第31代総長は「対話」を重視する ~藤井輝夫総長インタビュー
横山 4月1日付けの就任挨拶では「対話」を重視されていましたね。これにはどんな思いがこめられているのでしょうか。
藤井 社会的にも地球的にも様々な問題が山積するなか、コロナ禍の影響で、直接会って互いに話す機会が減ってしまいました。そのせいか、自分の思いが相手にきちんと伝わっていないと感じることが多々あります。思うに、このことがさらに多くの問題を生じさせているのではないでしょうか。この一年だけ見ても、紛争、差別、分断といった問題が増えているように感じます。様々な人々がもっと活発に対話を行い、共感を拡げていかないといけないのではないか。そうした思いを強く持っています。
私は前総長の五神先生の下で社会連携と産学官協創を担当し、ある意味大学のフロントの部分、社会との境目となる現場をつぶさに見てきました。大学は自らの活動を学外にしっかり説明し、社会から理解とサポートを得る必要があります。活動をきちんと発信し、社会の皆さんと向かい合って話す対話の作業を続けないと、大学というものの存在自体が社会から認めてもらえないでしょう。大学は様々なよい活動を行っていますから、それを学外の方々にもしっかりとお伝えしながら共感を拡げていくことが大事だと思っています。
ダイバーシティを重視するのは当然のこと
横山 同情ではない真の共感は、お互いの理解を深めます。また、対話のポイントは双方向性にあり、つまりこれまで伝える一方であった我々の側が社会の多様な意見を学び、大学が変わることにもつながります。たとえ意見の相違があっても、対話によって社会との信頼が醸成されることは、分断の時代にとても大事なことだと思い、総長が大事にされることを心強く思います。
藤井 ダイバーシティを重視するのは当然のことです。世界にはいろいろな人がいて、それぞれいろいろな背景をもって生活しています。大学が活動を行う際に、いろいろなバックグラウンドを持つ人が集まってディスカッションを行い、多様なアイデアを出し合うことが、活動の成果をより高いレベルへ引き上げるでしょう。大学にとってダイバーシティが重要な経営方針の一つとなるのは間違いありません。大学として最優先に考えなければいけないことだと思っています。
横山 新しい執行部体制では、女性が過半数ということが注目されましたが、ここにはこだわりましたか?
藤井 そういうわけではなく、ともに仕事をしたいと思った皆さんにお願いしたら結果としてこういう布陣になったということです。インパクトを狙ってこうしたというわけではありません。
横山 今後の大学運営のプランを検討するワーキンググループ(WG)の資料を拝見しましたが、テーマの切り分け方とその略称が斬新だなという印象を受けました。研究、教育、協創、DX(デジタルトランスフォーメーション)、GX(グリーン~)、CX(コーポレート~)、Diversity & Global、MX(マネジメント~)という8つのWGが設定されていますが、これについて紹介していただけますか。
藤井 研究、教育はもちろん大学の本分たるものであり、協創は学外とともにやっていくということです。これらは大学の活動として当然考えるべきことということでWGを置きました。DXやGXは、教育・研究・協創のすべてに関係するものとして想定しています。Diversity & Globalは全体に共通する前提のようなもの。CXは、大学と社会とのコミュニケーションのあり方、大学自体のオペレーションや働き方改革などを含むテーマです。すなわち、教育・研究・協創はこれまでどおりの大学のアクティビティで、DX・GX・CXはそれらと直交するものというイメージ。もともとはマトリックス図のなかで、教育・研究・協創に横串を通すようなものとして捉えて描いていました。Diversity & Globalはもっとベーシックな価値観を支え、MXは大学を財務の面で支えるという重要な経営マネジメントと捉えています。マネジメントの改革は、これまで五神前総長が大学を真の経営体にするとおっしゃってやってきました。私はそれをさらに一歩進めます。
横山 さて、昨年10月の記者会見では大学を「世界の誰もが来たくなるような学問の場」にしたいと述べられました。私たち構成員はどのようなイメージを持てばよいでしょうか。
