岩波講座コミュニケーションの認知科学 社会のなかの共存 [第4巻]
本書は、岩波書店より刊行された『コミュニケーションの認知科学』(全5巻: 安西祐一郎、今井むつみ、入來篤史、梅田聡、片山容一、亀田達也、開一夫、山岸俊男編集委員) の1巻である。
近年の動物行動学や進化生物学における著しい進歩は、それまで「弱肉強食」や「血と爪」といったイメージで語られていた動物の世界においても、多くの場合に「平和な暮らし」が実現されていることを、私たちに教えてくれる。この本で行いたいのは、まさに、こうした「平和な暮らし」が集団の中でどのように実現されているかをたんねんに考えるという作業である。
さて、「人々がどのようにしたら平和な暮らしを実現できるのか」という問いは、ギリシャ、中国の古典から今日の法・政治哲学に至るまで、人文・社会科学のもっとも中心的な問いの1つである。数千年にわたる人文・社会科学の知は、人間社会において「平和な暮らし」を支えるものは、何らかの明示的な統治のしくみ(王権、法の支配)や社会的な道徳・規範であると論じてきた。17世紀の政治哲学者ホッブズ (Thomas Hobbes) が、『リヴァイアサン』の中で展開した議論はその典型である。周知のように、ホッブズは、能力に決定的な差のない個人同士が互いに自然権を自由に行使する ("角突き合わせる") 結果として「万人の万人に対する闘争」が生まれ、この混乱を避け共生・平和・正義を達成するためには、「人間が天賦の権利として持ちうる自然権を国家に全部譲渡するべきである」と論じた。そして、社会契約論の立場からそれまでの王権神授説に代わる、絶対王政を合理化する理論を構築した。ホッブズ以降、今日に至るまで、あまたの政治・法哲学者たちが人間社会におけるさまざまな統治のかたちやそのデザインについて考究している。こうした知的蓄積は、法の運用や行政のしくみなど、現代に生きる私たちが社会を設計するうえでのさまざまな指針を与えてくれる。その一方で、生物学の新たな知見は、過去30年ほどの間に、人文・社会科学の知に次々と大きな見直しを要求している。法や行政機構といった明示的な統治のしくみや、社会契約あるいは規範・道徳がない「はず」の動物たちの世界で、いったいどのようにして「社会の中の共存」が可能になっているのだろうか。この根本的な問いかけは、ヒトと人間をつなぐものは何だろうかという巨大な問いの最中心の要素として、今日、数多くの先端的研究者を惹きつけている。
本書では、「社会の中の共存」に関わる問題を、生物学者と社会科学者が交差するかたちで考える。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 亀田 達也 / 2016)
本の目次
第2章 進化生物学の視点から秩序問題を考える (巌佐 庸)
第3章 動物の集団的意思決定にみるコーディネーション問題 (長谷川英祐)
第4章 霊長類の利他行動 (瀧本彩加・山本真也)
第5章 「分配の正義」の認知的・社会的基盤を探る (亀田達也)
第6章 協力と賞罰 (高橋伸幸・竹澤正哲)
第7章 集団とネットワークの視点から見たコミュニケーション (増田直紀)
第8章 安心と信頼を生み出す文化と制度 (山岸俊男)