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犯罪予測システムによって「世界の悲しい経験を減らす」 Entrepreneurs 23

掲載日:2024年1月10日

このシリーズでは、東京大学の起業支援プログラムや学術成果を活用する起業家たちを紹介していきます。東京大学は日本のイノベーションエコシステムの拡大を担っています。

東大起業家シリーズ23

株式会社Singular Perturbations(シンギュラー・パータベーションズ、東京都千代田区)は、犯罪予測の基盤となる独自の技術をもとに、パトロール業務や防犯カメラの監視業務を支援する製品を提供しています。

同社を率いるのは、梶田真実・代表取締役CEOです。東京大学大学院総合文化研究科の博士課程などで統計物理学を研究しました。起業の原点は、イタリアでスリの被害に遭ったことです。「スリのような典型的な手口のある犯罪であれば、アルゴリズムで事前に予測できるのでは?」という着想が、起業へと進むきっかけとなりました。2017年に設立した同社は、国内においては自治体向けの防犯パトロール支援サービス、警察庁向けの犯罪分析ソフトウェアを提供しています。さらに、犯罪件数の多いブラジルにおいて、犯罪予測を活用した警察向けのパトロール業務や、防犯カメラ監視業務の効率化支援サービスを展開しています。今後は、保険会社や旅行会社、警備会社に向けて自社の技術を提供し、世界の犯罪を減らすことを目指しています。

統計物理学からビジネスの道へ

犯罪予測システムCRIME NABIを警察官がパトロールで活用している様子
Singular Perturbationsで提供している犯罪予測システムCRIME NABIを警察官がパトロールで活用している様子

梶田さんは、小学校低学年の頃にブラックホールなどの仕組みを知り、自然科学にロマンを感じたそうです。「数学を使って自然現象を理解することが、自分の性に合う」と、高校2年修了後に飛び級制度を活用して千葉大学に入学しました。2004年には東京大学大学院に進学。マクロの現象についてミクロから理論を組み立てる統計物理学を研究し、社名ともなった「Singular Perturbations(特異摂動*1) 」を用いた理論手法を開発しました。

日本学術振興会特別研究員を経て、夫の転勤に伴い2014年にイタリアへと渡った梶田さん。はじめは趣味の一環として、オープンデータを活用した、犯罪情報に関するモバイルアプリを開発、ユーザーにサービスを提供する取り組みを開始しました。「理論物理学の研究は深遠で興味深いものですが、『自分が一生かけてもできることは少ないし、社会に与えられる影響も小さい』と、思い至りました。理論物理学は物事の本質を捉え、モデル化することに特化した学問。そのスキルを異なるところで活かし、大きなインパクトを生み出したいと強く思いました」と、研究者から実業家へのキャリア転換について説明します。

そんな頃、イタリアで遭遇したのがスリ被害です。被害に遭ったのは、日曜の午後1時のボローニャのメインストリート。現地の人がまばらとなり、観光客の割合が高くなる時間帯であることを、警察に相談して初めて知りました。「こうした典型的な手口のある犯罪の情報を、一般のかたにも周知して被害を減らしたい」。そこで梶田さんは、犯罪のオープンデータを収集し、自然言語処理を用いて、地図上に犯罪情報を分かりやすく示すモバイルアプリを完成させました。さらにその後、理論物理のフレームワークを用いて独自の予測技術を確立し、モバイルアプリと犯罪予測を組み合わせたサービスを構想していたところ、日本のベンチャー企業の目に留まり、アプリを売却することに。2016年に帰国した梶田さんは、その企業での役員を経て、2017年より東京大学・空間情報科学研究センターの客員研究員に就任しました。犯罪予測のシステムを研究するうち、「県警などのプロジェクトに関わるには、法人化するしかない」と考え、同年にSingular Perturbations社を立ち上げました。

