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胃がんの前がん病変としての胃細胞から腸細胞への細胞変換 ―胃がん発症における限定的な細胞のリプログラミング―研究成果

胃がんの前がん病変としての胃細胞から腸細胞への細胞変換
―胃がん発症における限定的な細胞のリプログラミング―

平成24年10月30日

東京大学大学院医学系研究科

1.発表者:
畠山 昌則 (東京大学大学院医学系研究科 病因・病理学専攻 微生物学講座 教授)

2.発表のポイント:
◆成 果:ピロリ菌感染した胃などに腸の細胞があらわれる現象で胃がんの前がん病変とされる腸上皮化生発症において、幹細胞性に関わるリプログラミング遺伝子が異常に活性化され、胃細胞から腸細胞への病的な細胞分化が引き起こされることを明らかにしました。
◆新規性:ピロリ菌感染が引き起こす胃粘膜病変の発症に、「細胞の限定的なiPS様変化」ともいえる機構が関与することを示した初の報告です。さらに、腸上皮化生からの胃がん発症のメカニズム解明にもつながる成果です。
◆社会的意義・将来の展望:胃の細胞は未分化性を獲得することでがん化の危険性が高まることが推察されるため、こうした細胞のリプログラミング機構を阻止することで胃がん発症の予防が可能になることが期待されます。

3.発表概要:
腸上皮化生(ちょうじょうひかせい:intestinal metaplasia)は胃の粘膜に腸の粘膜を作る細胞があらわれる病変で、ピロリ菌感染によって起きる慢性胃炎が長く続き病態が進んだ状態です。胃の粘膜にこの変化が現れると胃がんの発症リスクが高まることが知られており、胃がんの予防の観点からも注目すべき胃粘膜の病変の一つなのですが、どのようなメカニズムで胃の細胞が腸の細胞に変換するのかはこれまで不明でした。
本研究では、胃へのピロリ菌感染が腸上皮化生を引き起こす力を持つ転写因子CDX1を異所性に誘導発現することに着目し、CDX1が胃の細胞をどのようにして腸の細胞に変化させるのかを調べました。その結果、CDX1は胃の細胞内で、iPS細胞やES細胞の樹立・維持に関与するSALL4ならびにKLF5というリプログラミング遺伝子(=幹細胞性遺伝子)を異常に活性化することが明らかになりました。その結果、胃の細胞は消化管のいろいろな細胞を作る能力を獲得した幹細胞様の状態に一度リセットされ、その後に腸の細胞へと異常分化していくことが示されました。
この研究成果は、ピロリ菌感染が引き起こす胃粘膜病変発症において、限定的な細胞運命の変化ともいえる現象が関与することを示したものです。リプログラミングにより未分化性を獲得した胃の細胞は、腸の細胞へ分化できる異常な能力を持つとともに容易にがん化しやすい性質を獲得すると考えられます。こうした細胞のリプログラミングを阻止することで胃がん発症の予防が可能になることが期待されます。本研究の内容は、米国科学誌「米国科学アカデミー紀要; Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」オンライン版に掲載されます。

4.発表内容:
【研究の背景】胃がんは、世界で年間70万人が死亡する原因となっているがんです。特に日本は胃がんの罹患率が非常に高く、がんで亡くなる人の数で2番目に多いのが胃がんです。胃がんの種類の中で大部分を占める分化型胃がんは、腸上皮化生(注1)と呼ばれる胃粘膜病変を前がん病変として発症すると考えられています。腸上皮化生は胃の粘膜の中に腸の細胞(多くは小腸の細胞)が出現する現象ですが、どのような仕組みで胃の細胞が腸の細胞に変化するのか、なぜ胃がんの発症につながるのかについては長年不明のままでした。ピロリ菌(注2)の感染は胃がんの重要な危険因子として知られていますが、中でもCagAという病原因子を産生するタイプのピロリ菌感染は、CagAを作らないタイプのピロリ菌感染に比較して、腸上皮化生を含めた胃粘膜病変の発症とより強く相関します。 CagAはピロリ菌が保有するミクロの注射針により胃上皮細胞内に注入されます。当研究室ではこれまで、CagAの持続的侵入により、胃の細胞内に本来腸に特異的に存在する転写因子(注3)であるCDX1が異所性に発現されることを明らかにしました。腸上皮化生を示すヒトの胃粘膜にはCDX1が異所性発現していることが知られており、動物実験の結果からCDX1を発現させた胃粘膜では腸上皮化生が発症することが報告されています。このことから、CDX1が腸上皮化生の発症機構に関わることが推察されますが、CDX1がどのようなメカニズムで胃の細胞を腸の細胞に変換させるのかについては全く分かっていませんでした。

