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身体運動に潜む複雑系:ストリートダンスが明らかにした全身動作における新たな相転移現象の発見研究成果

「身体運動に潜む複雑系:
ストリートダンスが明らかにした全身動作における新たな相転移現象の発見」

平成23年8月8日

東京大学大学院総合文化研究科


音楽のあらゆるビートに合わせて自由闊達に身体を操るストリートダンス。このストリートダンスには、音楽のリズムに合わせて膝の屈伸を行う「アップ」および「ダウン」という基本動作があり(図1)、初心者はまずこれらの基本動作から練習を始めます。リズミカルな音に身体運動を同期させる行為は従来、感覚‐運動協調(sensori-motor coordination)と呼ばれ、リズム音に合わせた指タッピングなどの課題を用いた研究により、動作速度の増大に伴って協調パターンが180度変化する「相転移(phase transition)」現象が報告されていました(図2)。

東京大学大学院総合文化研究科の工藤和俊准教授および三浦哲都(博士課程大学院生)らの研究グループは、ストリートダンスの基本動作である感覚‐運動協調課題を用いて、全身動作における新たな相転移現象を発見しました(図3)。さらに、一般人(ストリートダンス未経験者)において観察されたこの相転移が、ストリートダンスの熟練者では生じないことを明らかにしました。

これまで相転移現象は、複雑系科学の基礎理論である非線形力学系理論によって説明されてきたことから、本研究は人間の全身動作が「複雑系」としての特徴をもつことを示したものといえます。さらに、ストリートダンスの熟練者ではこの相転移現象が観察されなかったことから、人間の運動学習が、神経系に内在する生得的な制約(無意図的な「相転移」の出現)を克服していく過程であることが明らかになりました。

今後、本研究で発見された全身動作における相転移現象を引き起こす神経系の制約因子を解明していくことにより、様々なスポーツにおける初心者特有の運動パターンや、初心者がつまずくポイントが明らかになり、それを克服するためのより効率的な練習方法やスキル評価指標の開発につながります。効率的な練習方法の開発はオーバートレーニングの予防にもつながり、高齢者の安全な運動学習や、スポーツ選手やダンサーのパフォーマンス向上に貢献できるものと期待されます。

この成果は、2011年7月28日付けで科学誌“Human Movement Science”(オランダ,エルゼビア社)のオンライン版に掲載されました。

◆著者 :
三浦 哲都(東京大学大学院総合文化研究科・博士課程3年)
工藤 和俊(東京大学大学院総合文化研究科・准教授)
大築 立志(東京大学大学院総合文化研究科・名誉教授)
金久 博昭(鹿屋体育大学・教授、当時:東京大学大学院総合文化研究科・教授)

◆キーワード:
ストリートダンス、リズム、感覚-運動同期課題、複雑系、相転移、非線形力学系

◆発表雑誌:
Coordination modes in sensorimotor synchronization of whole-body movement: A study of street dancers and non-dancers(全身動作による感覚運動同期における協調モード:ストリートダンサーと非ダンサーの比較研究)Human Movement Science

※Human Movement Science誌のホームページ
http://www.sciencedirect.com/science/journal/01679457

◆研究手法及び成果:
実験では、ストリートダンサー(国際大会の優勝者を含む熟練者)とダンス未経験者に、リズム音(ビート)に合わせて「アップ」と「ダウン」の課題を様々な速さで行ってもらいました(図1)。これらの課題はストリートダンスの基本動作であり、アップ課題では、ビートと膝の伸展を同期させ、ダウン課題ではビートと膝の屈曲を同期させます。その結果、ダンス未経験者は動作がゆっくりであればアップの動作を行うことができましたが、動作が速くなるとアップの動作を安定して行うことができず、アップの動作を行おうとしているにも関わらずダウンの動作になってしまうことが明らかになりました(図3)。ダンス未経験者が示したこの現象はアップからダウンへの「相転移」現象と呼ばれます。一方ストリートダンサーではこの相転移現象が観察されず、非常に速い速度でもアップの動作を行えることが分かりました(図3)。さらに、未熟練者のアップ動作では、相転移の直前に動作変動が増大する「臨界ゆらぎ」現象も見出されました。これらの結果は、複雑系科学で用いられる非線形力学系モデルによって最もよく説明できることから、本研究は人間の全身運動が「複雑系」としての特徴をもつことを示したものといえます。

◆本研究成果の学術的意義:
動作の速度を上げていくと動作があるパターンへと無意図的(自動的)に引き込まれてしまう身体運動の相転移現象は、1981年に指の運動で初めて報告されました(図2)。本研究は、「アップ」「ダウン」というストリートダンスの基本動作(全身動作)において相転移が生じることを示すとともに、これが運動スキルの熟練度と深く関連していることを明らかにしました。このことは人間の様々な動作の運動学習が、相転移という運動における制約を克服する過程であることを示唆する重要な知見です。

また、ストリートダンスの基本動作において、熟練者と未経験者に違いがみられたことから、古来から舞踊の世界で伝えられている「型より入りて型より出る」という言葉の科学的意義付けが明確になります。すなわち、姿勢を自在に崩し一見すると型とは無縁のように思えるストリートダンスですが、「アップ/ダウン」という型から入り、そこから出る(すなわち、「相転移」から開放される)ことによって表現の多様性が生み出されるのです。

◆本研究成果の社会的意義:
本研究はダンスなど複雑な全身運動の学習が、人間が生得的に持っている運動における制約(相転移)を克服していく過程であるということを明らかにしました。このような運動学習における制約が明らかになることで、様々なスポーツにおける初心者特有の運動パターンや、初心者がつまずくポイントが明らかになり、それを克服するためのより効率的な練習方法の開発に繋がります。効率的な練習方法の開発はオーバートレーニングの予防にもつながり、高齢者の安全な運動学習や、スポーツ選手のトップパフォーマンスの実現に貢献できるものと期待されます。

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図1 「アップ」課題と「ダウン」課題
いずれの課題も、リズム音に合わせて膝の曲げ伸ばしを行うという点では同一。異なる点は動作とリズム音の位相であり、ビート時に「アップ」では膝伸展、「ダウン」では膝屈曲を行う。


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図2 両手協調および知覚‐運動協調における相転移現象(Kelso, 1981)
はじめに、両手の指を遅いテンポで同時に左右に振り(逆位相動作)、徐々にテンポを早くしていくと、両手指が同時に内側‐外側へ動くというパターン(同位相動作)に変化する。また、はじめに同位相動作を行った場合には、テンポを早くしても動作パターンの変化は生じない。これらの現象は、HKBモデル(Haken, Kelso, & Bunz, 1985)と呼ばれる非線形力学系モデルによって再現されることから、人間のリズミカルな動作が非線形力学系の原理によって組織化されていると考えられた。


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図3 ストリートダンスの基本動作における相転移
横軸を膝関節の角度、縦軸を角速度とした状態空間に膝動作の軌跡をプロットし、ビート時刻を●○印によって示す。ストリートダンサーでは、テンポが速くなっても「ダウン」「アップ」の動作が継続できているのに対し、未経験者では、動作速度が増すとアップ(上図緑枠)からダウン(上図赤枠)への相転移が生じる。また、未熟練者であっても、「ダウン」課題においては、速度が増大しても相転移が生じない。

◆問い合わせ先:
工藤 和俊(クドウ カズトシ)
東京大学大学院総合文化研究科・准教授

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