東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

右半分が深緑、左半分が白い表紙、オレンジの帯

書籍名

新潮選書: 斎藤茂吉 異形の短歌

著者名

品田 悦一

判型など

255ページ、四六判変形

言語

日本語

発行年月日

2014年2月21日

ISBN コード

978-4-10-603741-2

出版社

新潮社

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斎藤茂吉 異形の短歌

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並み居る近代歌人のなかでも抜群の知名度を誇る斎藤茂吉。だがその真価は意外に知られていない。
 
歌人としての茂吉の業績については、長らく、「万葉の伝統」を近代に復活させたとか、「万葉の調べ」に近代的感覚を盛ったとかいう評語が一人歩きしていたのだが、私は、茂吉の作歌活動を言語形成期に遡って根本的に洗い直すことにより、従来の世評に真っ向から対立する見方を提出した。
 
この世界を見慣れぬ世界として再現して見せること、日常卑近の当たり前の光景を驚愕すべき異様な光景として読者に突きつけること、そのために珍奇な語彙や異常な語法を駆使すること -- 茂吉が追求していた歌境は、後の文芸批評家たちが「異化 (非日常化)」と名づけた事態に該当する。いわゆる「万葉調」も、少なくとも第一歌集『赤光』を世に問うたころの茂吉にとっては、いま述べたような言語世界を成り立たせるために必須の方策にほかならなかった。
 
ところが世間はある時期から彼を伝統の体現者として扱い、あまつさえ本人までがその役を積極的に引き受け、全力で演じていった。その過程は、古代貴族の文化財である『万葉集』が日本国民の精神的絆を支える共有財産として再解釈され、この解釈が日本社会の隅々にまで浸透していく過程、つまり『万葉集』国民歌集化の過程と軌を一にしていた。昭和の大戦時に『万葉集』は『古事記』『日本書紀』とともに戦意高揚の具とされ、あたかも忠君愛国の書のように喧伝される。折しも茂吉は国民歌人としての使命感に突き動かされてあまたの戦争賛美歌を制作公表したのであった。
 
茂吉は一九五三年二月に亡くなるが、一件はこれで終わりではなかった。茂吉の死後、もちろん本人のまったく関知しないところで、道徳的に模範的な人物であるかのようなイメージが振りまかれていく。具体的には、「死にたまふ母」が国語教科書の定番教材となるのであり、その結果、歌人茂吉の真価はますます覆い隠されてしまうのである。
 
拙著『斎藤茂吉 異形の短歌』では、茂吉の「死にたまふ母」が定番教材となる経緯を丹念に追跡し、道徳教材としての位置づけが事態を促したことを明らかにした。また、「教室で読まれてきたようには読まない」という方針のもと、一連五九首をテキストとして読み抜いてみせた。
 
さらに、茂吉短歌の異常な世界を支える歪んだフォルムに対し、語法と声調の二面からメスを入れた。最後の節には「声に出さずに読みたい日本語」という題をつけ、齋藤孝氏に喧嘩を売ったのだが、今のところ反応がない。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 品田 悦一 / 2017)

本の目次

 はじめに
第一章 「ありのまま」の底力 -- 茂吉の作詩法
    たまらなく変な茂吉の短歌
    写生という不思議
第二章 一人歩きする世評
    茂吉の生涯
    国語教材としての茂吉短歌
第三章 「死にたまふ母」を読み直す
第四章 茂吉の怪腕 -- 作詩法補説二題
    已然形で止める語法
    声に出さずに読みたい日本語
 注
 参考文献
 あとがき

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