてくれます。学的知見が社会的な文脈でさまざまな効果を生み出すという点、また意図せぬ倫理的問題を社会に引き起こし得るという点で、自然科学においても人文学においても、ELSとRRIは重要な課題なのです。
 どうも有難うございました。

 

パネルディスカッション

 パネルディスカッションは、ご講演いただいた岸本先生、新野先生、福永先生、池谷室員、馬場室員、そして、研究倫理推進室の松田先生(物性研究所 教授)の6名にパネリストとしてご参加いただきました。

松田室員:「企業の方がELSI対応に資源を投入するのは投資になっていると思いますが、アカデミア側はそういう認識まで到達しているのか、そこまでのインセンティブを持ってコ・デザインできる体勢を後押しするには何か助言がありますか」というご質問が来ています。

岸本先生:私もそういう実感を持っていて、アカデミア側がまだついてきていないのが現実だと思います。ただ、そうした場合にELSI対応をせよとか、RRIが大事だと押しつけると、これは逆効果だと思います。できる限り我々はニーズがあるところに、「こういうやり方があるよ」と役に立つことをわかってもらうというアプローチでいっております。
 そのために一番大事なのは、実例を示すことだと思っています。3年経ってさまざまな共同研究ができてきたので、特に企業との共同研究に関してはプロセスも含めてできる限り公開するようにしています。

新野先生:私も皆さんにELSIやRRIを考えていただくに当たって、よい例をお示ししていくのがいいと考えています。やはり大型のお金をとりに行くとなると、役所と協力しようとなりますが、役所は結局、財務と何とかしないといけない、そうなるともっと世の中と近いことを考えていかないといけなくて。そこでELSIの問題が急に噴出してしまうと、にっちもさっちもいかなくなるので、事前に考えたほうがいいよというのもインセンティブになるんじゃないかなと思っています。今日も、AIのデザインをやられている方と話すと同じような話題がパッと出てくるので、皆さんも同様のことを考えてくださっていると感じました。

福永先生:脳とAIのように、それだけでもものすごく物議をもたらすかもしれない言葉の組み合わせは、非常にインパクトがあり注目されやすいと思います。他方で、非常に地味なんだけれども光があたらない問題や研究課題はたくさんあって、廃棄物処理はその最たるものかなという気がしています。つまり儲からないけど倫理的に危ない、あるいは課題を抱えている部分はどうすればいいのか、アイデアはありますでしょうか。分野によって、多分注目の度合いはかなり変わってくるかと思うんですね。

岸本先生:いや、すごく難しい問題ですね。環境問題の中でもリユースって地味で、リユースを研究している研究者は、リサイクルより圧倒的に少ないんですよね。でもライフサイクルアセスメントを考えるとすごく重要だと思うんです。私は今メルカリさんと共同研究をやっているんですけれど、リユースに焦点を当てるためにどうするか議論していることを思い出しました。
 それこそアカデミアの力がちょうどいいのかなと思います。人文系や経済、技術など、多様な分野のステークホルダーが集まって、ELSIとか安全とか環境の問題も含めて総合的に取り組むべきことで、そういうものこそ本当はやらないといけないと思っています。我々はお金になるのでAIとかつい乗ってしまうんですけれど。

池谷室員:今の福永先生のご意見、本当に重要だなと思います。私はAIの情報プロジェクトをやっていて、一般の方にアンケートすると、AIのように注目を集める領域は2000件集まったりします。でも、そういう領域は科学全体から見るとむしろまれで、それ以外のほうが多いと思うんですよね。日本ではかなりずっと下火だったインフルエンザワクチンで国が敗訴しているようなケースは、典型的にELSIとかRRIの失敗で、その後、子宮頸がんワクチンでも同じようなことを繰り返したみたいなのって、あれも多分、私たちのメジャーな領域ではあるんですけど。でも、一般の方から見るとそういうに見えなくて、注目も集まらないうちに変なレッテルを貼られていると。
 でも、それをうまくやった遺伝子組み換え食品のような例もあると思っていて。とにかく遺伝子組み換えイコール悪だ、みたいな言説の中で研究者とか、実際の農家さんとか漁業の方とかが、すごく地道な努力をされて、ゲノム編集食品が実際に商品化されているわけですね。ほかの領域で何が失敗して成功したか、あるいはその日の当たらない領域はどうして表舞台に出てきたのか、まとめないといけないと思っています。
 それともう一つ、インセンティブをどうするか。おっしゃるとおり、私たちは自分で自分の首を絞めて規制していくみたいなイメージがELSI側にはありますよね。なので、やればやるほど研究をしづらくなるから、基本的に触れないほうが楽みたいなニュアンスができちゃって、そんな中にRRIができていると思うんですけど。本当はそんなことないわけですよね。この誤解を解いていくのも大切だけれど、ELSIを考えたものも研究の中に取り入れると研究費をとりやすいといったことを通じて、もっと実態の理解を進めていければいいなと、漠然と考えていました。

