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テラヘルツ光で光学量子ホール効果の観測に成功 !研究成果

テラヘルツ光で光学量子ホール効果の観測に成功 !

1. 発表者:
 島野 亮 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授)
 池辺洋平 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 博士3年)
 青木秀夫 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授)
 森本高裕 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 博士2年)
 岡本 徹 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授)
 枡富龍一 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 助教)

2. 発表慨要:
 強い磁場下におかれた2次元電子系(注1)が示す量子ホール効果(注2)は、1980年代以降2度のノーベル賞にも輝いた物性物理学の中心テーマの一つであり、今日では電気抵抗の標準にも利用されている。この量子ホール効果が光領域でも現れることを、テラヘルツ光(注3)を用いて観測することに成功した。量子ホール効果の研究はこれまで主に直流伝導測定による静的な(時間的に変化しない)性質の研究がほとんどであった。一方、光のような高周波数の電磁波に対しては、量子ホール効果の鍵となる電子の局在効果がどのように作用するかは長らく不明だった。ところが、最近になって、光領域でも量子ホール効果が生じること、この「光学」量子ホール効果では、2次元電子系を透過した光の偏光(注4)が回転し、その回転角が素電荷eとプランク定数hに関連した量子電気力学の基本物理定数である「微細構造定数」の整数倍になることが理論的に予測された。半導体の界面につくられた2次元電子系でこの「光学」量子ホール効果が実際に生じていることを、世界最高感度のテラヘルツ光の偏光の測定により初めて実証した。

3. 発表内容:
(1)これまでの研究で分かっていた点
 磁場中におかれた半導体や金属などの導体に磁場に垂直方向に電場を印加すると、電場および磁場の両方に垂直な方向に電流・電圧が発生する(ホール効果)。半導体の界面や表面に存在する2次元電子系では、強い磁場をかけていくとホール伝導度は階段状に変化し、さらにその値は電子の素電荷eとプランク定数hだけで与えられるe2/hという量の整数倍に量子化されていることが1980年に発見された。この現象は「整数量子ホール効果」と呼ばれ、引き続いて発見された「分数量子ホール効果」とともに、高温超伝導の発見とならんで20世紀後半の物性物理学史のハイライトに位置付けられている。量子ホール効果では、電気抵抗という通常は物質に大きく依存する物理量が、物質に依存しない基礎物理定数で表される。量子化されたホール伝導度の値は極めて精密に決定されており、今日では量子ホール効果は電気抵抗の標準にも用いられているほどである。
 量子ホール効果の研究はこれまでは直流伝導度測定という静的性質(時間的に変化しない性質)の研究がほとんどであったが、2009年森本らによって、光領域での量子ホール効果の理論の提案がなされた(T. Morimoto, Y. Hatsugai, and H. Aoki, Phys. Rev. Lett. 103, 116803 (2009))。その結果、静的な性質として調べられてきた量子ホール効果は、光のような高周波の応答では壊れそうに思えるのに、意外なことに、量子ホール効果の影響が光学応答にもはっきりと現れることが予測された。

(2)この研究で新たに実現しようとしたこと
 この「動的」な光学量子ホール効果は、テラヘルツ光に対するファラデー効果(注5)を観測することにより実証することができる。ファラデー効果による光の偏光の回転の大きさは光学ホール伝導度に比例しているため、ファラデー効果の観測から光学ホール伝導度を決定することができるからである。では量子ホール効果が起きるとファラデー効果はどのように見えるのであろうか。森本らの理論によれば、図1に示すようにファラデー効果による光の偏光の回転角が前述のe2/hに関連した量子電気力学の基本物理定数である「微細構造定数」の整数倍となることが予想されていた。しかし、回転角の大きさは高々ミリラジアン(0.06度)程度と非常に小さく、テラヘルツ光に対してこのような微弱な偏光回転を検出することは困難であった。島野研究室ではさきに、テラヘルツ周波数帯で、物質中のファラデー効果によって生じる透過光の偏光の回転を世界最高の検出感度で精度よく観測する手法の開発に成功していた(Y. Ikebe and R.Shimano, Appl.Phys.Lett.92,012111(2008))。この手法では、テラヘルツ光の電場成分がその周期、約1兆分の1秒で振動している様子を直接観測することが可能である。試料中を透過した光に対して、この電場ベクトルの振動方向を正確に計測することにより、ファラデー効果により偏光が回転したかどうかを高い精度で決定することが可能となった。この手法を用いて、半導体GaAsとAlGaAsの界面に形成される2次元電子系を対象に、量子ホール効果によって生じるファラデー効果の観測を行った。

