バイオ医薬のデリバリー技術開発に挑む Entrepreneurs 16
このシリーズでは、東京大学の起業支援プログラムや学術成果を活用する起業家たちを紹介していきます。東京大学は日本のイノベーションエコシステムの拡大を担っています。
Red Arrow Therapeutics(レッドアローセラピューティクス)株式会社(東京都文京区)は、体内の免疫細胞を増殖・活性化させるタンパク質を、がんなどの患部のみに到達させるドラッグデリバリーシステムを開発する創薬ベンチャーです。ヒトの体内に存在するタンパク質は約10万種類あると言われています。しかし、薬として有効性が高いものが多い一方、毒性も強く、薬に使用されているのは現在、約200種類に過ぎません。
強い毒性を抑えつつ患部にピンポイントに成分を届けるドラッグデリバリーシステムを開発することで、タンパク質を幅広く活用し、難治性疾患を根治する――。この世界的なミッションに挑むのは、同社を2021年8月に設立した宮崎拓也・最高経営責任者(CEO)です。
宮崎さんは、東京大学大学院工学系研究科のマテリアル工学専攻修士課程を経て、2019年に同研究科のバイオエンジニアリング専攻博士課程を修了。その中で医師や研究室の先生たちと関わりを持ち、「難治性疾患で苦しむ患者さんを救いたい」と考えるようになりました。他大学で博士研究員として所属した後、進路に迷いがあったそうですが、起業へと背中を押したのは東大関係者や「社会の強い要請」でした。
すでに、ベンチャーキャピタルの東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)から1億円のシードラウンド資金を調達。博士課程の恩師であるオラシオ・カブラル准教授の研究成果を基にドラッグデリバリーシステムを開発し、マウスを用いた実験を進めています。目指すのは、世界の創薬市場に参入すること。世界中にネットワークを広げ、サイエンスと社会を橋渡しするという目標に邁進します。
大学院での出会いが意識変革を促す
宮崎さんは、修士課程で高分子など材料の基礎研究に従事する中で、東大医学部附属病院の医師らと接点を持つ機会が多くありました。「基礎的な研究はもちろん重要だが、目の前で困っている患者さんに研究成果を届けることを意識しなければならない」との医師の言葉を聞き、研究成果を社会へ還元する重要性に気付かされたそうです。その経験もあり、博士課程では生命科学と工学を融合させるバイオエンジニアリングを専攻しました。
修士課程においては、ナノマシン(高分子集合体)を用いたドラッグデリバリーシステム研究の世界的権威である片岡一則・東大名誉教授の研究室に所属。博士課程では、片岡研究室を引き継いだカブラル先生の研究室に所属しました。カブラル先生はアルゼンチン出身。グローバルな研究環境の中で、宮崎さんは文化・言語、科学への姿勢の違いはもちろん、研究と臨床現場の間の溝など数多くの「ギャップ」を認識し、「私なら、それらのギャップを埋められるのでは」と、起業を意識したそうです。
しかし、その後の博士研究員時代の2年半は、研究の道を歩み続けるか、起業するかで揺れ動いていたのも事実でした。転機になったのは、博士研究員1年目の時に受講した東大の「EDGE-NEXT」プログラムでした。「いかに研究成果を社会に還元させるか」をテーマに掲げる同授業に参加した際に、主催する東大産学協創推進本部の関係者や実業家たちから起業を強く勧められたそうです。「授業に熱心に参加することで、他のかたの目に留まり、起業への道に引っ張ってもらうことができました。その背景には、片岡先生やカブラル先生のサイエンスの存在があったと思います」
難しいタンパク質のデリバリー
主にタンパク質を有効成分として生産される抗体薬などが「バイオ医薬品」です。タンパク質の大きさは、低分子の薬と比べて数倍も大きく10ナノメートルほどです。構造も複雑で、患部に届く前に壊れるなどデリバリー技術の難易度が高く、患部に届かずに肝臓など健康な部位に薬が送達されると、強い副作用が起きてしまいます。
Red Arrow Therapeutics社が取り組むのは、高分子の一種「ミセル」にタンパク質を内包し、患部に到達するまでの間に分解されないようにする「ミセル型ナノ粒子のプロドラッグ*」の開発です。肺がんや乳がん、腎臓がんなどの固形がんや、メラノーマを原発巣とする転移性がんの治療が当面の目標です。さらに、がんや高血圧症の妊婦の治療薬を、胎盤を透過させず、薬の影響から胎児を守りつつ患部へ届ける技術の確立を目指します。
また、この技術は、薬になるタンパク質さえあればデリバリーシステムに応用することができ、将来的には、難治性のがんや治療法が存在しない自己免疫疾患の根治も可能になると、宮崎さんは考えています。
グローバルなチームで世界を目指す
同社の運営は、日本では珍しい形態で、日本・アルゼンチン・インドネシア・米国・ブラジルなど各国のパートタイムスタッフ約10人が、現地において研究開発を進めています。宮崎さんの仕事は、いわばオーケストラの指揮者であり、事業・研究の方向性など、日本から各国のスタッフにさまざまな指示を出しながらプロジェクトをまとめています。
パートタイムスタッフとはいえ、研究開発のプロ集団です。宮崎さんは、「我々のプロドラッグの認証はぜひ米国で取得し、日本の技術と米国のビジネスを融合させたい。我々の技術が他の医薬技術と融合して『このプロドラッグはどこの技術?』といったかたちで業界に浸透した時こそが、我々が最も輝く瞬間だと思います」と、結んでくれました。
*プロドラッグ…ドラッグデリバリーシステムの一つ。原型では薬理作用を示さず、体内で代謝されることによってはじめて活性化し、薬効を発揮する薬剤。
Red Arrow Therapeutics株式会社
2021年8月に宮崎拓也・CEOが設立。宮崎さんは、修士課程で片岡一則・現東大名誉教授の研究室に在籍。片岡先生は、ナノマシン(高分子集合体)技術を応用したドラッグデリバリーシステムの開発などを行い、研究室から数々の起業家を輩出した。研究室を受け継いだオラシオ・カブラル准教授も、ナノデリバリーシステムを研究する。宮崎さんは、この系統を汲む技術をベースに、「社会に引っ張られて」起業したという。すでにUTECから1億円のシードラウンド資金を調達し、2023年には更なる資金調達を予定。グローバルなプロ集団をまとめ、米国でのプロドラッグ認証を目指す。
取材日: 2022年9月20日
取材・文/森由美子
撮影/原恵美子