19世紀末から20世紀前半のロシアで、人間の不死化や宇宙進出を論じた一連の思想家たちがいた。宗教哲学から共産主義、自然科学までを巻き込み、また、文学や芸術にも広範な影響をもったこの潮流は、後世になって「ロシア宇宙主義」と総称されることになる。ソ連出身で現代世界を代表する美術批評家のボリス・グロイスが、5人のロシア宇宙主義者を集めたアンソロジーが本書である。
人間の不死化などというと突拍子もなく響くかもしれないが、その目的は寿命という時間的限界を突破することにある。宇宙進出のほうは空間的限界の突破を意味する。キリスト教などの一神教では、神とは無限の存在であると捉えられ、人間の有限性と対照されてきた。不死化と宇宙進出は、有限である人間が神の無限を目指す試みだといえる。「神の死」や「超人」を唱えたニーチェと、ロシア宇宙主義は同時代的でもあった。
無限を目指すこのような試みは、不遜にも思えるだろう。現在、長寿科学と宇宙開発が成長産業となっているが、それに多額の投資をしている起業家たちは、みずからが超人や神になろうとしているのだともいわれる。そんな起業家たちの関心が、自分自身が超人や神になることなのだとしたら、ロシア宇宙主義者の関心は似て非なるものである。自分ひとりではなく、世界のすべての人間が不死となり宇宙へ進出することが、彼らの目標であった。そしてそのためには、人類全体が協働しなければならないと彼らは考えた。個人は人類全体のなかでのみ価値をもつ、というのがロシア宇宙主義の基本的発想であり、それは現代の私たちの個人主義を反省させると同時に、全体主義につながりかねない危うさも秘めている。
本書には、ロシア宇宙主義の始祖と位置づけられる宗教思想家フョードロフ、アナーキストのスヴャトゴル、フョードロフの教義をソ連に導入しようとしたムラヴィヨフ、「ロシア・ロケット工学の父」として広く知られるツィオルコフスキー、レーニンのライバルだった共産主義者ボグダーノフという、多彩な5人が収録されている。キリスト教と共産主義は対立関係にあったが、人類全体の協働という理想においては一致していた。ロシア宇宙主義では、その理想が科学の進歩への信頼と結びつき、人類の協働によって世界はよくなってゆくという楽観的進歩主義を形成した。
現在の私たちは、全人類の協働とか、科学が世界をよくするとかいったことを、手放しでは信じられない状況にある。大国による暴力や気候変動は、地球の未来に暗い影を落としている。こうした事態を招いたのは、かつての楽観的進歩主義であったといえる。しかし、それとは別の進歩主義もありえたのではないか。シリコンバレーの起業家が描くのとは違う進歩主義が、ありうるのではないか。そのようなオルタナティブな進歩の可能性が、本書にはちりばめられている。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 乗松 亨平 / 2024)
本の目次
グロイス「ロシア宇宙主義――不死の生政治」
小俣智史「フョードロフ――博物館と共同事業の構想」
フョードロフ「博物館、その意味と使命」
上田洋子「スヴャトゴル――詩とアナーキズム」
スヴャトゴル「「父たちの教義」とアナーキズム生宇宙主義」
スヴャトゴル「われわれの主張」
スヴャトゴル「生宇宙主義の詩学 (序章あるいは第一段階)」
上田洋子「ムラヴィヨフ――愛国貴族の宇宙主義」
ムラヴィヨフ「普遍生産数学」
乗松亨平「ツィオルコフスキー――無限の進歩と無限の反復」
ツィオルコフスキー「汎心論、あるいはすべてのものは感覚をもつ」
ツィオルコフスキー「生命の定理 (一元論の補足解説)」
ツィオルコフスキー「地球と人類の未来」
平松潤奈「ボグダーノフ――生の同志的交換」
ボグダーノフ「生の目的と規範」
ボグダーノフ「老化と闘うテクトロジー」
ボグダーノフ「不死の祝日」
乗松亨平「解説」
関連情報
松下隆志 評「File 128. 二十億光年の孤独がしみじみと身に染みる夜に読む本」 (Webちくま 2024年9月11日)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3645
永田希 評 (『週刊読書人』 2024年8月30日)
https://dokushojin.net/news/702/
椹木野衣 評「「ロシア宇宙主義」/「深海世界」 人類が目指す未来の空と未知の底 朝日新聞書評から」 (好書好日 [朝日新聞掲載] 2024年6月15日)
https://book.asahi.com/article/15305740
木澤佐登志 評「全人類の不死と祖先の復活、そして宇宙進出を思想とする「ロシア宇宙主義」とは? 思想家ボリス・グロイスの論文集を紹介」 (Web河出 [文藝2024年夏季号掲載] 2024年5月20日)
https://web.kawade.co.jp/review/90761/
関連記事:
乗松亨平「ロシア宇宙主義と私たちの現在」 (『教養学部報』658号 2024年11月1日)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/658/open/658-2-01.html
上田洋子「訳者解題 (ボリス・グロイス「ロシア宇宙主義──不死の生政治」)|上田洋子」 (webゲンロン [初出:2016年4月1日刊行『ゲンロン2』])
https://webgenron.com/articles/genron002_07_2
関連動画:
「ロシア宇宙主義とはなにか――建築、美術、思想」 (シラス|ゲンロンカフェ 2024年9月20日)
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240920
書籍紹介:
「再評価される「ロシア宇宙主義」の意義を問う書籍刊行 帯文は円城塔と東浩紀」 (KAI-YOU 2024年4月28日)
https://kai-you.net/article/89447