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昆虫の匂い源探索を担う神経回路を解明記者発表

昆虫の匂い源探索を担う神経回路を解明

平成26年12月23日

東京大学先端科学技術研究センター

 

1. 発表者: 
神崎 亮平(東京大学先端科学技術研究センター 生命知能システム分野 教授)
並木 重宏(米国ハワードヒューズ医学研究所 ジャネリアリサーチキャンパス 研究員
東京大学先端科学技術研究センター 生命知能システム分野 特任助教:当時)


2.発表のポイント:
 昆虫において、匂い情報の入力から、行動を起こすための命令信号の出力までを担う全ての脳領域と経路を特定しました。
 前運動中枢の神経回路が行動を起こすための命令信号を生成することがわかりました。
 今回明らかになった回路機構は、スーパーコンピュータ「京」による昆虫の全脳シミュレーションに適用されるとともに、匂い源探索を行う人工知能開発への応用が期待されます。

 

3.発表概要: 
  東京大学先端科学技術研究センターの神崎亮平教授および並木特任助教(当時)らの研究グループは、昆虫の脳内においてフェロモンの匂い情報を処理する経路を特定し、匂い情報が脳内に入り行動を起こす情報に変換されるまでの全過程をはじめて明らかにしました。ファーブルがオスのガがメスの匂い(フェロモン)に魅了されてメスを探索する行動について「昆虫記」に記述して以来、約120年の時を経てその脳のしくみの一端が解明されました。
  昆虫の触角で検出された匂い情報は、まず感覚中枢に送られ、いくつかの経路を経て最終的に脳の前運動中枢で行動を起こす命令(行動司令信号)に変換されます(図1)。 そして、その行動司令信号により行動が起こることは知られていました。しかし、感覚中枢と前運動中枢を結ぶ中間の経路はミッシングリンクになっており、まさに未開の領域と形容され、ほとんど明らかにされていませんでした。
  研究グループは、カイコガの脳内におけるフェロモンの匂い情報に対する反応を評価することにより、機能的に接続している4つの脳領域の特定に成功しました。そして、フェロモンの匂い情報処理に関わる脳内の全経路をはじめて明らかにしました。
  さらに、前運動中枢である「側副葉」(注1、図2)において、上部には他のさまざまな脳領域からの神経細胞との結合が集中しており、側副葉上部は前大脳のハブとなっていること、側副葉下部では、側副葉上部からの信号を変換し、歩行を司令する持続的な活動が生成され、側副葉が行動司令信号の形成に重要な役割をもつことを明らかにしました(図3)。
  本研究成果により、微小な脳で行われている昆虫の匂い源探索行動において、感覚入力から行動出力を担う全ての経路が特定され、前運動中枢における行動のための司令信号が生成されるしくみの一端が明かになりました。本研究成果は今後、研究グループがスーパーコンピュータ「京」を用いて脳を精密に再現することを目的としてすすめている、カイコガ全脳シミュレーションに貢献すると共に、蚊などの有害昆虫の行動の制御、匂い源探索ロボット開発への活用が期待されます。
  本研究成果は、2014年12月23日(英国時間)発行の英国科学誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」オンライン版に掲載されます。

 

4.発表内容: 

<研究の背景と経緯>
  オスのカイコガは、メスの放出するごく微量の性フェロモンを頼りにメスを探し当てます。この際に、オスは特徴的なジグザグの移動パターンを示します。カイコガのこの行動は、わずかに170分子から成るフェロモンにより誘発される非常に鋭敏なものです。ジグザグの移動パターンは魚、鳥、哺乳類など、動物界でも広く観察されます。このような匂い源探索以外にも、ハチやアリが特定の場所の記憶を獲得・想起する際にも、周囲の景色の情報を取得するためにジグザグの移動パターンを示します。
これまでジグザグ行動を誘発する機構についてはほとんど研究が行われていませんが、カイコガでは、側副葉という脳内の領域にあるニューロンが示すフリップフロップ応答(注2)がジグザグの移動パターンと関係することが知られていました。しかし、感覚中枢から側副葉にフェロモンの情報が伝達される過程、フリップフロップがどこでどのように形成されるかについては、これまでわかっていませんでした。
ニューロンの応答性を評価する手法として、ガラス電極を用いた微小電極法(注3)があります。これは、伝統的な分析手法ですが、用いる際には、目的のニューロンがどこにあるのかをあらかじめ知っている必要があります。このため、脳の解剖学的・機能的な地図なくしてこの手法を用いることは難しく、これまで微小電極法を用いた研究はあまりなされていませんでした。

 

