固形腫瘍の成長を阻止する新たな分子の発見研究成果

「固形腫瘍の成長を阻止する新たな分子の発見」 |
平成23年11月22日
1.発表者:
村田幸久(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 助教)
有竹浩介(大阪バイオサイエンス研究所 研究員)
松本重子(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 学術支援職員)
鎌内慎也(大阪バイオサイエンス研究所 特別プロジェクト研究員)
中川貴之(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 助教)
堀 正敏(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 准教授)
百渓英一(農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所 上席研究員)
裏出良博(大阪バイオサイエンス研究所 研究部長)
尾崎 博(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 教授)
2.発表概要:
癌は生体の持つ免疫反応をかく乱し、それを巧みに利用することで急速な成長を遂げる。東京大学大学院農学生命科学研究科の村田幸久助教らの研究グループは、肥満細胞(注1)という免疫細胞が大量に産生するプロスタグランジンD2 (PGD2)(注2) という物質が、癌を取り巻く免疫環境を整えてその成長を強く抑えることを発見した。
3.発表内容:
<要旨>
悪性腫瘍(癌)は生体の免疫機構からの攻撃をかわすだけでなく、免疫反応の質を変化させて刺激し、これを利用することで成長を加速させる。このため癌における免疫反応の正常化と鎮静化が、癌の成長を食い止めるためには必要である。
本研究では、免疫細胞の1つである肥満細胞がプロスタグランジンD2 (PGD2)という物質を大量に産生しており、これが癌の成長を強力に抑えることを発見した。その機構として、プロスタグランジンD2が癌組織における異常な免疫反応(他の免疫細胞の異常活性や血管新生の亢進)を抑える作用を持つこともわかった(下図1)。このシグナルを上手に利用して、癌を取り巻く免疫環境を整えれば癌の成長阻止に有効であると考えられる。
<背景>
炎症反応は感染・傷害から生体を守り、その治癒を担う生体反応である。その一方で、急速に成長する固形腫瘍(癌)においては、異常(過度)な炎症反応が観察され、この反応が逆に癌の成長を助長する因子として働いていることが分かっている。このため癌で見られる異常な炎症反応をどのように制御するかが、癌を克服するうえで非常に重要であると考えられている。
炎症反応は細胞膜リン脂質から産生されるプロスタグランジン(PG)と呼ばれる情報伝達物質によって引き起こされ、調節されている。PGの中でもっとも有名なPGE2は癌内の炎症を刺激して癌の悪性度を高めることが報告されている。PGD2は同じPGの一種類であり、脳で産生されて睡眠を誘発することが分かっているが、その炎症制御作用は明らかにされておらず、PGD2が癌の成長にどのような影響を与えるかについては分かっていなかった。
これらの背景を踏まえ、我々はPGD2が癌内の炎症反応とその成長にどのような影響を及ぼすか、そしてそれはどのような機構を介しているかについて研究を行った。
<結果>
・PGD2を合成する酵素(H-PGDS)を欠損し、PGD2を産生することができないマウスに移植した癌は、正常なマウスへ移植した癌と比較して、非常に早く成長した。
・H-PGDS欠損マウスで成長した癌において、極度の炎症反応(TNF-α(注3)を中心とするサイトカイン産生量、他の免疫細胞の浸潤数、血管新生)の増強が観察された。
・癌組織において免疫細胞の一種である肥満細胞が点在していた。この肥満細胞が強くH-PGDSを発現しており、癌におけるPGD2の産生元であることが分かった。(下図2:癌において赤で示される肥満細胞がH-PGDS(緑)を発現している)。
・肥満細胞に特異的なH-PGDS欠損マウスを作製したところ、このマウスに移植した腫瘍は急速に成長した。
・H-PGDSを欠損した肥満細胞の性状を調べたところ、TNF-αを始めとするサイトカインの産生量が異常に上昇していた。この細胞にPGD2を添加するとその異常産生は抑えられた。
<考察>
本研究では癌にごくわずかな数浸潤している肥満細胞がPGD2を産生し、癌における強力な炎症抑制作用と増殖抑制作用を持つことを明らかにした。PGD2シグナルの増強は新たな癌治療のターゲットとなる可能性がある。
本研究成果は新たな癌抑制因子の発見という点で大きな意味を持つとともに、ごく少数点在する免疫細胞が癌内の免疫環境とその増殖に大きな抑制作用を持つことを証明した点でも非常に興味深い。
なお本研究は、科学研究費補助金 若手研究(A)、がん研究振興財団、安田記念医学財団、佐川がん研究振興財団からの研究助成を受けて行われた。
4.発表雑誌:
雑誌名:米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)「PNASオンライン版」(11月21日号)
論文タイトル:Prostagladin D2 is a mast cell-derived anti-angiogenic factor in lung carcinoma
著者:*Takahisa Murata, Kosuke Aritake, Shigeko Matsumoto, Shinya Kamauchi, Takayuki Nakagawa, Masatoshi Hori, Eiichi Momotani, Yoshihiro Urade, and Hiroshi Ozaki.
(注:*筆頭・責任著者)
5.問い合わせ先:
東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医薬理学教室
助教 村田幸久(むらた たかひさ)
6.用語解説:
(注1)肥満細胞:免疫細胞の1つ。炎症や免疫機構など生体防御機構の一端を担う。組織で観察される数は非常に少なく、その免疫制御機構については不明な点が多かった。しかし近年研究が進み、この細胞が強力な免疫制御作用を持つことが分かってきている。
(注2)プロスタグランジン:細胞膜脂質から産生される生理活性物質。炎症反応の主体をなす。
(注3)TNF-α:炎症を刺激する生理活性物質の1つ。癌の悪化を引き起こす因子として働く。
7.添付資料:
図1 プロスタグランジンD2は癌における異常な炎症反応
(血管再生の促進や免疫細胞の活性)を抑制し、その成長を阻止する
図2 癌細胞において、赤で標識された肥満細胞がH-PGDS(緑)を発現している。