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書籍名

講談社選書メチエ 福沢諭吉の朝鮮 日朝清関係の中の「脱亜」

著者名

月脚 達彦

判型など

302ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2015年10月10日

ISBN コード

978-4-06-258613-9

出版社

講談社

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福沢諭吉の朝鮮

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福沢諭吉 (1835-1901年) は、慶應義塾の設立とそこでの教育、『学問のすゝめ』『文明論之概略』をはじめとする著作などによって、幕末・明治維新期の日本における「文明の先駆者」として知られている。その福沢が1882年3月1日に創刊した『時事新報』には、朝鮮への侵略を唱えるような社説が数多く掲載されており、その主なものは『福澤諭吉全集』にも収録されている。特に社説「脱亜論」(1885年3月16日) は、壬午軍乱 (1882年) と甲申政変 (1884年) を経て日清戦争 (1894-95年) へと至る明治日本のアジア侵略論の代表的な論説として語られることもある。
 
しかし、日本近代史、日本政治思想史などの研究の場では、福沢のアジア論をその激烈なタイトルや語句の使用に惑わされずに冷静に読み解こうとする努力が重ねられてきた。社説「脱亜論」については、1880年以来の朝鮮の改革派に対する支援を放棄した福沢の「敗北宣言」という「状況的発言」だとする坂野潤治氏の指摘が研究史上では重要である (『福沢諭吉選集』第7巻「解説」1981年)。坂野氏はここで「福沢の状況的発言はその当時において福沢が認識した総体的な状況構造にもとづいているのであって、我々がそれと同程度の総体的な状況構造の認識をもち得ないかぎり、彼の誇張的表現に振りまわされて彼の絶えざる転向を論じさせられるはめにおちいるのである」とも述べている。
 
著者は、福沢が慶應義塾に受け入れた近代朝鮮の最初の日本留学生である兪吉濬 (1856-1914年) という人物について学部の卒業論文を書いて以来、開化派と呼ばれる近代朝鮮の改革派について研究してきた。本書は、朝鮮近代史を専門とする著者が、『福澤諭吉全集』に収録されていないものも含めて、福沢の晩年に至るまでの朝鮮に関する論説を、当時の東アジアの「状況構造」を大きく四つの時期に区分して踏まえたうえで、整理・分析したものである。特に、福沢と関係の深かった朝鮮の開化派をはじめとする朝鮮側の動向に着目することによって、「脱亜論」のほか「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(1885年8月13日)、「日清の戦争は文野の戦争なり」(1894年7月29日) など、「問題」視されてきた福沢の朝鮮論について、これまでとは異なる評価を提示することができたのではないかと思う。
 
福沢が文明と野蛮の戦争と唱えた日清戦争以後、100年以上にわたって続いた東アジアの「状況構造」は、今や大きく変動しつつある。本書は現在の東アジアをめぐる国際関係について直接に論ずるものではないが、中華世界が大きな変動を迎えていた福沢の時代における日本と朝鮮の関係は、今日の日本と隣国との関係を歴史的に相対化する視座を提供してくれるのではないかとも考えている。もっとも、福沢が認識していた「状況構造」に真に迫るためには、福沢が朝鮮に関して持っていたネットワークとそこから得られる情報など、史料に立脚したさらなる実証研究が必要である。今後の課題である。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 月脚 達彦 / 2016)

本の目次

序章 福沢諭吉の朝鮮論をどう読むか
第一章 「朝鮮改造論」から「脱亜論」へ
第二章 ロシアの脅威と「朝鮮改造論」の放棄
第三章 「世界文明の立場」からの「朝鮮改造論」
終章 福沢諭吉の挫折としての朝鮮問題
おわりに

関連情報

書評:
柄谷行人 評『BOOK asahi.com』 2015年11月29日掲載
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015112900006.html
 

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