記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」研究成果
記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 |
平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科
総合研究大学院大学
1.会見日時: 平成24年10月29日(月)14:00~15:00
2.会見場所: 東京大学医学部教育研究棟2階 第2セミナー室(本郷キャンパス)
3.出席者:
斎藤 成也(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻 教授 兼任/国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門 教授)
徳永 勝士(東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野 教授)
尾本 惠市(東京大学大学院理学系研究科・理学部 名誉教授)
Timothy Jinam(国立遺伝学研究所人類遺伝学研究部門 博士研究員/総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻 2011年9月博士課程修了)
4.発表のポイント
◆成 果:日本列島の3人類集団(アイヌ人、本土人、琉球人)間およびそれらと他の人類集団との遺伝的近縁性を確定した。
◆新規性:101年前に提唱されたアイヌ・琉球同系説を最終的に証明し、またアイヌ集団が本土人および北方集団と遺伝子交流をしてきたことがはっきりした。
◆社会的意義/将来の展望:
日本列島における人類集団の遺伝的多様性を明確にすることは、人類学的観点のみならず、ゲノム医学にとっても大きな意義がある。将来は、これら集団間の表現型の違いとゲノムの違いを結びつけることが期待される。
5.発表概要:
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授兼任)の斎藤成也教授、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東京大学大学院理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授を中心とする研究グループは、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。
これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。今回、研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。また、アイヌ人はさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった。
日本列島における人類集団の遺伝的多様性を明確にすることは、人類学的観点のみならず、ゲノム医学にとっても大きな意義がある。将来は、これら集団間の表現型の違いとゲノムの違いを結びつけることが期待される。
6.発表内容:
日本列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類学的証拠がある。現在は北から順にアイヌ人、本土人、琉球人という3人類集団が分布している。これらの人々の起源と成立については、以前からいろいろな説があったが、ベルツ(注3)のアイヌ・沖縄同系説に端を発し、鳥居龍蔵や金関丈夫らが提唱した混血説の流れをくむ二重構造モデルが現在の定説である。これによれば、日本列島に最初に移住し縄文人を形成したのは、東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫である。その後、縄文時代から弥生時代に変遷するころに,北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。彼らは極端な寒冷地に住んでいたために、寒冷適応を経て、顔などの形態が縄文人とは異なっている。この新しいタイプの人々(弥生時代以降の渡来人)は、北部九州に始まって、本州の日本海沿岸、近畿地方に移住を重ね、先住民である縄文人の子孫と混血をくりかえした。ところが、北海道にいた縄文人の子孫集団は、この渡来人との混血をほとんど経ず、やがてアイヌ人集団につながっていった。沖縄を中心とする南西諸島の集団も、本土から多くの移住があったために、北海道ほど明瞭ではないが、それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。
これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。そこで今回、徳永研究室で使用している、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人と琉球人のDNAをあらたに調べることにした。北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から尾本らが1980年代に提供を受けた血液から抽出したDNAサンプルについて、これまでミトコンドリアDNA、Y染色体、HLAの研究が行なわれてきたが、それらのうち、36個体分を用いた。サンプル収集時期が30年近く前なので、今年に入って平取町を3回訪問し、町役場のアイヌ施策推進課の協力を得て、アイヌ協会平取支部の方々にお会いし、これまでの研究成果と今回の成果について説明した。琉球人のDNAについては、琉球大学医学部の要らが数年前に提供を受けた35個体分を用いた。
今回の研究では、個人を単位にした解析と集団を単位にした解析を行なった。前者については、多変量解析の標準的な手法である主成分分析、祖先集団を仮定してそれらの遺伝子交流を個人ごとに推定する方法のふたつを用いて解析した結果、アイヌ人からみると、彼らから地理的に大きく離れている琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。また、アイヌ集団が本土人およびおそらく北海道よりももっと北方の人類集団と遺伝子交流をしてきたことにより、個体間の多様性がきわめて大きいことがわかった。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。集団を単位とした解析では、アイヌ人と琉球人が統計的にきわめて高い精度でクラスターを形成し、それと本土人、韓国人がそれぞれつながってゆくパターンが同様の高い精度で支持されている。以上から、現代日本列島人は、旧石器時代から縄文時代を通じて居住してきた縄文人の系統と、弥生時代以降を中心に日本列島に渡来してきた弥生系渡来人の系統の混血であることがはっきりした。また、アイヌ人はこれらとはさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があったことがわかった。
今回決定した100万SNP座位のデータは、さらに詳細な研究を進める上での基盤情報として貴重なものであり、今後は日本列島に渡来してきた祖先集団の出自の問題の探求や、表現型の違いとゲノムの違いを結びつける研究にも貢献することが期待される。
7.発表雑誌:
雑誌名:Journal of Human Genetics(2012 年11月1日オンライン版)
論文タイトル:The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations
著者:Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium {コンソーシアムメンバー:Timothy Jinam, 西田奈央, 平井百樹, 河村正二, 太田博樹, 梅津和夫, 木村亮介, 大橋順, 田嶋敦, 山本敏充, 田辺秀之, 間野修平, 数藤由美子, 要匡, 成富研二, 柳久美子, 新川詔夫, 尾本惠市, 徳永勝士, 斎藤成也}
8.問い合わせ先:
東京大学大学院医学系研究科 人類遺伝学専攻分野
徳永 勝士(とくなが かつし)教授
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門
斎藤 成也(さいとう なるや)教授
9.用語解説:
(注1)SNP(Single Nucleotide Polymorphism):
一塩基多型。ゲノム全域に存在する遺伝的多型のひとつ。DNAには4種類の塩基
(A,C,G,T)があるが、塩基が置換するタイプの突然変異率はきわめて低いので、
大多数のSNPではこれらのうちの2塩基が集団中に共存するタイプである。
(注2)クラスター(cluster):
遺伝子や集団の系統樹で、複数の系統がひとつにまとまっている状態。
(注3)ベルツ(Erwin von Baelz):
1849~1913。ドイツ人。1876年から1905年まで日本に滞在し、東京帝国大学医学部の教官などをつとめる。日本人と結婚。1911年にアイヌ沖縄同系論をドイツの雑誌に発表。
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