数学の理論を使い「妬みのない」家事分担を実現する
公平な資源配分のアルゴリズムを研究する情報理工学系研究科の五十嵐歩美准教授。「公平性」の概念を数学的に定義して、配分のしかたを数理的に解析する「公平分割理論」を研究してきました。その取り組みが評価され、2021年にMITテクノロジーレヴューの「Innovators Under 35 Japan 2021」に選出。2022年には、一般社団法人コード・フォー・ジャパンと共同で、家事分担のへだたりを可視化してくれるWebアプリ「家事分担コンシェルジュ」を開発しました。
ゴミ出し、掃除、料理、洗濯など、パートナー間で不満が募りやすい家事の分担。どうすれば公平に、双方が納得できる形で分担できるのか。そこに数学の理論を持ち込み、それぞれが得意な家事を振り分ける数理モデルを開発して完成したのが「家事分担コンシェルジュ」です。画面に表示される家事リストの中から該当家事を選択し、それぞれの家事を週に何回担当しているか、その家事にどのくらい時間がかかっているか、その家事が「好き」「普通」「嫌い」か、といった自分とパートナーの現状を入力すると、それを計算し、現在それぞれが感じている負担感、そしてより理想的な分担のありかたがパイチャートで提示されます。
五十嵐先生が目指したのは「妬みのない」分担の実現。「何をもって公平と言えるのかという評価軸は人によってさまざまです。『妬みのない』分担は、それぞれの評価軸のもとで、もっとも良いものを自分がもらっている状態です」
家事という多くの人にとって身近なテーマを使うことで、先生が研究する公平分割理論を一般の人に分かりやすく伝えるアウトリーチとしての狙いもあったと言います。「ゲーム感覚で使っていただき、パートナー間での話し合いのきっかけになればいいなと思っています」
家事分担アプリはNHKや日経新聞などで紹介されて反響を呼び、1か月で約1万3千のアクセス数を記録したこともありました。
仕事や家事といった切り分けることができない「離散的」なアイテムは、完全に公平かつ効率的に配分することはできないと考えられているそうです。「それを近似的に、ほどほどな公平性を担保しつつ効率的に配分することはできるのか、という問いは未解決です。それを解決したいと思っています」
「公平」を実現する数理モデル研究
子供のころから数学が好きだった五十嵐先生。「数学には明快な答えがあって、パズルを解いているような感じで楽しかった」と言います。研究者の母親の姿を見て育った影響もあり、将来は自分も研究者になりたいと思っていました。高校卒業後は「数学を使って社会の役に立つ研究がしたい」と、筑波大学工学群の社会工学類に進学。最適化問題やゲーム理論について学び、修士では利益や費用の公平な分配について研究しました。五十嵐先生が公平分割理論に取り組み始めたのは、英国のオックスフォード大学計算機科学科に留学していた博士課程時代。ハンガリーのブダペストで開催されたサマースクールで、公平分割に関する研究発表を聞き興味を持ったことがきっかけでした。公平なスケジューリングの組み方などに関するプロジェクトに参画し、公平分割理論に潜む数学的な「エレガントさ」に惹かれたと話します。
博士号取得後も公平分割理論研究に取り組み、公平性の概念やアルゴリズムの作り方などを考えてきました。家事もその一つ。「それぞれの家事に対する負担感が、人によって異なる場合に、どうやったらうまく公平な配分を計算できるのか。これは数学的には難しい問題です。2の100乗くらいの組み合わせがある中から良い配分を見つけるとなると、非常に難しくなってしまいます。そこを、どのようなアルゴリズムを作ればうまい配分が見つかるのかということを研究してきました」
「家事分担コンシェルジュ」は五十嵐先生が初めて取り組んだ応用研究でした。Webアプリの利用者約120人にアンケートを実施したところ、6割くらいはポジティブな評価でしたが、「入力が煩雑」、「家事の分け方が細かすぎる」といった使いにくさを指摘する意見などもありました。それらの意見を参考にアプリをアップデートし、より使いやすくしていきたいと考えています。
「利用者の意見を聞くことで、これまで気づいてなかった点に気づき、どのような理論的モデルが必要かということもわかってきました。ユーザーからのフィードバックを理論研究につなげ、理論研究でわかったことを応用していくという循環をうまく作っていきたいです」
少数派の声も反映できる投票ルール
現在、五十嵐先生が取り組んでいるテーマの一つが「市民参加型予算」です。1980年代にブラジルの自治体で始まった仕組みで、自治体の一部の予算の使い方を市民の提案や投票によって決めるというもの。その取り組みは世界各地に広がり、現在ではニューヨークやボストン、パリなど3000を超す自治体が導入しています。日本でも三重県や茨城県阿見町などが導入したことがありました。研究分野としても近年注目を浴びていて、先生もそこに参画していきたいと考えています。
五十嵐先生が研究しているのが、この参加型予算を行う際の投票ルール。例えば、投票数が一番多かったプロジェクトを採択するというルールだと、多数派の意見だけが通り、少数派の意見は全く考慮されないことに。そこをバランスよく市民の声を汲み取れる仕組みづくりに貢献したいと話します。
今後は理論研究と応用研究の両輪を回しながら、社会的に重要な意思決定にも携わっていきたいと話す五十嵐先生。「理論研究だけに専念して多くの論文を執筆すれば、30年後には長い論文リストができるかもしれません。ただ、それが数学的に見て『美しい結果』だとしても、具体的に何かを成し遂げたという実感を持てない気がするんです。やはり応用研究にも取り組んで、自分の研究がこのように社会の役に立ったんだと少しでも言える結果を残せればいいなと思っています」