東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

画家・宇佐美圭司の絵《100枚のドローイングNo.13》、1978年作

書籍名

イメージの記憶 (かげ) 危機のしるし

著者名

田中 純

判型など

360ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2022年5月2日

ISBN コード

978-4-13-010152-3

出版社

東京大学出版会

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イメージの記憶 (かげ)

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本書は著者による近年のイメージ論の論考を集成した論文集である。この場合の「イメージ論」とは、「イメージ」と呼ばれる心像・物体をめぐる思想的な考察に加え、美術・映画・建築などの作品のほか、考古学の発掘品や自然科学における図像に至るまで、広く「イメージ」として把握される現象の具体的な分析を包括している。
 
このようなイメージ論を展開している論者としては、ドイツのホルスト・ブレーデカンプやフランスのジョルジュ・ディディ=ユベルマン、ロシア出身のボリス・グロイスがおり、本書の第I部は相互に関連づけて考察されることの少ないこうした理論家たちの理論を総合的に検討している。ブレーデカンプやディディ=ユベルマンのイメージ論の基礎をなしているのは、著者も長年研究してきた20世紀ドイツの文化史家アビ・ヴァールブルクの思想である。とくに重要なのはヨーロッパ数千年の「イメージの記憶」を図像パネル群で表わしたヴァールブルク晩年のプロジェクト『ムネモシュネ・アトラス』であり、第II部にはこれに関する著者の最新の考察を集めている。
 
第III部はナチスによるホロコーストを主題とした映画と絵画について、第I部の理論的考察を踏まえたイメージ論的な分析を行なっている。第IV部は建築論であり、建築空間を生み出す想像力の運動のうちに表われるさまざまな神話的イメージの解釈を試みている。第V部は米国におけるトランプ政権成立からコロナ禍に至る時代の政治・社会的危機を表わすイメージとして、トランプの戯画や映画『シン・ゴジラ』の怪獣などを取り上げ、それらの背後にある重層的な歴史的記憶を浮き彫りにしている。
 
ブレーデカンプがたとえばイコノクラスム (聖像破壊) の分析にもとづき、西洋の視覚文化の根底に「イメージの否定の否定」という構造を見ているのに対し、本書はこの「否定の否定」モデルを乗り越えるための手がかりを文芸や哲学における「無」や「空」の観念に求め、結論では日本語の「かげ」の概念の吟味を通じて、無・空と表裏一体になったイメージというモデルを提起している。そのような「かげ」としてのイメージは「現 (うつつ)」にして「空 (うつ)」なるものであり、別のイメージへと「移 (うつ) ろい」、他のイメージを「映 (うつ) す」という、「うつり / うつし(移動/反映)」の運動のうちにある。
 
本書の副題が「危機のしるし」であるのは、この書物が主題とするイメージなるものが、危機の予兆においてもっとも顕著に表われるような、さだかならぬ何ものかのかすかな徴候という謎めいた性格を帯びているからである。書名の「記憶」の一語に振られたルビの「かげ」が指し示すものもまた同様だ。本書が解明しようとするのは、そんなふうに現われつつ隠れながらわれわれに働きかけるイメージの秘密にほかならない。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 田中 純 / 2022)

本の目次


 
I 行為する像 (イメージ)
第1章 創像された怪物の解剖学──像行為論の射程
第2章 握斧 (ハンドアックス) の像行為──起源/根源のメイキング
第3章 不死のテクノロジーとしての芸術──生政治のインスタレーション
第4章 物質論的人文知 (ヒューマニティーズ) としての考古学──同時代への退行的発掘
 1 新石器時代の終わり?  
 2 野生の考古学  
 3 考古学的物質性  
 4 野生の考古学と歴史経験  
 5 アーカイヴという発掘現場  
 6 人文知の先立未来  
第5章 死者の像の宛先──スーザン・ソンタグの亡骸
 
II 『ムネモシュネ・アトラス』を継ぐ
第1章 モンタージュ/パラタクシス──パラダイム転換のために
 1 イメージによる歴史叙述の「リアリズム」
 2 テオ・アンゲロプロスの映画における空舞台  
 3 マックス・エルンスト《主の寝室》の皮膚  
 4 「歴史の地震計」のヘテロトピア  
第2章 フィールドノートという自伝──霊たちのためのドローイング
第3章 見えない瓦礫を投げる──蜂起の身振り
第4章 歴史のゴースト・プラン──宇佐美圭司の絵画論をめぐって
第5章 心理歴史的地図からイメージ記憶の散歩へ──『ムネモシュネ・アトラス』再考
第6章 夜の共同体へ──パスカル・キニャールに
 
III ホロコースト表象の現在
第1章 ホロコースト表象の転換点──『サウルの息子』の触感的(ハプティック)経験
 1 迷宮と化す映像空間  
 2 「黒」からの脱出  
 3 「子供の死」というトポス  
 4 触感的(ハプティック)な歴史叙述としての映画
第2章 それの地下室(クリプト)──ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》
第3章 生と死のシンメトリー──セルゲイ・ロズニツァ『アウステルリッツ』
 
IV 建築的想像力の神話学
第1章 巨人と小人の無垢──ベンヤミンと冥府の建築家たち
第2章 魔術的洞窟──キースラーのシャーマニズム
第3章 死の女神としての家──「三匹の子ブタ」異聞
第4章 白い錯乱──ル・コルビュジエの「最初の絵画」
第5章 デミウルゴスのかたり──磯崎新の土星(サトゥルヌス)的仮面劇
 1 異形の双面神(ヤヌス) 
 2 都市破壊業からもうひとつのユートピアへ  
 3 サトゥルヌスとしてのデミウルゴス  
 4 黒い翁の流言 
 
V 危機のしるし
第1章 『シン・ゴジラ』の怪物的しるし──未来からの映画
第2章 トランプ/ネロ/ペルセウス──斬首された自由
第3章 ウンブラル──パンデミック下の「歴史の閾」
第4章 生の弱さの底に降りて行く──カミュ『ペスト』に寄せて
 1 敗者による歴史叙述としての『ペスト』  
 2 言葉への誠実さ (l’honnêteté)  
 3 生の脆弱さに沈潜する  
第5章 イコノクラスムの彼方へ──像なき時代を創像する
第6章 無の色気──デヴィッド・ボウイから世阿弥へ
 
結論 「かげ」なる像の「うつろひ」へ向けて
 1 技術的創像の時代のアートとサイエンス  
 2 パラタクシスのリアリズム  
 3 ホロコーストの創像的歴史叙述と建築の根源 (アルケー)
 4 しるしと謎  
 5 「かげ」の「うつろひ」
 

関連情報

書評:
三浦雅士 評 (毎日新聞 2022年12月17日)
 
岡俊一郎 評「長谷川祐子による「新しいエコロジー」のアンソロジーから、ホロコーストやパンデミックと呼応する図像の分析論まで。『美術手帖』10月号ブックリスト」 (『美術手帖』2022年10月号)
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s12/26496
 
香川檀 評 (『REPRE』46号 2022年10月)
https://www.repre.org/repre/vol46/books/sole-author/tanaka/

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