<研究方法と発見の内容>
  匂い情報の処理経路が未だ明らかではない前大脳の部分から手がかりを得るために、脳の特定の領域にガラス電極を用いて蛍光色素を注入し、特定の領域に投射を持つニューロンのみを標識するマス染色法(注4)を適用しました。これにより、既知の領域と周囲の神経回路をつなぐ、脳内の地図を作成することができました。これまでにフェロモンを処理する中枢として、一次嗅覚中枢と前運動中枢である側副葉のみが知られていましたが、今回この2領域と接続している匂い情報を処理する候補領域を複数同定することができました。
  接続関係のみでは、その領域が実際に匂い情報の処理に関わっているどうかかは分かりません。そこで、同定した候補領域の全てに微小電極法を適用し、その領域のニューロンがフェロモンに応答するか否かを調べ、最終的に4つの脳領域で匂い情報が処理されていることを明らかにしました。
  この検証の過程で、経路の最後に位置する前運動中枢である側副葉において、持続的な発火を示すニューロンが存在することが明らかになった一方で、そのような発火は他の中枢では観察されませんでした。そのため、側副葉の下部の神経回路がフリップフロップ信号の形成に重要な役割を果たしていることがわかりました。
  また、側副葉の上部は、多くの脳領域と接続していました。対照的に、側副葉の下部は、接続する領域の数こそ少ないものの、胸部の運動系へ信号を出力するニューロンを多く含むことがわかりました。側副葉の上部において脳内で処理されたさまざまな感覚の情報が統合され、下部において、持続発火を伴う行動司令信号に変換され、胸部運動系に情報が伝達されると解釈できます。
  カイコガの側副葉のフリップフロップ信号に見られる特徴は、哺乳類の大脳皮質のニューロンとよく類似するものでした(図4)。哺乳類の大脳皮質で観察される現象が、昆虫の原始的な神経回路でも観察されたことは、脳の進化を考察する上で、大変興味深いものと言えます。

 

<今後の展開>
  本研究ではカイコガとショウジョウバエの神経回路の類似性も明らかにすることができました。今後はこの分子遺伝学のモデル生物を用いて、種間における持続的な発火形成のための分子機構を比較する研究や、遺伝子操作を駆使した回路機構の詳細な研究も期待されます。今回明らかになったカイコガの神経回路機構は、研究グループが進めているスーパーコンピュータ「京」による全脳シミュレーションに反映される予定です。また農業害虫や、病気を媒介する昆虫の行動制御の研究に貢献することも期待されます。さらには、嗅覚情報処理経路の全貌を明らかにし、これを基にした匂い源定位のアルゴリズムや匂い源探索のための人工知能開発への応用が期待されます。
 
5.発表雑誌: 

雑誌名:Nature Communications(ネイチャー・コミュニケーションズ)
論文タイトル:Information flow through neural circuits for pheromone orientation (フェロモン源探索を担う神経回路における情報の流れ)
著者:Shigehiro Namiki*, Satoshi Iwabuchi, Poonsup Pansopha Kono, Ryohei Kanzaki*
DOI 番号:10.1038/ncomms6919

 

6.問い合わせ先: 
神崎 亮平(カンザキ リョウヘイ)
東京大学 先端科学技術研究センター 生命知能システム分野 教授

並木 重宏(ナミキ シゲヒロ)
米国ハワードヒューズ医学研究所 ジャネリアリサーチキャンパス 研究員


7.用語解説: 
(注1)側副葉:脳の前運動中枢。歩行と飛翔を司令する中枢であると考えられている。
(注2)フリップ・フロップ:トリガー信号(フェロモン刺激)によって、それが入力される直前の状態(「0」または「1」の状態)を反転して出力し、次のトリガー入力までその状態を保持する素子。カイコガの脳下行性ニューロンの他、哺乳類の大脳皮質、小脳などでも観察される。
(注3)微小電極法:微細なガラス電極を電解質で満たし、細胞に生じる電位を計測する手法。
(注4)マス染色法:局所領域のニューロンを複数同時に標識する手法。本研究ではガラス電極によって脳の標的部位に蛍光色素を注入し、拡散するのを待ってレーザー顕微鏡で観察を行った。

 

8.添付資料: 

 

図1.カイゴガの脳内における匂い情報の経路
カイコガの触角で検出された匂い情報は、まず感覚中枢に送られ、いくつかの経路を経て最終的に脳の前運動中枢で行動司令信号に変換される。

 


図2.カイコガの脳の構造
脳の中央付近に側副葉が位置する(赤)。

 


図3.カイコガの側副葉の構造
側副葉の上部は、脳のさまざまな領域と接続されており、前大脳のハブとなっている。フリップフロップ信号を生成し、胸部運動系へ伝えるニューロン群は、主に下部に存在して信号を発する。

 


図4.フリップフロップ神経応答
カイコガの前運動中枢である側副葉から入力を受け、胸部の運動系に信号を送るニューロンの応答を示す。発火があまり起こらない状態(OFF)と、高頻度で発火が起こる状態(ON)が存在する。これらの状態はフェロモンの入力で反転する。微小電極による電位の記録(A)、この発火頻度(B)、全試行の発火タイミング(C)、全試行の平均発火率を示す(D)。

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