ニーズ探しを地道に続け、修羅場を乗り越える

梶田さんは、資金面など会社の存続に関わるような修羅場をいくども乗り越えた、と振り返ります。治安が良い日本において、犯罪予測システムのニーズを見つけることは至難の業でした。それでも、自身が開発した犯罪予測システム「CRIME NABI(犯罪予言者)」を用いて社会に貢献できると確信していた梶田さんは、試行錯誤しつつ、粘り強くビジネスモデルを構築してきました。

「CRIME NABI」は、過去の犯罪発生情報や人口統計、土地利用、天気などのデータに基づき、時間情報による予測・空間情報による予測の、二種の独自アルゴリズムによって犯罪を予測します。例えば、「犯罪者は一度犯行に成功すると、同じ手口を繰り返す」といったモデルを用いて、高精度な予測を達成しています。また、犯罪発生や人口密度などの空間データを圧縮する独自の数理アルゴリズムにより、従来手法と比較して圧倒的な高速化とコストの削減を実現しました。

現在、「CRIME NABI」を基盤とした防犯パトロール支援アプリ「パトコミュ」を国内で展開中です。最適な警備ルートを即座に提案するほか、電子日報や業務データの管理ツールも、クラウドサービスとして提供しています。

中南米向けや旅行者向けビジネスの強化へ

Message

近年は、犯罪が多発する中南米における実証実験を進めてきました。この実験では、市中に設置された信号や電話線の銅線ケーブルの盗難が、同システムの犯罪予測によって68.5%も減少させられることが示されました。その結果、2023年12月より、ブラジル・ベロオリゾンテ市において「CRIME NABI」が本格的に導入されることになりました。現在、ホンジュラス国家警察においても、同様の実証実験が行われています。また、2023年にはブラジル・サンパウロ市に支社を設立し、中南米の事業展開をさらに加速していく予定です。

今後は、機械学習の一種である「転移学習」を用い、データが不足している地域における犯罪予測にも取り組みます。「私たちの開発した技術を使って、全世界の犯罪予測が可能になります」と、保険会社や旅行会社に基盤システムを提供して旅行者用アプリの開発に役立ててもらうことを目指しています。「例えば、『この場所のホテルに泊まるなら、○○時までに帰ってきた方が良い』などの情報を女性観光客に伝え、安全に旅行をしてもらうことができるようになります。この技術で、私自身が経験したスリ被害のような犯罪や悲しい経験を未然に防ぐことができたらうれしいです」と、インタビューを結んでくれました。

*1特異摂動:システムにおいて小さな摂動が非常に大きな影響を及ぼす場合や、通常の摂動理論では扱えないような突発的、または非連続的な変化を分析するための手法。梶田さんはこの手法を用いて、ガラス転移のような複雑な動力学的過程を記述する新しい理論的アプローチを開発した。

株式会社Singular Perturbations
 

株式会社Singular Perturbations

梶田真実・代表取締役CEOが2017年8月に設立。「世界の悲しい経験を減らす」というビジョンのもと、世界の犯罪を減らすためのソリューション開発に取り組む。犯罪予測システム「CRIME NABI」をAIやコンピューターサイエンスの技術を駆使して開発し、海外に展開するほか、日本ではその予測結果をもとに警備・パトロール業務を支援するクラウドサービス「パトコミュ」をリリース。NEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)のSBIR(Small/Startup Business Innovation Research)推進プログラム(2021年)や、NICT(国立研究開発法人 情報通信研究機構)の委託研究(2018~2021)などの委託・助成を受けながら、研究開発を行ってきた。2021年には、B Dash Ventures株式会社を引受先とする第三者割当増資、ならびに金融機関によるデット・ファイナンスを通して、シードラウンドで総額1億円の資金調達を実施。現在は社員6人のほかに業務委託の人材も加わる。ブラジル支社は4人体制で始動し、世界展開に力を入れる。

取材日: 2023年11月9日
取材・文/森由美子
撮影/東京大学本部広報課

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