岸本先生:ジェンダー平等を進めるための割当制が過渡期としては必要なように、もしかして予算の何%をELSI対応に使うべきみたいなのは、インセンティブとしては並行してやっていくのはいいアイデアな気がします。

松田室員:確かに科学技術に携わる側からすると、やっぱりELSIとかRRIというのが、どうしても先端的技術の開発においては研究本体とは別のことを考慮しなければいけないという意識を持っている科学者の方もまだまだ多いと思いますので。インセンティブも、いわゆる半導体とか金属とか、そういう技術的な分野では、まだそういう意識がない印象を少し持っています。自分自身がその分野にいるので。

馬場室員:原理的なことを岸本先生にお伺いしたいです。岸本先生のお話の中で、法で議論できない問題があって、それは法の基盤としての倫理が重要になってくるというお話がありました。その倫理がまさに、今問題で。フランスの哲学者のジャン=フランソワ・リオタールがポストモダンといった状況になっていると思うんですね。例えばすごく大きな、みんなが共有していた物語が失われて、非常に小さい物語が散乱している状況になっている。
 また一番いい例が、ここ10年ぐらいで性的マイノリティの権利が主張されるようになって、このこと自体はすばらしい発展だと思うんですけども。逆に言うと、多様であることを認める方向には倫理はすごく進むんだけども、みんなが一致して「これはいけない」と言いにくくなっていると思うんですよね。だから、「べからず集」になってはいけないと言うんだけれども、「べからず」が倫理のほうでは言いにくくなっているからこそ、法の重要性が高まっているとも言えなくもなくて。その点、岸本先生、どのようにお考えになっているのか、ご意見いただきたいと思います。

岸本先生:何が正しいかという意味でいうとおっしゃるとおりだと思います。我々、倫理と言っているときは、むしろどう正当化するかと。要するに、事業者が自分のサービスや製品を社会に出すことは、自分たちは安全だ、あるいは世の中に役に立つと思っているから出すんですよね。もちろん、詐欺師もいるかもしれないですけれど。
 安全だ、世の中に役に立つんだと思っているんだったら、それをちゃんと説明してください。我々はこれぐらいリスクを低減させていますと。ゼロにならないんだけど、これは社会として十分容認できると考えるんだったら、それを言葉や評価基準を用いて説明をしてくださいということなんですね。
 そのときのリスクとして、マイノリティへの影響のように、正解がないんだけれどさまざまなことを考えないといけないという意味で、守るべきものがたくさんふえていて、それらの影響をできる限り広くチェックして、リスクが受容可能であると考えると。その理由はこうであるということを主張するものです。
 なので、要するにこれが唯一正しいというのではなくて、我々はこう思っていますという意味で両立しているのかなというふうに思います。ポストモダン的な話と、何か大きな物語、一つの正しいことがあるというものの間ぐらいをプラグマティックにやっているのかなと考えています。

新野先生:3Dプリンターで銃をつくる問題は、銃をつくることが法律で規制されているので、倫理的には研究してもいいという考え方でいいんですかね。

岸本先生:もちろん、いろんな研究は悪用の可能性が常にあって、今は単なる悪用、軍事利用というよりデュアルユースという形で広がってきていますし、必ずしもつくることだけでだめとはならないと思います。
 最近は、企業とサービスや製品をつくるときに、悪人になり切って、どんな悪い使い方ができるかをみんなでワークショップして考えるというのが、僕の趣味になっています。悪用だけじゃなく誤用も考えます。以前、足のマッサージ器で首が絞まった事故がありましたが、作った人はまさか頭とか首に使わないだろうと思っていたかもしれないんですよね。研究をするときに、どんな悪用方法があるかを考えるのは、非常に頭の体操にもいいし楽しいのでやりたいなと思います。

松田室員:池谷先生の脳とAIの非常にセンセーショナルなタイトルで、不勉強で、内容は十分存じ上げてないのですけれども。昨年度、この倫理セミナーで私、かじった知識で、量子コンピュータの話を話題にしたんですけれども、その量子とも非常に深いと思うのですが。脳の機能というのが、量子力学がどのぐらい関与しているかというのは、多分ホットトピックスかと思うんですけれども。そういう量子技術と、今の先生のやられていることというのがどんな関係というか、ELSI、RRIの観点からも絡んでコメントをいただけたらと思うのですけれど、いかがでしょうか。

