法治国家日本を支える “法” のDXに挑む Entrepreneurs 17
このシリーズでは、東京大学の起業支援プログラムや学術成果を活用する起業家たちを紹介していきます。東京大学は日本のイノベーションエコシステムの拡大を担っています。
株式会社Legalscape(リーガルスケープ:東京都文京区)は、法にまつわるデータを収集し、自然言語処理技術で検索・閲覧できるシステムを提供するスタートアップです。日本の法曹界はデジタル化が非常に遅れており、判例などもいまだに紙ベースで保管されています。デジタル化が急速に進んだ欧米各国の法曹界と比べると、20年以上も後塵を拝しているとも指摘されています。
この状況を打開しようと奮闘するのが、Legalscape社の創業者で最高経営責任者(CEO)を務める八木田樹さんです。八木田さんは、東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻を2017年に修了した後、同年9月に、同じ専攻の仲間だった城戸祐亮・最高技術責任者(CTO)とLegalscape社を立ち上げました。
昨年、法律情報検索・閲覧システム「Legalscape」正式版の提供を開始。すでに大手法律事務所のリサーチ業務のほか、三菱商事などの総合商社や、サントリー株式会社など大手事業会社に導入され、法務部などで利用されています。今後は、官公庁の法案作成・改正作業など法情報が生まれるところから、法曹界・企業法務部での検索・閲覧など法情報が消費されるところまで、すべてのプロセスにデジタル・トランスフォーメーション(DX)を起こしたいと、八木田さんは考えています。
「需要がない」のか、それとも「誰も気が付いていない」のか
八木田さんは修士課程に進んだものの、自身は研究にさほど興味がないことに気が付きました。そこで、論文のテーマは、「コンピュータ科学でいかに社会に貢献するか」の視点で模索し、コンピュータ科学関連のうち、ほとんど研究がなされていない法律分野を選んだそうです。「親戚に何人か弁護士がいるので相談できると思いました」と笑いますが、始めてみると面白みを感じてきたそうです。
各裁判所のホームページに掲載されている数少ない判例を収集し、自然言語処理技術を用いて、判例に特化した検索エンジンの構築手法について研究しました。そこで明らかになったのは、毎年20万件の民事裁判の判決文が出されているにもかかわらず、その99%が紙のまま保管されているという事実でした。「このような検索システムは誰も求めていないのか、それとも、その必要性に誰も気が付いていないのか、どちらだろうと思いました」と、八木田さんは当時を振り返ります。
その答えを教えてくれたのは、修士課程修了の前に出会った、ある法律関係者の方で、「こんな技術があれば、様々なところで応用できる」と、太鼓判を押してくれました。この時、八木田さんは、この技術で社会還元できると確信したそうです。
インターンや海外経験から、レールを外れる勇気を
八木田さんは修士課程に進んだ頃、まったく起業を考えていなかったそうです。しかし、インターンを経験して考え方が徐々に変わってきました。まず、大手IT企業で2ヶ月間インターンを行なった際は、「大きな組織では意思決定過程から遠いところで働いている」と感じ、その後のベンチャー企業のインターンでは、「小さな会社だからこそ、大きな意思決定に加わることができる」と実感しました。
そして、これらの体験や前出の法律関係者の言葉で、就職の内定を断ることに。2017年4月、同級生の進路がすべて決まる中、八木田さんは「ひとり無職だった」そうです。「実は、11歳から15歳までオーストラリア・パースで暮らしました。英語がまったく話せないのに現地校に入学させられたのですが、何とか乗り越えることができました。『レールを外れてもだいたいなんとかなる』というメンタリティはその頃生まれたのかなと、今はそう思います」。
法曹界・企業法務にDXを
2021年6月に正式リリースした「Legalscape」は、各種法律の内容だけではなく、難しい法律を解説した書籍、それも読みたい箇所をピンポイントで検索・閲覧できるサービスです。これにより法律のリサーチ業務を大幅に短縮することができます。参考文献は、出版社と協力して1,100冊以上収録しており、今後も、収録冊数やその他の文献を順次増やしていく予定です。一方、民事裁判の判決情報をオープンデータ化し、企業や研究者にとって活用しやすくするための検討が官民でスタートしており、Legalscape社も、日弁連法務研究財団の「民事判決のオープンデータ化検討プロジェクトチーム」に参加しています。ただし、民事判決の情報を公開する上で課題になるのは、プライバシーや営業秘密への配慮だと、八木田さんは解説します。ネットで固有名詞などの情報を公開すると、訴訟の当事者などにとって不利益な情報が漏れる恐れがあるからです。
そこで、Legalscape社が開発したのは、人工知能(AI)技術を使い、判決文中の固有名詞などを自動的に黒塗りにする機能です。「もちろん、最終的には人間の目で確認する必要がありますが、この機能を使えば作業時間を10分の1程度に短縮することができます」と、八木田さんはこの問題解決に自信を見せます。
また、オープンデータ化は、リーガルリサーチ分野の競争激化を意味しますが、八木田さんは「競争原理を働かせ、より良いサービスを提供することが大切」と言い切ります。今後は、リーガルリサーチのほかに、法案の作成・改正の作業や、施行された法律を解説する書籍執筆など、法律情報の作成からデジタル化ができるようにし、「法が生まれてからユーザーが利用するまで」全過程のDXに寄与したいと、力強く語ってくれました。
株式会社Legalscape
八木田樹CEOと城戸祐亮CTOが2017年に設立。2017年、情報処理推進機構(IPA)の未踏アドバンスト事業に選ばれたほか、翌年には東京大学協創プラットフォーム開発株式会社(東大IPC:東大100%出資の子会社)の起業支援プログラム「1stRound」に採択された。2018年にベンチャーキャピタル「Coral Capital(コーラル・キャピタル)」から3,000万円の資金を調達。また、早期から黒字化したことで、「お金の苦労はしませんでしたが、ハングリー精神に欠けた側面もある」(八木田さん)との反省も。東大産学協創推進本部が提供するアントレプレナーラボに入居し、現在は八木田さんのほか11人(うち6人がエンジニア)の体制だが、今後はさらに組織を拡大し、法律情報のDXを目指す。
取材日: 2022年10月27日
取材・文/森由美子
撮影/原光平