東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

灰色の背景に走り書きやメモ書きが書いてある表紙

書籍名

近くても遠い場所 一八五〇年から二〇〇〇年のニッポンへ

著者名

木下 直之

判型など

336ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2016年9月

ISBN コード

978-4-7949-6934-7

出版社

晶文社

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近くても遠い場所

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書名の「近くても遠い」とは、見慣れた風景の中から気づかないできたことを見つけようといった意味だ。もちろん、人はものごとを忘れて当たり前なのだから、まずはその場所の過去に目を向ける。とはいえ、ただひとつの過去が振り返ってもらうことを待っているわけではない。現在までに気が遠くなるような長い時間が流れ、その場所はその姿や意味を変えてきた。地層のように、それらは蓄積し変容している。
 
つぎに、なぜ忘れてしまったのかについても考える。積極的に忘れようとしたこともあるに違いない。改変や隠蔽もあるはずだ。逆に、忘れまいとするさまざまな企てについても考える。ある場所に史跡というレッテルを貼り、その由緒を明示する。記念碑を建てる。建物を保存するばかりでなく、竣工当初の姿に復元する。博物館を設置し、さまざまなものを収集し、展覧会を仕立てて過去を評価する等々。
 
こうした関心をふだんの暮らしに向けて、気になったものを掘り下げるという方法で書いた文章がこの本には集まっている。正しく雑文集である。大半が2000年以降に書いたものだ。
 
ということは、2000年に東京大学大学院人文社会系研究科に新しく設置された文化資源学研究専攻で教鞭を執ってきた時期に重なる。私はその初代助教授として、当時は誰も使わなかった「文化資源学」という言葉の意味を問われて、よくゴミにたとえて説明した。すなわち、ゴミと資源ゴミ (現在では単に資源物と呼ばれる) の違いは、後者に新たな価値が発見されたことによる。文化においても同様で、いったんは失われた価値、忘れられた価値、否定された価値、見出せなかった価値を、従来とは異なる観点から再評価する数々の企てが大切だと。
 
東京大学にまつわる話題をひとつだけ紹介しよう。第5章に収めた「死者がよみがえる場所」を書いた発端は、ある時、総合図書館の書架にあった『東京大学図書館史資料目録』から「戦歿者慰霊祭」関連の資料を見つけたことだった。すると、戦前には館内に「戦没者記念室」のあったことがわかった。1941年と43年に催された慰霊祭に関する文書、同室で安置されていた戦没者の肖像写真なども文書館にあった。これらの一切が忘れられていた。
 
同じころ、御殿下運動場の傍らには、抜剣して突撃を命じているかのような軍人の銅像が立っていた。市川紀元二といい、工学部を出て日露戦争で死んだ。学士の戦死は珍しく、それで銅像になった。戦後はキャンパスに置いてもらえず、故郷の静岡県護国神社に引き取られた。
 
こんなふうに戦争の記憶が薄れることを怖れた建築家大谷幸夫 (都市工学科教授) が、図書館前の広場を「広場の曼荼羅」として1986年に改修した。しかし、30年後の今日、図書館前広場は再開発が行われ、その姿と意味をまた大きく変えてしまった。
 
忘却や改変が避けられないのなら、せめてそのことに自覚的であり、不断の見直しが必要だということが本書の伝えたいメッセージである。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 木下 直之 / 2018)

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