池谷室員:はい。そうですね。「全く関係がないというわけでない」という感じでしょうか。実際にデータ解析に量子コンピュータを用いたことがあります。ただ、ELSIや一般社会とのかかわりという意味では、今のところ、そんなに深く関係するほどまでは使いこなせていません。ですので一般的な発言になってしまいますが、やはり脳や生命の研究の場合、持って生まれた身体や心に人為的に手を下していいのか、改造していいのかが問題の一つのポイントでしょうか。このあたりは生命倫理だけでなく、宗教的な問題や個人の信念も絡んでくるため、一つの結論を導き出すことは難しいところです。
 ただ、開発した技術が実際にあらぬ使われ方をするかもしれないという懸念点は同じです。岸本先生がおっしゃったように、「いかに悪いことに活用できるか」という仮想トレーニングなどを通じて、ふだんから考えおくことは大切だと感じました。
 一つ例を挙げると、先日、光る遺伝子組み換えメダカで、カルタヘナ法の違反で逮捕者が出ました。光るメダカをつくったのは関東の大学のとある研究室で、そこの学生が持ち出したものが、回り回っていて台東区で販売されていたわけです。このメダカは、高額で売れると業界では有名でした。
 この事件は一つのヒントになります。飼育したり、販売した人はもちろん法律違反です。加えて、研究室から無断で持ち出した人もまずいわけです。さらに言えば、簡単に持ち出すことができるような研究環境をつくってしまった大学や研究室にも問題があります。では、遺伝子組み換えメダカを最初に制作した人はどうでしょうか。この判断として「研究目的に応じて、きちんとルールにのっとって、研究倫理審査も通過したうえで作っているのだから、実験者には罪はない」という人が結構います。実はその回答こそが、RRIの観念が欠如なのです。
 光るメダカをつくったら、一体何が起こるのかを全く考えていないままつくっていたわけです。昔の考え方だったら、それはそれでよかったのかもしれませんが、現代ではまかり通らない話です。そもそも「これが問題である」ということ自体に気づいていないという事態が、すごく問題だと思っています。とくに、今日この会場に来ていない多くの方に、この問題点をどう訴求するのかが重要です。例えば、「ELSI、RRIのセミナーをやりますよ」と聞くと、興味のない人にとっては、私には関係ないからこのセミナーには出る必要はないと自動的に判断するかもしれません。その英文字単語だけで拒絶反応を起こす人もいるかもしれません。
 どう広報するかから考えていかないと、本当に届けたい人に参加しようとすら思ってもらえない、聞くきっかけもない。こうした現状こそが問題の本質ではないかと思うのです。すみません、話しているうちに、主張の論点が変わってしまいました。いかがでしょうか。

松田室員:いえ、ありがとうございます。対話が大事というのは、非常にそのとおりかなと思います。

馬場室員:すみません、池谷先生、今の話、すごく触発されて、どうもありがとうございました。倫理の一般的な問題として重要なポイントだと思うんですよね。今のお話で思い出したのは、例えばナチスでユダヤ人の虐殺に非常に貢献したアドルフ・アイヒマンという人がいて、戦後にイスラエルに捕まっちゃって死刑になっちゃった人なんですけど。
 裁判の証言で彼が一貫して言ったのは、自分は悪意は全くないと。むしろユダヤ人に同情していたと。ただ私は上司の命令に従っただけで、もし従わなかったら殺されていたのだから自分には罪がないという主張だったんですよ。
 そうすると、本当に彼はユダヤ人の虐殺に責任がなかったと言えるのかという倫理的な問題が起こるわけですよね。それは僕もやっぱりあったと思いますけれども。
 それはまさに今、池谷先生がおっしゃったのってそれと同じで、自分は単に科学者として実験しただけで、その後のことに関して責任を負わないという主張は、ちょうどそのアイヒマンの議論とよく似ているなというふうに思いました。どうもありがとうございました。
 ちょっとそれに関連して、池谷先生、非常に重要なところなのでお伺いしたいのですけれど。例えばある種の害虫を絶滅させるために遺伝子組み換えをして、特定の害虫が滅んじゃうような遺伝子組み換えをして広めるというような技術があると聞いたことがあるんですけれど。その種の技術に対して、今、バイオロジーではどういうふうに対応しているのですか。

