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書籍名

講談社選書メチエ ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン

著者名

乗松 亨平

判型など

264ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2015年12月10日

ISBN コード

978-4-06-258616-0

出版社

講談社

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ロシアあるいは対立の亡霊

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本書は1968年以降、記号論から身体論、ポストモダニズムへと展開していった、ロシアの文化理論・哲学の流れを追う。類書は日本国内だけでなく、英語圏やロシア本国でもほとんど見当たらないが、それはむろん、テーマのマイナーさを示してもいる。このマイナーなテーマを、ソ連崩壊を挟んだロシア社会の「ポストモダン」化、さらに、同時期の世界・日本における同様の過程と結びつけ、多くの読者にとって身近な文脈へと開いたことが、本書の特徴といえるだろう。
 
本書でいう「ポストモダン」化とは、1968年 - 権力と民衆の対立が最後に盛り上がった年 - と1991年 - 資本主義と社会主義の対立が終わった年 - を契機とする、世界の二極的対立という「大きな物語」の終焉を指している。本書では、ロシアにおけるその物語を、「私はXにとって他者である」というかたちに類型化し、「第二世界」の物語と呼んだ。ロシアの知識人は伝統的に、「私は権力にとって他者である」と同時に、「私は西欧近代にとって他者である」というアイデンティティを支えにしてきたが、1968年以降、それらの物語の危機に直面した。ただし「第二世界」の物語は、たんに滅び去ったのではない。例えば日本の現代思想と比較したとき、命脈を絶たれたはずの「大きな物語」が、ロシアでは亡霊のごとく執拗に回帰してくる。社会・政治レベルでいえば、2014年のウクライナ危機に、「ロシアは西側の他者である」という物語の大きな揺り戻しをみてとれるだろう。
 
一方において、「第二世界」の物語はたしかに死んでいる。自分は権力とは縁もゆかりもない、権力の恩恵などなにひとつ被っていない、といまどき強弁しても、度外れにナイーヴか傲慢とみなされるだけだろう。私とX = 権力は他者たりえないということを、ロシアの知識人は、ソ連崩壊にともないトラウマ的に経験した。積年の敵であったはずのソ連権力が潰えたあと、社会を襲った経済混乱のなかで、知識人たちは目指すべき理念を失い無力化してしまう。「Xの他者」としてのアイデンティティはXあってこそのものであり、その点で知識人はつねに権力に依存していたのだ。
 
だが、このような苦い経験を経ても、ロシアの知識人は「第二世界」の物語を手放さなかった。この物語を死後になお甦らせるべく、「私」とXのあいだや、あるいはXの内部に、新たな対立・対抗の源が探られてゆく。そのような模索は、日本のこれからを考えるうえでも、なにか共鳴するところがあるかもしれない。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 乗松 亨平 / 2016)

本の目次

はじめに 一九六一 / 一九九一年の亡霊
第一章 「第二世界」の物語
第二章 ソ連記号論のパフォーマティヴィティ
第三章 ポストモダニズムの「ロシア」
第四章 記号から身体へ
第五章 「第二世界」のない対抗
おわりに 対立を消尽するために

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