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白い表紙にミャンマーの人たちの写真

書籍名

ミャンマーの国と民 日緬比較村落社会論の試み

著者名

髙橋 昭雄

判型など

200ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2012年11月10日

ISBN コード

978-4-7503-3701-2

出版社

明石書店

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ミャンマーの国と民

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著者は、1986年から現在に至るまで、ビルマ式社会主義、軍事政権、民主化移行期と体制が転換する中で、ミャンマーの農村の奥深くに入り込んで、村人と世帯と村落の社会経済に関する調査を行い、数々の著作をものしてきた。訪ね歩いた農村は優に200を超え、ビルマ語でインタビューした村人の数は延べ1万人近くになる。そこで出会ったミャンマーの村人たちは、抑圧的な体制下にあっても、「明るく自由で自立的」あった。それはなぜか。本書は日本の村落と比較しつつ、ミャンマーの村落社会構造を解明し、この問いに答えようとするものである。
 
日本の村は、近世の検地により「土地占取の主体」となり、村請制が形成され、用水管理の単位ともなり、その遺制は現在でも日本の村を支配している。一方ミャンマーの場合、 この検地にあたる植民地初期の地租査定では、村とは関係ないクイン (単位耕作地) が基礎となる。したがって村は地租徴収の単位でもなければ、農地管理の共同体でもなく、用水管理などは受益者負担の原則に立つ。籾米供出制度が機能していた時代でも、国家が個人から直接徴収するという体制がとられていた。共有の耕地や池沼なども、その運用が、村ではなく個人に委ねられることが多い。
 
このように生産活動における集団や村の役割は非常に小さいが、宗教実践についても同様である。仏教やキリスト教は、教義自体が個人的利害にかかわるものであり、「ユワサウンナッ」と呼ばれる「村を守るカミ」の場合も、村の一体化を担保する日本の氏神とは観念のレヴェルにおいても大きく異なる。
 
ミャンマー社会に形成される組織は、 日本のように継続する「イエ」を媒介にした安定的なものではなく、個人を中心とした「不可測な二者関係の累積体」である。集団は著者が概念化した 「頻会」(頻繁に会う) によって結びついているので、構成員は自分の意志によっていつでも「絶縁できる」。組織や制度に拘束されることが少ない所以である。
 
日本の村は生産の共同体あるが、ミャンマーの村は生活のコミュニティである。前者からの追放は収入減を絶たれて生計が成り立たなくなることを意味するが、後者からの脱退はそれほど致命的ではない。二者関係のネットワークは組織や村の外にいくらでもつながっているからである。ミャンマーの強権的支配は共同体的な横の繋がりすなわち相互監視システムを利用できなかったので、末端ではどうしても「なあなあ」になり、徹底性を欠いてしまう。硬直的な政策が長続きしたのは、個が自立せず、「民主主義」が定着していなかつたからではなく、村落内で累積し複雑化した融通無碍なネットワークや組織がこれを吸収し、一向に効果をあげなかったからである。そこには、自立した個によるヨーロッパ的「市民社会」像のネガで構成された、 これまでのアジア社会像を否定するような、個や組織の存在が認められる。
 

(紹介文執筆者: 東洋文化研究所 教授 髙橋 昭雄 / 2016)

本の目次

はじめに
1. ミャンマーの風土の農業
2. ミャンマーの村と村人たち
3. 私的村落経験から見た日本とミャンマー
4. 日本の村、ミャンマーの村

関連情報

書評:
伊東利勝 『東南アジア 歴史と文化 (東南アジア学会誌)』43号、2014年

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