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Wntシグナルによる細胞融合制御メカニズムの解明記者発表

「Wntシグナルによる細胞融合制御メカニズムの解明」

平成23年11月23日

1.発表者:
秋山 徹(東京大学分子細胞生物学研究所 分子情報分野 教授)
松浦 憲(東京大学分子細胞生物学研究所 分子情報分野 特任研究員)

2.発表概要:
細胞融合は筋繊維1)、破骨細胞2)、胎盤のシンシチウム3)など様々な細胞・組織の形成において必須の役割を果たしており、さらに近年の研究により、組織の傷害後の再生・修復時など、より広範に生体内で起こる現象であることが明らかになりました。しかし、その制御機構は良く分かっていませんでした。今回、細胞の癌化や組織の再生に重要な働きをするWntシグナルが細胞融合を制御している事を世界で初めて明らかにし、その制御機構が生体内でも働いている事を示しました。この発見は、組織の再生や細胞の癌化の新しい仕組みの解明につながる成果だと期待されます。

3.発表内容: 
細胞融合の研究は1957年に大阪大学の岡田善雄4)がセンダイウイルスによる細胞融合を発見したことから世界中で盛んになり、その後、細胞工学5)というバイオテクノロジーの一大分野を形成するに至りました。細胞融合の重要な点は、融合により他の細胞の性質を獲得することができるということにあります。かつては分化6)した体細胞が他の種類の細胞に変わることは不可能と考えられていましたが、細胞融合を利用した研究により、体細胞が他の細胞に変換できることが明らかになりました。こうした研究の系譜上に現在話題の人工多能性幹(iPS)細胞があります。また、生体内の細胞融合研究は、最近10年間で新しい発展が見られました。筋肉や肝臓などに遺伝的に機能障害のあるマウスに、正常な造血幹細胞を移植すると、移植細胞が筋肉や肝臓の細胞と融合して正常な機能を回復する事が示されました。さらに、組織に傷害を与えて炎症応答が起こると、組織の細胞と骨髄由来細胞(造血幹細胞、白血球など)の融合が大きく増える事が分かりました。これらのことから、傷害後の組織の再生における、既存の分化した細胞と骨髄由来細胞の融合の重要性が注目を集めています。

一方、炎症応答はがんの主要なリスクファクターであり、腫瘍周辺の微小環境7)では炎症をともなっている事が多いため、がんの発生における細胞融合の役割も注目されています。細胞融合後の分裂は染色体が不安定になり、染色体の重複や欠失などにより、がんにつながる遺伝子発現変化8)が生じ易くなることや、腫瘍細胞と造血幹細胞の融合により自己複製が可能で、薬剤耐性のあるがん幹細胞9)が生じる可能性、さらにマクロファージなどの遊走性で他の組織に適応・生着10)できる白血球細胞との融合により、腫瘍細胞が転移・浸潤11)能を持つ悪性腫瘍に変化する可能性が考えられています。

Wntシグナルとは標的遺伝子の転写12)を促進するシグナル伝達13)機構で、動物胚の発生時の形態形成や様々な組織(知られているだけでも腎臓、筋肉、毛包、骨など)の傷害後の再生・修復に必須の役割を果たしています。また、そのシグナル伝達制御機構が破綻し、恒常的に活性化した状態は、大腸癌をはじめとする多くの癌の発生の原因となっています。今回、Wntシグナルの新たな標的遺伝子を探索することにより、胎盤における細胞融合に関連した転写因子14)GCM1を同定し、その制御機構の詳細を明らかにしました(図1)。WntシグナルはGCM1とその下流の融合誘導因子syncytinの発現を制御することにより、細胞融合を制御している事を培養細胞で確認し、さらにWntシグナルをマウスの生体内で阻害すると、胎盤におけるGCM1とsyncytinの発現が抑制され、さらに胎盤の栄養芽細胞15)の融合が阻害されて、正常なシンシチウムが形成出来ないことを明らかにしました。これらの結果により、Wntシグナルの新しい役割の解明と、良く分かっていなかった細胞融合制御機構の一端を明らかにする事に成功しました。
Wntシグナルは組織の再生に必要で、その過剰な活性化はがんにつながることが分かっていますが、それがどのような仕組みで起きているのかはまだ良く分かっていません。GCM1やsyncytinは胎盤以外の組織でも発現していて、syncytinは乳癌や子宮内膜癌での発現が報告されています。これらのことから、今回明らかにした細胞融合制御機構が他の組織でも普遍的に働いている可能性があり、組織の再生や細胞のがん化の新しい仕組みの解明につながる成果だと期待されます。また、胎盤においてWntシグナルが細胞融合を制御することにより、正常なシンシチウムと絨毛16)の形成を規定していることが明らかになったため、胎盤絨毛の発育不全に起因する子宮内胎児発育遅延、稽留流産17)、子癇前症18)など、ヒトの妊娠異常のメカニズム解明や治療法の開発につながる事も期待されます。