藤井 もちろん「大学」ですから基本的には学問の場です。「誰もが」では学生、留学生、研究者、そして職員も想定しています。ここで学べばおもしろいことができそうだと思える場、誰もがここに来て働きたいと思える場にするにはどうしたらよいかという発想で捉えてほしいと思います。
横山 たとえば専門性の高い職員にどう活躍いただくかということも含まれるでしょうか。
藤井 はい。これまで理事・副学長として担当してきた社会連携本部では、ファンドレイザーという専門家がいましたが、広報でも国際でもやはり専門性の高い人は必要でしょう。専門性を取り入れることは進めたいですね。一方で、働く場所として考えたときに、新卒の学生は大学で働きたいと思ってくれるのか。実は、こんなに多種多様な活動をしている組織体というのは、大学以外だとそうはないと思うんです。学務に関する仕事ができるのは当然ですが、イベントの企画や実施もできるし、広報の仕事もできるし、病院に関わることもできるし、いまなら資金運用のような金融に関わる仕事だってできるわけです。働く場所としても魅力的な側面は数多いはずで、そこはもっと伝えたほうがよいかなと思っています
学びと社会を結び直す
横山 10月の会見で語った「学びと社会を結び直す」は印象的な言葉でした。これについても補足いただけますか。
藤井 いまの時代というのは、大学で学ぶ学生たちが働き始めたときに何が飛び出してくるかわからない、どんな課題に取り組むかも予想できない部分があります。でもそこでなんとかやっていかないといけない。学んだことを実際に現場で生きた知識として使うことが重要です。大学で学ぶだけでなく、海外や地域の自治体、学外の学術機関などに飛び出していって、学んだことを使う機会を増やしたいと思って言いました。
東大は産学官協創で様々な企業と連携活動を展開しています。インターンシップというといまは就職活動と直結していますが、就職と関係なく、学んだことを現場で活かす機会をつくってもらおうと思ってインターンシップをやってきました。そんな機会を増やしていきたいんです。産学官協創の活動を、学生の学びの場を拡大することにも活用したいと思っています。
横山 学内で学び、実践の場にそれをあてはめるときにまた学ぶわけですね。
藤井 そうです。実践の場で足りないことに気づいて、また大学に戻ってきて次の学びのモチベーションにつなげる。それが「結び直す」ということだと思います。
デジタル化でコミュニティを拡大
横山 10月の会見では大学運営のデジタル化にも触れておられましたね。
藤井 事務手続きのデジタル化はもう待ったなしの状況です。特にコロナ禍の状況ではなるべく紙を使わずに物事が進められなければならず、そのためには既存の様々なシステムを上手につないで使えるようにしないといけません。そうして事務作業の負担を軽減し、そこに使っていた時間を次の工夫にあてるようにしたいと思います。
もうひとつはキャンパス自体のサービスのデジタル化です。たとえば障碍(がい)がある人にとって、どのルートを選べばキャンパス内を移動しやすいのかを調べるだけでも簡単ではないでしょう。デジタル化によりそうしたことにもっと配慮できればと思います。部屋を使うときの手続きとか、授業履修の管理なども、学生が手元で手軽にできるようにしたいですね。実はそのためのアプリについては、一昨年から議論を始めています。学生時代にこのアプリを活用し、それを卒業後も使えれば、大学と卒業生はつながり続けることができるでしょう。卒業生とのつながりは東大にとって非常に重要。大学というコミュニティを拡大するツールとしてのデジタル化にも注目しています。
横山 デジタルツールは、ある種の対話的要素があるといいますか、用意するだけでなく使う側の意識も巻き込まないと長く使われないようですが、それができたら楽しみですね。藤井先生は、構成員全員にビジョンを理解してもらいたいともおっしゃっていました。デジタル化についても、たとえば情報システム系の人だけではなく皆でやるんだということでしょうか。
藤井 そのとおりです。東大を誰もが来たくなるような場、誰もがいきいき活動できる場にしていくんだ、という気運、カルチャーのようなものを皆で共有し、誰もが参加して自分の可能性を発揮できる場にしたいですね。
一問一答で見る藤井新総長
ご自身の人となりについて10の質問を投げかけ、短い言葉で答えていただきました。
専門の「応用マイクロ流体システム」とは?
