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「ロボットを通じて社会に意義のあることをしたい」 自分の想いを気づかせてくれる寄付

掲載日:2023年9月21日

「ロボットを通じて社会に意義のあることをしたい」
自分の想いを気づかせてくれる寄付

林 まりか(はやし・まりか)様
富山県出身。富山県立魚津高等学校から、東京大学工学部機械情報工学科に進学。卒業後は大学院に進み、情報理工学系研究科知能機械情報工学科(情報システム工学研究室)を経て、学際情報学府博士課程を修了。2009年、三菱電機株式会社に入社。3年間の勤務ののち退職し、11年に大学院時代の仲間と株式会社キビテクを設立、代表取締役CEOに就任。情報処理推進機構(IPA)未踏スーパークリエータ。


「オタク集団」と挑んだロボコン。
RoboTech活動危機に工学部長へ直訴も

生まれは、富山県の下新川郡朝日町です。数学はちょっと苦手だったんですけど、物理が大好きな理系でした。大学進学を考え始めた頃、もう少し頑張れば東京大学に行けるかもと思い、受験勉強に励み、一浪を経て何とか理一に合格することができました。工学部に進もうと考えた理由は、私はちょっとあまのじゃくなところがありまして(笑)。なぜ女子がこんなに少ないんだろうと疑問に思ったのと、あとは、ものづくりという行為がわりと好きだったからです。大学では、ロボット工学を専攻していくことになるのですが、「ロボコン」(ロボットコンテストの略で、ロボットをチームもしくは個人で製作して、その性能を競う大会)に挑戦したことが大きかったと思います。

まず2年次の全学ゼミの授業で、おもちゃのブロックと、それを動かすプログラミングツールを使って、簡単なロボットをつくったんですね。これが想像以上に面白く、楽しかったんです。そして、学内に「RoboTech(ロボテック)」というロボコンサークルがあることを知り、3年次から入部しました。理系の学生は4年次に研究室配属などがあって課題で忙しくなるので、3年次の1年間しか活動しないサークルでした。今では、大規模なサークルになっていますが、当時はまだ実働10人くらいで、存続も危ぶまれるような小さな組織だったのです。


当時のロボコンの様子

私は会計係でしたが、本当にいろんなことをやりました。入部した時の部室は、当時の工学部2号館の中庭にある物置小屋。ここをある意味、不法占拠して「みんなでロボットつくっています」というオタクの集まりです(笑)。でも、工学部2号館の建て替え工事が始まって、その小屋が取り壊されてしまい。新たな活動拠点を設けるために、工学部の施設管理の方や工事現場監督の方などに暗中模索ながらご相談し、応援してくださる先生や同期に助けていただき、工学部に対して、活動の意義を説明する書類などを出しました。最終的には農学部棟との隙間にできた小さなプレハブ小屋を正式に使わせてもらえることになりました。ここが今でもRoboTechの活動拠点(ものづくり実験工房)となっています。

あとは、卒業生からの寄付募集を発案してスタートしました。OB・OGの方々の連絡先を辿って調べ、実際に会いに行く、メールでお願いする。「一口5000円から、お願いします!」と。そんな裏方業務を率先してやりながらも、しっかりロボコンに出場して、ベスト8に入ることができました。

一緒に活動していた彼らは同い年なのに、小学校のころから電子工作をしていたり、秋葉原のどこどこでこういう掘り出し物があって、という話をしていたりして「すごいな」と尊敬していました。私はそういった話はちんぷんかんぷんだったのですが、RoboTechで活動する中で、彼らにたいして運営の支援とか開発とかで私なりにできることがあるんだということが分かり、それがすごく楽しくて、ロボットのことをもっとやりたいと思うようになりました。


RoboTechの仲間たちと後輩のロボコン世界大会を見に訪れた時の写真

「人とは違うことがしたかった」
「ロボット博士」がベンチャー社長に

学部生の頃、知能ロボットを専門とされていた佐藤知正先生(現東大名誉教授)のゼミに所属していました。佐藤先生から言われた2つのお話が心に残っています。一つは、「研究者は、公的なお金もいただきながら、自分の好奇心に従って、ある意味、「遊ぶ」ばせていただく仕事だ」というお話。もちろん、無責任に遊ぶのではなく、社会からの期待を背負って、責任を持って、人類の好奇心を代表して活動する素晴らしい仕事だと得心しました。もう一つは、「研究の世界には、公募やそれ以外にも予算がつく仕組みがある。その機会を逃さないために、研究ビジョンをしっかり持ちつつ、常に実現までの予算計画を考えておくこと」。今、経営者となって仕事をするうえでも、大切な教えだったと感謝しています。

大学院に進んだのは、まだまだロボットの研究を続けたいと考えていたのと、親も「進学していいよ」と言ってくれたからです。そもそも私は、何か人と違ったことがしたかったので、「ロボット博士って、十分に変わっているよね」と(笑)。


大学院時、外装の柔らかさが人間の印象に与える影響や、外装のセンサ触覚がロボットの機能面へ与える影響を調べる実験の目的で作ったロボット

もとからアカデミックの道に進むとは決めていなくて、でもヒューマンインターフェース研究に関わる仕事をしたいなと、三菱電機への就職を決めました。
入社後は、土日などプライベートの時間を使って、自由な研究や工作をしようと考えていました。当時、結婚をきっかけに引っ越したのが、居住用ではなく工場用の物件で(笑)。お風呂はないけど、ここなら工作機械とか実験器具を置いても大丈夫だし、音を出しても平気だという理由で契約しました。そこで仲間たちと電子工作をやっているうちに、電磁波を使ったセンシング技術が面白いと思うようになって。「IPA未踏ソフトウェア創造事業」※に仲間と共同で応募し、2010年度の未踏事業に採択されたのです。

大学や会社から提示された研究に縛られることなく、自分たちでつくりたいものをつくる自宅ガレージでの活動が、私にとってはとても面白く、刺激的でした。この仲間たちと一緒にものづくりを続けていきたいという思いと、社会的活動にも取り組みたいという志がどんどんふくらんでいきました。その直感を大切に、三菱電機を退職し、2011年に株式会社キビテクを起業しました。私がCEO(最高経営責任者)、CTO(最高技術責任者)は東大の先輩です。

※経済産業省が主導する画期的な個人を支援するソフトウェア開発支援・人材発掘プロジェクト


就職後住んでいた工場用物件

(略:全文は、「東京大学基金」ウェブサイトの寄付者インタビューをご覧ください。)

取材・文:菊池 徳行(株式会社ハイキックス) 編集:東京大学基金事務局

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