4.発表雑誌: 
雑誌名:
Nature Communications(オンラインのみ11月22日)
論文タイトル:
Identification of a link between Wnt/β-catenin signaling and the cell fusion pathway
著者:
Ken Matsuura, Takafumi Jigami, Kenzui Taniue, Yasuyuki Morishita, Shungo Adachi, Takao Senda, Aya Nonaka, Hiroyuki Aburatani, Tsutomu Nakamura and Tetsu Akiyama
DOI番号:
10.1038/ncomms1551

5.問い合わせ先: 
<研究に関すること>
東京大学分子細胞生物学研究所
教授 秋山 徹(あきやま てつ)
<報道担当>
東京大学分子細胞生物学研究所 事務部総務チーム

6.用語解説: 
1)筋繊維:骨格筋を構成する細胞単位。筋芽細胞の融合によって生じる、巨大多核細胞。
2)破骨細胞:骨の再構築において、骨を破壊(骨吸収)する役割を担っている多核細胞。
3)シンシチウム:数個から数千個もの核を含んだ一つの巨大な細胞。胎盤上皮で形成され、細胞の隙間を塞ぎ、母体の血流からの侵入を止める働きを担っていると考えられている。
4)岡田善雄:世界で初めて人工的な細胞融合法を示した、世界的細胞生物学者。
5)細胞工学:細胞の性質を変えることによって新しい細胞を生み出したり,細胞に有用物質を生産させたりする学問分野。モノクローナル抗体の製造や農作物の品種改良なども,この分野に含まれる。
6)分化:様々な種類の細胞になる事ができる幹細胞から、特定の役割を持った細胞に変化すること。
7)がん微小環境:線維芽細胞、炎症細胞、免疫担当細胞、血管、リンパ管、結合組織などから成る、腫瘍を取り巻く特徴的な周辺環境。
8)がんにつながる遺伝子発現変化:染色体の重複によるがん遺伝子の発現増加や欠失によるがん抑制遺伝子の発現低下など。
9)がん幹細胞:自己複製能を持つと同時に多様な細胞に分化する能力を持つ。また抗がん剤や放射線治療に抵抗性を持つなどの特徴を持ち、がんの根本的治療における重要性が大きく注目されている。
10)生着:細胞が新しい場所で身体の一部として生きて機能し続けること。
11)転移・浸潤:浸潤は腫瘍細胞が周辺の組織に広がっていくこと。転移は腫瘍細胞が原発病変とは違う場所に到達し、そこで再び増殖し、同一種類の腫瘍を二次的に生じること。
12)転写:ゲノムDNAの塩基配列情報を元にmRNAを合成するための過程を指す。遺伝子が機能するための過程(遺伝子発現)の一つであり、セントラルドグマの最初の段階にあたる。
13)シグナル伝達:細胞膜上・細胞質中の因子が次々にシグナルを受け渡しながら、最終的には核内の転写因子による特定遺伝子の転写調節(さらにそれによる細胞の変化)をもたらす仕組み。
14)転写因子:転写を制御する因子。
15)栄養芽細胞:シンシチウムを形成する前駆細胞
16)絨毛:胎盤において母親と胎児の間のガス・栄養交換の場。柔突起により表面積を増やし、効率的な交換が行われる。
17)稽留流産:胎児が死亡しているにも関わらず、子宮内で留まっている状態。
18)子癇前症:妊婦が異常な高血圧と共に痙攣または意識喪失、視野障害を起こした状態。

7.添付資料:

20111123_01

【図1】Wntシグナルが細胞融合を制御するシグナル伝達機構の模式図

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