小説を読むのって面白いんですか? これまで読んだことある小説? 教科書に載ってた、うーん、ええっと、夏目漱石ぐらい? 学生たちと話していると、小説への関心が下がりに下がっていることを痛感する。読まなくたってべつに困らない。実際現実世界では、小説以上のとんでもない事件が起こっているし。
でもね、と私は反論する。信じられないような出来事も、心を痛めるニュースもみな細切れの情報として次々と流れていくだけ。新しい事件が起こると、前の事件は忘れられていく。小説、良く書かれた小説は、そこで語られる出来事がずしんと心に残るもの。たとえば凶悪犯罪者を、その後ろにある得体の知れないモヤモヤも含めて描いた小説を読むと、日々断片的な情報として伝わるニュースより、もっと重い澱が身体深くにたまる。小説、読んでみて。
ここで紹介するロベルト・ボラーニョは、悪を描く名手である。「悪人」ではない、「悪」を描くのが上手い小説家である。南米チリ出身で、2003年50歳で亡くなったあと、世界中で評価が高まり、日本でも長編小説『野生の探偵たち』、『2666』の翻訳が出て話題になり、その後全8巻の「ボラーニョ・コレクション」が刊行された。日本で翻訳出版されたラテンアメリカ作家の個人コレクションは、ボルヘスとガルシア=マルケスに次いで3人目。本書はその「ボラーニョ・コレクション」のうちの一冊、ボラーニョの魅力が凝縮された中編小説だ。
ここで語られるのは、1970年代、チリ軍事政権下で、飛行機雲で空に詩を書くパフォーマンスで評判をとった空軍パイロットのカルロス・ビーダーの物語。彼はアバンギャルド詩人という顔と、ファシストで残虐な暗殺者という顔をもつ。大学生のときクラスメートだった僕の視点を通して、ビーダーの悪の側面が次第に明らかになり、思いもよらぬ結末を迎える。ラテンアメリカの暴力の歴史と僕の青春が交差し、この小説は恐ろしいと同時に哀しい。とても哀しい。
ボラーニョの代表作は長編小説5冊分を一つにした巨大小説『2666』であろう。5部編成のうちの1つで、アメリカ国境沿いのメキシコのある町の連続女性陵辱殺人事件を取り上げる。1990年代以降実際にあった事件に取材したものだ。何十人もの残虐な事件現場がこれでもかこれでもかと記述され、読んでいて嫌になる。気持ち悪くなる。この悪の背後に存在する巨悪は何なのか、読者は読みながらずっとそのことを考えざるをえない。心にずっしり澱がたまっていく。
小説世界に入り込むことでしか得られない、いつもの生活がぐらりと揺れる体験を若いときにしてほしいと願う。翻訳小説は敷居が高いんですよね、などと言わずに。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 斎藤 文子 / 2017)
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