池谷室員:有名な例としては蚊があります。アメリカで交配しても卵ができないゲノム編集した蚊を放つという試行を何カ所か既にやっています。たしかに蚊の数が減っていますね。マラリアなど蚊が媒介するような病気がその地域で多いところでは積極的に使おうというのが、今、アメリカの基本的な考え方です。
 と同時に、やはり反対意見はあって、これによって一つ生物種を滅ぼそうとしているわけで、こんなことを人間の力でやってよいのかという点が、まだ結論が出ていないところです。
 医学の観点からヒト中心に考えると、確かに病気を媒介する蚊は要らないかもしれない。逆に、生命倫理的に考えると、蚊だって大切な命だと捉えることもできる。生態学的に考えると、大自然に手を下せば回り回ってヒトに悪影響があるかもしれない。いずれにしても、その結果どうなるかということが全然わからないままということは、きちんと議論をしていたらいつまでたっても議論は終わらないわけですから、結局、計画は進まなくなる。ではどうしたらよいか。進めるにしても進めないにしても、どこかに仮説の着地点は持っておかないといけないし、責任の所在もしっかりしないといけないのは確かです。

馬場室員:その手の技術というのは大学中心ですか。それともやっぱり企業ですか、開発しているのは。

池谷室員:両方のコラボです。

岸本先生:これ、「研究倫理セミナー」というと、池谷さんが言ったみたいに自分事じゃない、ここに参加しない人たちを引きつける魅力はないかもしれないけれど、やっぱり「光るメダカは何が問題だったのか」みたいなタイムリーな話題をタイトルにして、そこから広げて研究倫理の問題に持っていくというのは、無関心な人を引きつけるいいアプローチだなと思いました。
 もう一つは、やっぱり大学の問題って、僕、最後にちょっとお話ししたように、研究倫理審査はあっても、社会実装するときの審査がないんですよね。これは学問の自由とすごくバッティングする場合もあると思うので、学会発表する前に一々誰かがチェックするというと多分できないと思うんですけど。
 大学っていい意味では自由ですけれど、悪い意味では非倫理的な用途というか、ライフサイクルを考えないものが出ていくということは随分あり得るんですよね。同じように、だから逆に企業はレピュテーションリスクも含めてそこそこ考えられているんですよね。これから問題になるかもしれないと僕が思っているのは、地方自治体ですよね。教育委員会とかね。何もないんですよね。市長とかトップが「やれ」と言ったら何でもやれちゃうというのがあって。時々やっぱり炎上する。中学校で何とかしてみたとか。いろいろ炎上するやつって、大体そういう仕組みだと思っているので。
 やっぱりライフサイクルで想像力を働かせて、最後まで。これは多分、太陽光パネルなんかもなぜ廃棄するときのことを最初に考えていなかったんだって、今は思うんですけど、そのときに声を上げられなかった自分もいますし。非常に広がる話題だと思うので、そういうことをきっかけにこういうイベントをすると、もう少し別の人が集まるかなということはちょっと思いました。

松田室員:確かに光るメダカは、インパクトがありますね。



 

閉会挨拶(研究倫理推進室 藤垣 裕子 室長)

 本日はパネルディスカッションも含めて、非常に多岐にわたる示唆的なお話が聞けたかと思います。
 岸本先生から、RRIを反映した倫理審査はどうあるべきか、受けたくなるような研究倫理審査の話をいただきました。また、何となく気持ちが悪いと思うときに、その言語化や可視化のお手伝いをするのがELSIやRRIの活動であると、非常に示唆的なコメントをいただきました。
 新野先生からは、「ELSI、RRIって何?」と聞かれたときに、その講習のための資料として非常に有効なものをご提示いただいたと思っています。これはお金にもなるし、ファンディング機関も注目しているという形で、面倒くさいと思う人に対して、ある種のインセンティブを与えるものです。新領域の4枚のスライドは、ほかの部局でも十分使えるものではないかと思っております。
 福永先生からは、研究科の中でのワークショップのつくり方として、学生も巻き込んで研究者たちが楽しみながら未来へのケアを考えるという、みんなで考える場の設計の実践例を示していただきました。RRIの概念の中には「さまざまなステークホルダーが参加する場をつくること」が入っていますので、それを研究科の中で実践されたことになります。各部局で参考にしていただき、場合によっては新領域に質問を寄せていただけたらと思っております。
 池谷先生は脳科学の倫理の領域で、哲学者や倫理学者を巻き込んでいろいろな資料をお持ちです。これは一つのプロジェクトに対するELSIの実践例として、非常に立派なものだと思います。次のステップは、ほかの分野への応用可能性や、例えば池谷先生がいらっしゃる薬学系研究科にどうやって応用していくかになっていくかと思います。
 それから馬場先生は、起爆力のあるお話をありがとうございました。インド=ヨーロッパ語族の発見から、それが言語学や宗教学の成立にはよかったのですが、近代形成国家のドイツで比較言語学というものができ、それが19世紀後半のアーリヤ民族概念となってナチス・ドイツのプロパガンダに使われたという例を挙げながら、学的知見が社会的文脈でさまざまな国家を生み出すという、意図せぬ倫理的結果の話でした。これは、今年の2月3月に、みんなで部局別にプレゼンテーションしたときに、幾つかの人文社会、経済学、法学で、そのような経験を持った方が語ってくれたものと重なり通じ合うところがありました。
 どうぞ視聴者の皆様は、今日のセミナーを聞いてご自分の分野に応用していただき、各研究者が自分の分野に応用していただけたらと思います。
 部局長あるいは研究倫理担当者の方は、自分の部局の研究者に考えてもらうためにはどうすればいいか検討する際に、今日のセミナーを利用していただければと思います。
 それではパネリストの皆様、視聴者の皆様、2時間にわたってどうもお疲れさまでした。本日はありがとうございました。