(3) この研究で得られた結果及び知見
 直流の電気伝導度測定でホール伝導度に階段状の構造(プラトー構造)が観測される磁場(5.6 T)近辺で、ファラデー回転角が磁場によらない値をとり、さらにその大きさが確かに微細構造定数によって決定されていることを明らかにした(図2)。また、ファラデー回転角から導かれた光学ホール伝導度もこの磁場領域で一定値(プラトー構造)をとり、周波数に依存する因子を除去すると、e2/hという量のまさに整数倍になっていることが明らかになった (図3)。
静的な量子ホール効果の鍵は、1980年に量子ホール効果が発見された直後に、青木と安藤恒也(現東工大教授)が提唱した、散乱された電子の波が干渉しあって動けなくなってしまうアンダーソン局在と、それに付随した非局在状態の存在による量子ホール効果の理論へと遡る。しかし、光のような高周波数の電磁波に対しては、量子ホール効果の鍵となる電子の局在効果がどのように作用するかは不明だった。また、静的な量子ホール効果が何故起きるのかは、数学的には微分幾何学的な解釈(トポロジカルな理論と呼ばれる)が可能であり良く理解されていたが、これが光にまで拡張できるかどうかは明らかではなかった。さきに2009年に森本らにより理論的に提唱された光学量子ホール効果を、今回、実験により実証したことにより、物質の背後に潜むトポロジカルな性質が大変頑強であることが明らかとなった。同時に今回の結果は、テラヘルツ光領域でも電子の局在の効果が重要な役割を果たすことを示している。

(4)今後の展望
 テラヘルツ光は、光波と電波の中間の周波数帯の電磁波である。光や電波の狭間で取り残された電磁波の秘境ともいえる周波数帯であり、今後様々な応用が期待されている。しかし、多くの物質ではこの周波数帯の性質が明らかになっていない。今回の結果はその一端を解明した一例であり、一見別々の現象にみえる光学効果と電気伝導が実は密接に繋がっていることを明らかにした。量子ホール効果という基礎物理学の研究が電気抵抗の標準として利用されるようになったように、テラヘルツ光に対して現れる物質の量子力学的効果は様々な応用に広がる可能性を秘めている。例えば、量子ホール効果の特徴の一つとして、散逸を伴わない(ジュール熱を発生しない)電流が生じることが挙げられる。今後も、様々な物質で起きるこのような特異な電気伝導現象に関連してテラヘルツ帯の光学応答にも興味深い新現象が発見されることが期待される。

本研究は、以下の補助金の支援を受けて行われたものである。ここに記して謝意を表する。
・科学技術振興機構 さきがけ研究「高感度テラヘルツ光学活性計測技術の開発」
・科学研究費補助金(日本学術振興会)、特別研究員奨励費(課題番号09J09833)「量子ホール系におけるランダウ準位間励起のテラヘルツ偏光分光 」
・科学研究費補助金(日本学術振興会)、基盤研究(B)(課題番号20340098)「対称性の破れを伴わない量子液体相:幾何学的位相による理論とその応用」
・科学研究費補助金(文部科学省)、グローバルCOEプログラム(未来を拓く物理科学結集教育研究拠点)

4. 発表雑誌:
本成果は、米国物理学会が発行するPhysical Review Letters誌の2010年6月25日号に掲載される予定。
Y. Ikebe, T. Morimoto, R. Masutomi, T. Okamoto, H. Aoki, and R. Shimano,
“Optical Hall Effect in the Integer Quantum Hall Regime” Physical Review Letters , (2010).

5. 問合せ先:
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授 島野 亮

6. 用語解説:
(注1) 2次元電子系
異なる種類の半導体を接合した界面や半導体の表面では、電子が閉じ込められ電子の運動が2次元的になることがある。このような電子の系を2次元電子系と呼ぶ。
(注2) 量子ホール効果
2次元電子系に垂直に強い磁場をかけたとき、電場方向とは垂直の方向の電気伝導度(ホール伝導度)が、普遍定数の整数倍に量子化されるという効果。1980年にフォン・クリッツィングらにより半導体のMOSと呼ばれる構造で発見された。
(注3) テラヘルツ光
光波と電波の中間の周波数帯に位置する電磁波。紙やプラスティックは透過し、金属は反射する。光源や検出器の制約から未踏領域の電磁波とされてきた。近年、レーザー技術の進歩とともに、発生や検出、操作の技術が大きく進展した。量子ホール系の典型的な励起や発光はテラヘルツ帯になる。1テラヘルツは光子のエネルギーにすると約4ミリエレクトロンボルト(meV)、周期にすると1ピコ秒(=1 ps=10-12秒=1兆分の1秒)に相当する。
(注4) 偏光
光波の電場(あるいは磁場)ベクトルの振動の方向が偏っているような光の状態。振動方向が一方向の場合を直線偏光と呼ぶ。
(注5) ファラデー効果
磁性体や磁場をかけた半導体に直線偏光の光を入射すると、透過光の偏光が回転する現象。

7.添付資料

(図1) :2次元電子系によって生じるテラヘルツ光のファラデー効果の模式図。透過光の偏光の回転角θが量子電気力学の基本物理定数である「微細構造定数」α~1/137の整数倍になる。


(図2) :ファラデー回転角を光子のエネルギーの関数として表示。赤の点線と黒の破線は回転角の理論予測値であり、それぞれ古典的な極限と量子ホール効果の極限に相当する。磁場5.6 T付近で回転角は磁場に依存しなくなり、その値は微細構造定数で表される値を取る。


(図3) :光学ホール伝導度を占有数とよばれる磁場に反比例する量の関数として表示。テラヘルツ光領域でもプラトー構造が観測される。

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