吉野作造は、大正デモクラシーを指導した代表的な知識人である。本書は、大正期に吉野が東京帝国大学において行った講義を学生が筆記したノートの再現である。吉野はきわめて精力的に評論・史論を発表しているのに、なぜ、講義ノートを再現しなければならないのか。
まず、大正期・昭和戦前期の言論状況においては、例えばデモクラシーやアナキズムに論及する際、国体観念との関係で注意が必要であった。講義は、大学という比較的閉ざされた空間において、その学生という比較的に先進的かつ同質的な聴衆に対して行われたものであった。そこでの発言は、商業流通に載せた刊行業績よりも闊達なものであり、他者による筆記であるという制約を加味しても、注目に値するといえる。
次に、その筆記者は、矢内原忠雄、赤松克麿、岡義武であり、それぞれ植民地研究、社会運動、日本政治外交史の領域で後に重要な役割を果たすことになる学生であった。その意味でこの講義ノートは、ひとり吉野を研究するにはとどまらない意義があるといえる。
最後に、吉野はその令名と多忙のため、刊行業績の中心は膨大な数の短編であった。この講義ノートはヨーロッパ史及び日本史についての吉野の体系的な思考をうかがわせる上で、極めて重要であるといえる。
日本史については、日本の憲政の発展のどこに弱点があると考えていたかが明確に示されていると同時に、該当の講義が1924年に行われていたことから、第二次護憲運動による護憲三派内閣の成立に対する高揚した同時代感覚がにじみ出ており、興味深い資料となっている。
ヨーロッパ史はさらに重厚であり、概ねウィーン体制の成立と動揺から第一次世界大戦期までが、様々な角度から論じられている。吉野は平等化の趨勢を重視しつつも、それをどう実現するかが歴史的段階によって異なることに自覚的であった。例えばビスマルクの政治指導について多分に批判的であったはずであるが、ビスマルクを中心としたドイツの国家形成には歴史的な意義を認めていた。カトリックが、ドイツ国内で少数派でありながら国際的な広がりを持った介入や抵抗を続けたことにむしろ批判的であり、ビスマルクとカトリックの間の文化闘争について、当時の日本としては屈指の詳細さで論じている (作内由子「吉野作造のヨーロッパ政治史講義」『図書』2016年2月号)。
本書の解説においては、本書に含められなかったものを含む吉野の講義についての詳細な紹介・検討 (伏見岳人) と、講義録を視野に含めることで展望される吉野の歴史家・政治思想家としての全体像についての試論 (五百旗頭薫) が付されている。
(紹介文執筆者: 法学政治学研究科・法学部 教授 五百旗頭 薫 / 2019)
本の目次
1913年度講義録 (矢内原忠雄ノート)
1915年度講義録 (赤松克麿ノート)
1916年度講義録 (赤松克麿ノート)
1924年度講義録 (岡 義武ノート)
解題 吉野作造政治史の射程 (五百旗頭 薫)
関連情報
加藤陽子 評 今週の本棚 (毎日新聞朝刊 2016年3月13日)
https://mainichi.jp/articles/20160313/ddm/015/070/005000c
橋本五郎 評 (読売新聞朝刊 2016年3月12日)
三谷太一郎 評 「吉野作造、グローバルな目 1世紀前の東大講義、学生ノートから再現」 (朝日新聞朝刊 2016年2月1日)
https://www.asahi.com/articles/DA3S12188025.html