【研究の内容】本研究では、腸上皮特異的転写因子CDX1を条件依存的に異所性発現させるヒトの胃の細胞株を樹立し、CDX1が転写因子としてどのような遺伝子群の発現を制御しているのかを、DNAマイクロアレイ解析(注4)技術を用いて全ヒト遺伝子の中から探索しました。その結果、CDX1は胃の細胞において、iPS細胞(注5)やES細胞(注6)の樹立・維持に関与するSALL4ならびにKLF5というリプログラミング遺伝子(=幹細胞性遺伝子)(注7)を異常に活性化することがわかりました。一方、CDX1を発現した胃の細胞では、腸の幹細胞(注8)に見られる遺伝子群の発現に続いて、腸の分化(注9)した細胞に見られる遺伝子群の発現が観察され、さらにSALL4とKLF5を発現できないようにした細胞ではCDX1によるこれらの遺伝子の発現が起きにくくなることを明らかにしました。以上のことから、CDX1はSALL4・KLF5という幹細胞性の転写因子を異常に活性化させることにより、胃の細胞を一度幹細胞様の状態に脱分化した後に腸の細胞へ再分化させていることが示唆されました(添付資料)。

【社会的意義】本研究は、胃の細胞が腸の細胞に病的変換する際に、一度ある程度未分化な状態に戻ることで複数種の異常な腸細胞を作り出していくというモデルを示すものです。ピロリ菌感染による腸上皮化生の発症において、幹細胞性転写因子が異所性に異常発現・活性化する結果、iPS細胞にみられるような細胞分化のリセット機構が実際の病気の進行過程で起きることを示した初の報告になります。組織幹細胞の性質は様々な細胞生物学的比較で「がん幹細胞」に近い部分が多々あり、胃細胞のリプログラミングにより生じた未分化な状態の細胞は、胃の細胞にも腸の細胞にも分化できる異常な能力をもつとともに容易にがん化しやすい性質を獲得すると考えられます。すなわち、こうした細胞のリプログラミング機構は腸上皮化生のみならず胃がん発症にも深くかかわることが推察され、この機構を阻止することで胃がん発症の予防が可能になることが期待されます。

5.発表雑誌:
雑誌名:米国科学アカデミー紀要「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」
論文タイトル:CDX1 confers intestinal phenotype on gastric epithelial cells via induction of stemness-associated reprogramming factors SALL4 and KLF5
著者:Yumiko Fujii, Kyoko Yoshihashi, Hidekazu Suzuki, Shuichi Tsutsumi, Hiroyuki Mutoh, Shin Maeda, Yukinori Yamagata, Yasuyuki Seto, Hiroyuki Aburatani, and Masanori Hatakeyama

6.問い合わせ先:
東京大学大学院医学系研究科 病因・病理学専攻 微生物学講座
教授  畠山 昌則 (はたけやま まさのり)

7.用語解説:
注1. 腸上皮化生
腸ではない組織に、本来あるはずのない腸の細胞があらわれる現象で、胃の他にも食道などでみられます。それぞれ胃がん・食道がんに進行するリスクが高く、前がん病変と考えられています。

注2. ピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ)
世界の約半数の人の胃に感染していると推定される病原性細菌で、その持続的な感染は慢性胃炎、腸上皮化生という段階を経て胃がんが発生する過程に関与することが、疫学調査や動物実験の結果から示されています。

注3. 転写因子
DNAに結合して遺伝子の発現のON/OFFを制御するタンパク質群の総称で、ヒトでは1800種類くらいあると推定されています。細胞の中でどの転写因子が働くかは、その細胞の分化を決定する要因の一つと言えます。

注4. DNAマイクロアレイ解析
塩基配列がわかっている1本鎖DNA断片を多種基板上に配置しておき、そこに検体を反応させて相補的な塩基配列で2本差を形成する箇所を蛍光で検出することにより、もともと検体に含まれていたDNAの塩基配列を特定する解析技術です。

注5. iPS細胞(人工多能性幹細胞)
一度分化した細胞に数種類のリプログラミング遺伝子を導入することにより、複数種の細胞に再分化可能な能力を獲得させた未分化な細胞のことを言います。

注6. ES細胞(胚性幹細胞)
発生初期の受精卵から未分化な状態のまま取り出した細胞で、複数種の細胞に分化可能な能力を持っています。

注7. リプログラミング
細胞の分化に伴って変化した遺伝子状態を初期化して未分化な状態にすることを言います。この過程に関わる遺伝子(転写因子が多い)を「リプログラミング遺伝子(幹細胞性遺伝子)」と呼びます。

注8. 幹細胞
各組織を構成する様々な細胞を作り出す根本となる細胞で、未分化な状態で存在することで多様な種類の細胞に分化することができます。近年、がん組織においても、集団を構成するがん細胞の基となる組織幹細胞に似た「がん幹細胞」が存在することが示唆されています。

注9. 分化
細胞が各組織を特徴づける各々の形態・性質を持つ細胞に変化することを細胞分化(ここでは単に「分化」と表記)と言います。分化前の状態を「未分化」、分化した状態から未分化な方向へ変化することを「脱分化」と言います。

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