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書籍名

東京大学東洋文化研究所報告 「八紘」とは何か

著者名

平勢 隆郎

判型など

770ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2012年3月30日

ISBN コード

978-4-762-92981-6

出版社

汲古書院

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「八紘」とは何か

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近代以来、考古・建築を含む広い意味での歴史学において、熱心に議論されたのが、日本を含む古代世界をどう把握するかであった。日本の「くに」に相当する規模のもの (小領域としよう) から、中国の歴史を説き起こすと、漢字がない時代になる。そんな「くに」が連合を作った。まとまりは限られる (中領域としよう)。そのまとまりの一つが殷となり、別のまとまりが周となった。漢字の起源はわからないが、殷では使われており、隣のまとまりから起こって殷を滅ぼした周に継承された。そのため両王朝の甲骨文や金文が残されている。「くに」の連合は、中国で早く現れ、周囲は遅れて現れる。中国では、その「くに」の連合が鉄器の普及で変質し、連合の中心国を中央、他の「くに」を県とする領域国家が出現した。この動きも、周辺国で遅れて起こっている。
 
中国ではさらに、領域国家を複数たばねた大きな領域国家ができあがった (大領域としよう)。秦の始皇帝の統一帝国である。海洋がこの種の意味での領域の仲間入りをはたすのは、だいぶ後のことで、本書は扱っていない。
 
漢字は、一部の「くに」に起こり、継承され、中領域の複数の国家で用いられるにいたり、その漢字圏が統一された。現代人にとってやっかいなのは、「くに」のころの漢字の用法と、中領域の国家におけるその用法と、大領域になってからのその用法が、肝腎なところで異なっていたりすることである。
 
本書は、この「異なっている」ことを問題にしている。秦の統一帝国から後、大領域も征服王朝の出現以後大きく変わる。当然、漢字の用法も異なってくる。
 
「やっかい」なのは、同じ漢字だと、ついつい同じ意味だと勝手に考えてしまうことである。
 
また、日本を含めて考える場合、「伝播」が議論される。恩師の一人西嶋定生は、高きから低きに伝わるというような単純なものではないことを述べた。低き側に発展を求める自覚が備わらないと、伝播しないことを述べている。西嶋が述べた日本の自覚という視点を、中国春秋時代のいくつかの「くに」連合の自覚に置き換えると、その自覚が戦国時代の領域国家にどう継承されたかが見えてくる。自らの領域を特別に扱い、周囲を野蛮の地とする考えが、同じ漢字を使う国家どうしの「ののしりあい」にすぎないことも見えてくる。そこからさらに、日本の「くに」の自覚についても、理解が深まる。
 
本書に用いた「八紘」は、『史記』から『明史』にいたるまで、一貫して用いられた漢族の居住地である (「禹域」とも言う)。いわゆる征服王朝は「八紘」の外に領域を拡大させている。本書で「封建」・「五服」など基礎的用語が検討できる。続編に『「仁」の原義と古代の数理』(雄山閣、2016年) がある。
 

(紹介文執筆者: 東洋文化研究所 教授 平勢 隆郎 / 2016)

本の目次

序説 「封建」論・「八紘」論・「五服」論の要点
第一章 「八紘」論と「五服」論
第二章 「八紘」論と「封建」論
第三章 説話の時代
結びにかえて
あとがき
英文要旨・中文要旨・索引

関連情報

書籍紹介 (東文研ホームページ)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/pub120515.html

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