本書は、シェイクスピアをまったく知らない読者にもわかるように、シェイクスピアの人物像や作品世界の特徴や魅力をわかりやすく解き明かした本である。
シェイクスピアの生きた時代を振り返り、その作品全体を通して浮かび上がる劇作家の姿に迫り、その精神世界を明らかにすることを目的とする。
第1章から第3章にかけて、シェイクスピアの簡潔な評伝となっている。シェイクスピアの姿が謎に包まれているのは、不穏な時代ゆえのものだったということが明かされる。
第4章では、その劇世界の魅力を紹介する。とくに芝居を見ているときには気づかない "シェイクスピア・マジック" を解き明かす。
第5章では喜劇世界について解説する。喜劇世界では、道化が登場して主人公たちの愚かさを指摘するが、これは人はみな愚者であるという当時の人文主義思想に基づいている。
シェイクスピア作品にはオクシモロン (矛盾語法) という矛盾した表現が頻出する。なぜシェイクスピアが矛盾した表現を好むかと言えば、人間は矛盾した存在だという認識があるからだろう。こうしたほうがいいとわかっていてもそうできなかったり、好きな人を傷つけてしまったり、やってはいけないことをやってしまったりする。人間は理屈を超えた存在であり、矛盾のなかにこそ人生の危うさやおもしろさがつまっているのだ。
第6章では悲劇世界について解説する。悲劇は、唯一の正しさを求めるがゆえに起きる。「あれか、これか」という究極の選択を避けて、「あれもこれも」という喜劇的な許容ができれば、幸せな生き方ができるのである。
最終章では、シェイクスピアの哲学について語る。その作品世界を通してシェイクスピアが考え抜いた「人はどうやって生きていくべきか」といった問題は、どのように展開しているのか。「私」という主体をどう認識すればよいのか。シェイクスピアを理解すると、ものの見方は一通りではないとわかるようになる。
「万の心を持つシェイクスピア」(myriad-minded Shakespeare) と言われるが、それは多くの人の心に訴えかけるほど多様なものの見方が作品のなかに籠められているという意味だ。シェイクスピア自身の本心は多くの仮面の背後に隠れて見えないと言われることもある。
しかし、大切なのは、人生という劇場においてさまざまな役を演じるためにどのような仮面をつけるのかということであって、仮面の背後にある「真の私」など誰にもわからないと、シェイクスピアなら言うだろう。だからこそ、自分さえ知らない「私」に出会えるかもしれない - シェイクスピアの哲学を学びとった者ならば。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 河合 祥一郎 / 2016)
本の目次
第2章 宮内大臣一座時代
第3章 国王一座時代
第4章 シェイクスピア・マジック
第6章 悲劇 - 歩く影法師の世界
第7章 シェイクスピアの哲学 - 心の目で見る
関連情報
公明新聞 2016年8月22日
朝日新聞 (朝刊) 2016年8月14日
毎日新聞 (朝刊) 2016年7月31日 / 三浦雅士
日本経済新聞 (朝刊) 2016年7月24日
しんぶん赤旗 2016年6月28日