出演者・企画者より

岸本 充生(大阪大学)

新規技術の研究開発にはELSI対応が不可欠であるということがずいぶんと共通理解になってきました。ただ、逆にどんな新規プロジェクトにも機械的にELSI研究が加えられてしまうということも起きてきているように思います。ELSI研究もいずれは1つの要素技術の研究開発として自然に実践できるようになればいいなと思います。

新野 俊樹(東京大学) 
これまで技術的な側面しか見ていなかった私にとって、歴史の研究などで明らかにした過去の事実が悪用されて結果的に間違いが起こるといった事例は私にとってとても新鮮でした。よくよく考えると研究成果がそれを出した方の意思に反して悪いことに使われると言う意味では全く同じで、ELSIの大切さを改めて実感させられました。
 
福永  真弓(東京大学)

セミナーの開催を通じて、基調講演のほか、実際にELSI-RRIを踏まえて動いているプロジェクトや他部局の取り組みについて知ることができ、大変参考になりました。質疑応答を通じて、「何が倫理的な課題なのか」について、それぞれの課題を深掘りしていくセミナーも必要であるということ、そして、大阪大学や神戸大学のように、こうしたセミナーや教育に携わる専門部署があるのはとても重要だと改めて感じました。具体的な議論や課題を研究科全体でどのように共有していくのか、これからも模索していきたいと思います。

藤垣 裕子(研究倫理推進室長)

今回の研究倫理セミナーは、UTokyo Compassの目標1-5と第4期中期目標・中期計画の8-4にある共通の指標「RRI及びELSIを組み込んだ研究倫理セミナーを年40回開催する」を実現するための企画の第2弾です。岸本先生の講演から、新しい科学技術を社会実装する際のELSIに関する問題提起が得られ、また各部局のグッド・プラクティスも共有することができました。今後各部局のセミナーを設計するうえで参考にしていただければと思います。

池谷 裕二(研究倫理推進室員)

かつて当研究グルーブの全体会議でELSIの勉強会を行ったところ、「そもそもELSIという言葉を聞いたことがない」という回答が一定数ありました。そして今回のセミナーでは先生方の講演を伺い、私自身まだまだ勉強不足を感じました。本セミナーの参加者の多さに感銘を受けましたが、こうした企画へのアンテナを持たない皆様にも広く興味を持っていただきたいと願っています。

松田 康弘(研究倫理推進室員)
技術と社会のギャップを埋めるノウハウが社会技術、それに関する様々な問題を言語化するのが社会学者や倫理学者、・・・
研究倫理を考える中でフレームになるような考えに触れることができて、大変刺激的でした。ELSI・RRIの概念と、分からないものに対する社会の反応の変化の変遷についてのお話も、何か自分の中でモヤッとしていたものが言語化されてクリアになり、まさしくその威力を体験できた気がしました。
 
馬場 紀寿(研究倫理推進室員)
まったく分野の異なる研究者が集まって研究倫理を議論する場に参加できたのは、有意義な経験となった。答えのある問題を解くのではなく、答えのない問題を共に考え、議論するこうした試みそのものが、研究倫理の向上に資するのだと思う。門外漢の質問に答えてくださった先生方に感謝したい。
 

関連動画(学内限定)

  令和5年度 研究倫理セミナー | UTokyo.TV | 東京大学

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