デバイスの技術です。普通、デバイスというと電子的なものを思い浮かべるでしょうが、そうではなく液体を用いるデバイスの技術です。マイクロサイズの流路構造のなかに分子とか細胞などを入れて使います。身近なところでいえば、PCR検査とか、細胞を培養して薬を開発するのに応用できる技術です。
教養学部生のときに受けた授業で最も印象的だったのは?
浦環先生(東京大学名誉教授)の全学ゼミで、アメリカ海洋大気庁(NOAA)のぶ厚いダイビングマニュアルを六本木の生研に行って読むという不思議な授業があって、これが一番印象に残っています。
工学部に進んだ理由は?
もともと海の中を調べる技術がやりたかったんです。海洋学ではなく、海の中で使う機器を作るほう。それをできる大学というと実はそれほど数はなく、必然的に東大工学部に行こうと思いました。
海の中で使う機器に着目したきっかけは?
子どもの頃にアポロの月着陸をテレビで見てすごいと思ったんですが、月のことがいろいろわかるのがすごいというよりは、人の技術で月に行けるようにしたのがすごいと思ったんです。宇宙に行くのはすでにやられていたので、ならば自分は深い海のほうだな、と。マリアナ海溝の最深部まで行った人は月に行った人より少なく、当時はまだ二人しか行ってなかったんです。それで海の中のほうをやりたいなと思いました。
研究者になったのはなぜ?
「これは自分の仕事です」と20代で言いたい気持ちがありました。いまなら起業を考えていたかもしれません。当時はバブルの頃で、銀行とか証券とかに進む仲間もいましたが、大企業に入ると若手は大事業のほんの一部分しか担当できない、というイメージを自分は持っていたんです。研究者だったら論文を書いて「これは私の仕事です」と言えます。「これは藤井輝夫の仕事です」と言いたくて研究者になった面が大きいです。
Clubhouse(音声SNS)のような新しいことが好きというのは本当?
はい。新しいことを始めたときの「わからない感」が好きなんです。未知の分野に入ると、それまで自分がやってきた分野の見方や視点をもっている人がそこにはいません。だからこそ自分がそこに新しい視点をもちこめるわけです。これはダイバーシティの価値や楽しさにも通じますね。
東大ではどんな学生でしたか?
海洋研究会というダイビングサークルに所属していました。西表島や小笠原の父島で長期合宿するサークルでした。なかなか行けないような場所でダイビングをするのが楽しかったです。
フランス国立科学研究センター(CNRS)と生産技術研究所の共同ユニットではどんな仕事をしましたか?
ラボ全体のディレクターを2007年から7年間務めました。フランスから20人ほど研究者が来ていろいろなラボに入って活動するのを統括する役割です。MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)のラボにバイオや化学の研究者を呼んで、ナノテクで分子を扱うとかバイオ応用のマイクロデバイスをやるというような分野融合を手がけました。
高校時代にはバンドを組んでいたそうですが、どんな曲を?
フュージョンやAOR(Adult Oriented Rock)のバンドのギターとしてThe 24 street bandのコピーなどを主にやっていました。
生誕の地、チューリッヒの思い出は?
生まれただけなので思い出はないんですが、在外研究でスイスに行った際、まだ存命だった母と生家を探しに行ったら40年前と同じ家があった、という思い出はあります。
取材日=2021年3月26日
※藤井総長は4 月5 日に新型コロナウイルス感染が判明し、療養していましたが、4 月16 日に無事公務に復帰しました(本取材の関係者に感染はありませんでした)。